SMAPの歴史のなかで伝説と化している、2013年4月に2週にわたって放送された『SMAP×SMAP SMAPはじめての5人旅スペシャル』(フジテレビ系)を振り返る本稿。【後編】の今回は、5人が有馬温泉の老舗旅館・兵衛向陽閣に宿泊した際のエピソードを中心に紹介したい。
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“あの事件”を経た草なぎ剛は、「もし飲むとしたらビールが飲みたい」旅館に到着した5人は、全員で貸切露天風呂に入ることに。グループ結成25周年だったこともあり、SMAP結成の1988年やCDデビューを飾った1991年の出来事、さらに今回訪れたUSJについて振り返っていた。
夕食ではお酒も出てきたが、2009年に“全裸泥酔事件”で世間を騒がせてから「4年飲んでいない」という草なぎ剛はノンアルコール。香取慎吾に「もし飲むとしたら何が飲みたい?」と聞かれると「ビールかな」と回答していた。ただ、中居いわく草なぎは「飲まなくても酔ってるふう」になるという。
草なぎといえば、温厚な好青年というイメージが強かったこともあり、“全裸泥酔事件”が世間に与えた衝撃は非常に大きかった。事件当時、草なぎは深夜3時頃に都内の公園で全裸になり、「バカヤロー」と叫んだり、木に登ったり、前転をしたりと尋常ではない様子だったという。近隣住民が通報し、駆けつけた警察に対しても「裸だったら何が悪い」と反発。結果、公然わいせつの容疑で逮捕され、ただならぬ言動に薬物使用が疑われたことから、自宅マンションの家宅捜索まで行われた。
翌日釈放され、謝罪会見を開いた草なぎは1カ月間活動を自粛。5人旅でも明かしていたように、その後は4年間禁酒生活を送っていたが、2014年3月24日放送の『SMAP×SMAP』にゲスト出演したタモリにお酒を勧められたことをきっかけに解禁している。草なぎが起こした事件は、他のメンバーにとっても衝撃的であっただろうが、5人旅ではごく自然に会話の中で触れている。
夕食後は、館内のゲームセンターでレーシングゲームやエアーホッケーを楽しみ、まるで学生のように盛り上がっていた。プリクラでは、嫌がる中居正広を香取が強制連行し、5人で顔を寄せ合って撮影。中居や香取は照れ隠しなのか変顔をしていたが、出来上がったプリクラはアイドルらしい完成度の高さだった。
その後、5人旅のハイライトともいえる、あのカラオケスナックのシーンに。
館内のカラオケスナックを貸し切った5人は、SMAPの楽曲をなんと24曲も熱唱。「オリジナルスマイル」「$10」「Hey Hey おおきに毎度あり」「Triangle」「ひとりぼっちのHappy Birthday」「さよならの恋人」「天国のかけら」「Part Time Kiss」「君が何かを企んでいても」「それじゃまた」「FIVE RESPECT」など名曲のオンパレードで、「手を繋ごう」ではみんなで手をつなぐ様子もあった。
カラオケが盛り上がる一方、中居はかなりお酒が進んでいたこともあってか、「おれが歌ってほしい曲ばっか、みんな歌ってくれる」「泣けてくるなあ」と涙をぬぐうようなしぐさを見せていたが、「BEST FRIEND」が流れると「やべえ、おれ死んじゃう」「もうおれ、ギブだよ」と涙腺崩壊。
同曲は元メンバー・森且行の最後のテレビ出演時や、2001年8月に稲垣吾郎が道路交通法違反で逮捕され、活動自粛を経て復帰した時などにも歌われており、メンバーやファンにとって思い入れのある曲。おしぼりで涙を拭く中居を見て、隣で歌っていた草なぎも「やべえ、ちょっと泣いちゃった」ともらい泣きしていた。
中居は何度も涙をぬぐいながら「もうダメ、本当ダメ。涙が止まらない」「今世紀初めて泣いた」と言い、さらには「おれ100人だったら相手できる」「10人が突っかかってきても、おれ絶対SMAPを守れるよ」と発言。
このカラオケでは、どうしても中居の号泣が印象に残るのだが、実は各メンバーそれぞれのキャラクターが存分に垣間見えるシーンでもある。
テレビでのイメージ通り、かっこよくキメて歌う木村拓哉。そんな木村を見て「本物! 本物!」とマイペースで天然なコメントをする稲垣。カメラに向かって何度もおちゃらける香取。一人で歌う時も誰かと絡む時もノリノリな草なぎ。まったく歌を聴いていないようでも、時折コメントや合いの手を入れてさりげなく盛り上げる中居。また、年下メンバーである香取と草なぎが率先して歌っている傾向もあり、ゆるいながらも年功序列が感じられる。
