「現在の日本はコーヒーブームです」と、業界関係者は口を揃える。

 喫茶店の数は1981年の最盛期(15万4630店)に比べて半減(2016年で6万7198店)したが、業界全体で約5万6000店あるコンビニで買える「コンビニコーヒー」が拡大し、レストランや娯楽施設、それに自販機を含めれば、コーヒーを飲む場所は各段に増えた。

 コーヒー豆の輸入量は年間45万2585トン(18年)。00年に40万トンの大台に乗ってからは、19年連続で40万トン超となった。この数字は1980年の2倍以上だ。(いずれも生豆換算の合計。財務省「通関統計」を基にした全日本コーヒー協会の資料)。

 最近はコーヒー豆を、さまざまな視点からアレンジし、提供する例も目立つ。

 たとえば11月1日、東京・有楽町に「ゲシャリーコーヒー」という店が開業した。かつての「ブルーマウンテン」に代わる最高級のコーヒー豆「ゲイシャ」を提供するゲイシャ専門店だ。パナマのエスメラルダ農園、エリダ農園などの希少価値の豆を扱う。

 また、石川県金沢市の山中には「水素焙煎コーヒー」を提供する店がある。開発したのは金沢大学名誉教授の廣瀬幸雄氏(工学博士)。03年に、ユニークな研究に対して贈られる「イグ・ノーベル賞」の化学賞を石川県で初めて受賞した異能学者だ。

 筆者は今月、両店とも視察したが、今回は珍しいこのコーヒーを紹介したい。

焙煎直後の味を保つ「水素焙煎」

 廣瀬氏の研究室がある「金沢大学 ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー」からクルマで約10分、医王山(いおうざん)の麓に「ビダルコーヒー」という店がある。山小屋風の建物で、喫茶機能を備える。取材中も常連客や看板を見て訪れたお客がやってきた。

 ちなみに同氏の専門は破壊工学だが、コーヒーへの造詣も深く、『なるほど珈琲学』『コーヒーの魅力学』(ともに旭屋出版)などのコーヒー関連書も多く上梓してきた。現在は日本コーヒー文化学会会長も務める。ユニークな研究内容でのテレビ出演も多い。

「ビダルコーヒー」で飲める、水素焙煎によるコーヒーは2種類ある。「水素焙煎 非酸化珈琲」と「テアニン珈琲」(ともに600円)だ。

「いずれも独自の水素焙煎機で焙煎し、通常は炭酸ガスが入るところに水素を注入しています。水素圧着製法と呼ぶ手法で極限まで豆の酸化を防ぎ、焙煎直後のような味わいを実現しました。水素焙煎珈琲はすっきりした飲みやすい味です」

 こう廣瀬氏は胸を張る。

かつてノースウエスタン大学の客員研究員として暮らした米国や欧州でもコーヒーを飲み歩いたというが、なぜ水素焙煎の発想を得たのだろうか。

「ある喫茶店で店主が『胃に負担が少ないコーヒーを』と、豆を二度焼きするのを見たのがキッカケでした。かつてはコーヒーを飲むと胃が荒れるとも言われ、胃もたれしないコーヒーをつくろうと思い、自分の研究領域の中で水素注入を考えたのです」(廣瀬氏)

 水素焙煎珈琲は、あっさりしているため、濃厚な味を好む人には物足りないかもしれないが、苦いコーヒーを敬遠する人には好まれそうだ。

プラセンタ入り茶菓子とコーヒーも開発

 一方、緑茶由来のアミノ酸テアニンを含有する「テアニン珈琲」は、水素焙煎珈琲よりもコクがある味だ。ドリップパックには「テアニン入り遠赤外線焙煎コーヒー」と明示してある。

 取材時には「茶寿プラ煎」(1袋500円)も出してくれた。生姜味の甘い煎餅だ。

「成分には胎盤由来の良質なプラセンタもあり、カルシウムとマグネシウムが豊富に含まれています。健康食品や医薬品にも使われるプラセンタ服用者のアンケートからは、内分泌系や免疫系、アレルギーなどに効果があったという声もあります。

 最近、プラセンタをナノ水に溶かし、焙煎豆に吸収させた『プラセンタ入り水素焙煎珈琲』の開発に成功しました。まだ研究開発中ですが、さまざまな人に飲んでいただき、ほうれい線やシワが薄くなったり、元気になったなどの声が上がっています」(同)

 水素焙煎豆も100グラム750円から揃え、商品を通販で買う顧客も増えているそうだ。

「水素焙煎機で抽出した豆は、通常の豆が約1カ月のところを約3カ月、粉にして1週間のものが6カ月(窒素封入ドリップパック)保存できます。

抽出後のコーヒーなら冷えても味の変化が少なく、雑味もほとんど出ません。約2日間は風味が保ちます」(同)。

 筆者が持参した別のドリップパックも飲み比べて話を聞いたが、「こちらは少し酸化してきましたね」と“ライバル心”も燃やしていた。

 ビダルコーヒーの所在地は、廣瀬氏がかつて購入した土地で所有面積約1万坪あるという。周囲の建物内には製造機や試作機もあり、新たな研究にも余念がない。

「受賞」のキッカケは兼六園の銅像

 イグ・ノーベル賞を受賞した研究についても紹介しよう。受賞内容は「ハトに嫌われた銅像の化学的考察」というものだった。

 金沢の観光名所・兼六園には多くのハトがいるが、園内にある日本武尊の銅像には、なぜかハトが寄りつかない。その理由を探り、銅像の素材の化学成分にあるのではないかと考え、ハトだけでなくカラスも寄りつかない「カラス除けの合金」を発明したのだ。

 疑問のキッカケは半世紀以上前、金沢大学理学部の学生時代に日本武尊の銅像を見たことだったという。現在は金沢市角間町に広大なキャンパスを持つが、当時は金沢城郭(金沢城公園)がキャンパスだった。城郭は兼六園に隣接しており、当時の金大生には、兼六園がより身近な場所だったのだ。

 普通の人が気づかないことに着目し、それを解明するために徹底研究する。「仮説」を立てて試作品をつくりながら「検証」する姿勢は、イグ・ノーベル賞を受賞した研究も「コーヒーの風味」も共通するようだ。

今後の課題は「エビデンス」と「シズル感」

 こうしたユニークな活動には続きがある。紙幅の関係で今回は詳述しないが、吉村清己氏(ビダルエリス研究所代表)と一緒に「水素添加過熱蒸気を用いた調理機器」も開発した。廣瀬氏の教え子には大学教授が20人以上いるという。吉村氏は10 年来の共同研究者(金沢大学講師)だ。

 ただし、水素焙煎のコーヒーについては、筆者は2つの課題があると思う。

 ひとつは「エビデンス」(証拠や根拠)の充実だ。健康機能性食品として、より注目を浴びるには「安心・安全」での積み重ねが欠かせない。多数の論文を作成してきたベテラン学者には釈迦に説法だろう。それでも長年「消費者心理」を取材してきた筆者は、「データで説明しやすい『安全性』と、心理によって左右される『安心』をどう両立訴求するか」で、各企業が試行錯誤する例を見てきた。

 もうひとつは、商品のシズル感(消費者が商品を欲しくなる五感)訴求だ。

 シズル感は機能性商品であっても欠かせない。口に入れる食品は「おいしそう・楽しそう」と思われないと、医薬品のようになってしまうからだ。

 カフェの世界でいえば、スターバックスコーヒーの商品訴求は上手だ。9月末、筆者は「スターバックス弘前公園前店」を取材した。弘前市はリンゴ生産量日本一の市で、取材時は限定品のアップルパイを販売(現在は販売終了)。店内には、パートナー(従業員)手づくりの「おいしいアップルパイが届けられるまで」とのボードも掲げられていた。

「機能的価値」と「情緒的価値」

 マーケティングの視点では、商品の訴求には「機能的価値」と「情緒的価値」がある。

 今回紹介した水素焙煎のコーヒーは、いうまでもなく機能的価値で健康食品に似ている。お客は一定の味を楽しみつつ、健康面での効果・効能を期待する。

 一方、情緒的価値は消費者の感性にも訴えるもの。コーヒーなら、味だけでなく見た目もかわいい「ラテアート」や「デザインカプチーノ」が情緒的価値だ。前述のスタバの取り組みも、それに当たる。

 現代の消費者への商品訴求は「AだからBはしない」というのは難しい。どこかでA(もしくはB)の要素を取り入れる意識も大切だ。機能的価値(機能性商品)であっても「もう少し情緒的価値を意識しましょう」といえば、ご理解いただけるだろうか。

 コーヒーブームによって、さまざまな角度からのアプローチが生まれているのは「生活文化」の視点でも興味深い。斬新な訴求に動き続けなければ、消費者と商品との出合いもなく、新展開も見えてこない。その意味で、水素焙煎コーヒーの進化にも期待したい。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)

高井 尚之(たかい・なおゆき/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント) 1962年生まれ。(株)日本実業出版社の編集者、花王(株)情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。出版社とメーカーでの組織人経験を生かし、大企業・中小企業の経営者や幹部の取材をし続ける。足で稼いだ企業事例の分析は、講演・セミナーでも好評を博す。 近著に『20年続く人気カフェづくりの本』(プレジデント社)がある。これ以外に『なぜ、コメダ珈琲店はいつも行列なのか?』(同)、『「解」は己の中にあり』(講談社)など、著書多数。

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