ただ、彼らのキャラクターはあくまでもSMAPメンバーとして作られたものだったのかもしれない。稲垣は2020年10月3日に配信された「telling,」のインタビュー記事で、「新しい地図」としての活動について「稲垣吾郎らしさは昔から変わってないけれど、環境を変えてスタートしたことによって新しい自分とたくさん、出会えました」と明かしつつ、SMAP時代の自身について回想している。
「グループ活動を否定しているわけではないですが、やっぱり何十年も同じグループ・環境で仕事をしていると、少し凝り固まるというか…パターン化して自分のスタイルみたいなものが決まってきちゃう部分もありました」
「これまではトークをしたり、司会をしたりといった機会が、少なかったんですよね。グループの中でポジションがあって、喋りが上手なメンバーがいたから。
確かにSMAPはメンバーそれぞれのキャラクターが確立され、それが魅力でもあり、グループとしての安定感にもつながっていた。ただ、見方を変えれば、彼らは世間が求めるキャラクターに縛られていたり、無意識のうちにそれを演じざるを得なくなっていた可能性もあるだろう。年齢や経験を重ねることで、考え方や趣味嗜好、方向性が変わってくることはよくあるが、国民的アイドルだった彼らが安易にキャラクター変更することは、なかなか許されなかったことなのかもしれない。
不動の人気を誇っていたSMAPであるがゆえに、解散という形をとらず、基本的には個人で好きな活動をし、ごくたまにグループ活動をするといったペースでも、十分需要があったはずだ。しかし、解散したことで「新しい自分とたくさん出会えた」と稲垣が語るように、SMAPメンバーという肩書きがなくなったことによって得られたものも、きっと大きかったのだろう。
実際、SMAP解散後の木村は、娘のCocomiやKōki,が明かすエピソードによって、それまでまったく見せることのなかった父親としての一面が垣間見えるようになってきている。また、かねてよりさまざまなドラマの主演を務めてきた一方、「何を演じてもキムタク」との声もあり、いわゆる“アイドル的な俳優”のポジションから抜け切れない部分があったが、SMAP解散後は“キムタクっぽい演技”ではなく、円熟味ある演技に変化したと評判。『BG~身辺警護人~』(テレビ朝日系)や『教場』(フジテレビ系)といったドラマをヒットさせ、俳優としての新境地を開拓している。
草なぎ剛が「お前ら、ベストフレンドじゃなかったのかよ」とツッコみ、5人旅は終了カラオケを満喫し、部屋に戻った5人。木村は早々に布団に入り、仕事のために翌朝6時に起床しなければならないという草なぎも明日に備えて眠ろうとしていた。すると、布団に入っている草なぎに、香取がUSJで購入したスパイダーマンの被り物を無理やり被せるといういたずらをし始め、木村が「うるせー!」と一喝するなど、ここでもまたそれぞれの“らしさ”を発揮。
ちなみにこの夜、メンバーは仕事のために一人で先に出発する草なぎをみんなで見送ろうと語っていたのだが、翌朝、実際に時間通りに起きたのは草なぎのみ。
スタジオトークでは、次回の5人旅について中居が「(結成)50周年でね」と明かし、木村も「その時は海外とかね」と、香取も「違う場所もいいけど、同じ旅をしてみるとかね」とまんざらでもない様子であった。しかし、結局のところSMAPは、それから3年もたたない2016年末に、50周年を迎えることなく解散してしまった。
中居正広が語った「(SMAPの再結成は)ゼロではないし、100%ないとは言えないと思います」の言葉とはいえ、彼らが5人旅で見せてくれた笑顔や涙が、視聴者を大いに楽しませ、心を動かしてくれたこともまた事実である。草なぎは、解散の少し前にあたる2016月11月24日発売の「月刊ザテレビジョン」(KADOKAWA)で、5人旅についてこう振り返っている。
「『スマスマ』で行った5人旅も楽しかったね。初めてだったからね、ああいうことをやるのは。ドライブして、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンとかに行って、みんなで泊まって」
「だってさ、カラオケで泣いちゃったりとかさ。えっ、何で泣くのか? みたいな感じでしょ? お酒飲んでないのに、一番僕が酔っ払ってるんじゃないか? ってくらいになっちゃって。そんなもんなんだよね。物事ってね。予想外なことがたくさんあるんだよ」
決して円満とはいえない形で解散に至ったこともあり、メンバー間の不仲説もいまだに根強い元SMAPの面々。
(文=編集部)
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