京都の商家では、女の子が生まれると親は喜ぶ。それは、男の子なら、出来が良かろうが悪かろうが、家業を継がさなくてはならない。
1956年に清水實業(現ライフコーポレーション)を創業し、食品スーパーのライフを全国展開した清水信次にも、跡取りの候補として娘婿がいた。優秀な人物だったが、孫に良い父か否かを聞いたところ「家でよく遊んでくれるし、とても優しい」と答えた。その返答を聞き、清水は「これはだめだ。私生活を犠牲にしてまでがんばらなくてはならないスーパーのトップには向かない」と判断したのだった。人によって幸せの形は違う。「社長になり、経営をすることは大変だが楽しい」と心底思う人でないと、会社の経営はおかしくなる。何よりも、社長を信頼して働く従業員たちが不幸である。
もし、身内に後継者としてふさわしい人物がいたとしても、想定外のアクシデントが起こる場合もある。自動車メーカーのスズキのケースがその典型だ。
1920年に創業されたスズキでは、2代目以降、現在の会長兼社長の鈴木修に至るまで、歴代、娘婿がトップを務めてきた。
そのため、10年以上前から同社の後継者問題が注目されているが、鈴木は80歳を超えた今も「俺は中小企業の親父」と言い放ち、現場を回り檄を飛ばす強烈なリーダーシップを発揮し続けている。
スズキのようにアクシデントが生じた場合、選択肢が少ない世襲企業では致命傷になりかねない。アクシデントが起こってからドタバタするのでは遅すぎる。大株主である三菱商事から人材を引き入れて後継者を育てたライフのように、親族や社内にとどまらず、社外にも目を配り選択肢を広げておくことが後継者問題のリスクマネジメントになることだろう。少子高齢化が急激に進行している日本の現状を鑑みれば、なおさらそういえるのではないか。
●後継者育成の要
近年、新社長に就任する人々の顔ぶれを見ると、3つの共通する傾向が見られる。一つは、40代から50代前半の人が増えてきたこと。もう一つはファミリービジネス、特に上場企業で創業家出身者以外の人が就任するケースが珍しくなくなってきたことである。3つ目の傾向は、創業家が関与していないふりをしている点である。
グローバル化が進み飛行機で海外出張する機会も格段に増え、外国語が話せるだけでなく、強靭な体力が求められる文武両道の時代になってきた。そんな中、「社長になりたい」と思う人は、増えるだろうか。ファミリービジネスにおいて子息を後継者にしたいと考えているトップは、経営者教育を真剣に考えなくてはならない。そこで何よりも、「立派な社長になりたい」と心から願う気持ちと志を育むことが最優先課題である。
親が経営者であれば、子息はその背中を見て理想的な後継者に育つのだろうか。ファミリービジネスで世襲を考える場合、誰もがこのような単純な疑問を抱く。確かに、親以上に優れた経営を行っている2代目、3代目は存在するが、逆に先代、先々代が築いた資産や信用を潰してしまう事例も少なくないからだ。このような場合、創業者の祖父母はハングリーであったが、3代目は豊かさしか知らないからだ、と揶揄されることが多い。だが、必ずしもそれだけが原因とは言えない。その論で話を進めれば、いわゆる“ゆとり世代”が担う日本は壊滅するということになる。
●MBAより重要な家庭での経営者教育
「時代は変わったのだから」という言葉をよく耳にするが、ふと立ち止まって洞察しないと大きな間違いが生じる。それは、一般家庭の教育についてもいえることだが、こと社会的責任の大きい経営者、ましてや家庭と関わりが深いファミリービジネスの後継者として育てようとするのであれば、軸がぶれない、しっかりとした家庭の教育方針が求められる。
「親の背中を見て子は育つ」と言われるように、後継者教育では経営者である父の存在が大きいとされている。間違った指摘ではないが、成功した経営者たちにインタビューすると、母から受けた影響、母からの教えについてとうとうと話すことが少なくない。これは、家で一緒にいる時間が多い母が伝えた「家庭教育の方針」であると理解できる。まさに、経営教育のベースになるものである。大学教育に当てはめれば、専門教育の基盤にあるリベラルアーツ(一般教養)といえよう。こうした「家庭の影響」が大人へと成長する過程で、教師や友人だけでなく、広く家庭外の人々から受ける「社会の影響」と相乗効果を発揮するようになる。ただ、その結果は、生まれたときから経営者になることが求められている人と、そうではない人とでは当然異なるものとなる。
複雑化する情報化社会においては、一見、さまざまな教育の選択肢があるように見えるが、子供を経営者に育てなくてはならないファミリービジネスの創業家も、画一化された「時代の流れ」に流されてはいないだろうか。この背景には、ファミリービジネスの成否を左右する家庭の存在自体が大きく変化してきているという現実がある。
かつて、企業を経営する富裕層といえば、大きな屋敷に3世代、4世代同居というケースが珍しくなかったが、今やそうした層でも夫婦と子供からなる核家族へと急速に変化している。スープの冷めない距離に住んでいるかもしれないが、家で日常的に創業者が孫に経営の話をするような機会はめっきり減った。さらに、少子化により兄弟間で家の事業について話すことも少なくなっている。さらに、家父長制度の崩壊による意識の変化、対等になった夫婦関係や離婚の増加は、ファミリービジネスにおける「家庭の影響」を大きく変えた。見方を変えると、ファミリービジネスを営む家庭も「普通の家庭」になりつつあると考えられる。
●日本だけでなく欧米でも存在感が大きいファミリービジネス
「普通でない」という点をファミリービジネスの家庭の条件とすれば、それには、真逆だが2つ意味がある。一つは、庶民では考えられないほど裕福な暮らしを送っている。もう一つは、一般家庭では教育しようとしても難しい帝王学を物心がついた頃から教授される、という点だ。後者を行っていない創業家も多いだろうが、理想としては、専門家の知恵も借りて徹底した英才教育を行えば、異次元の才能を持った経営者が出現する可能性もある。その人は、必ずしも代々の事業を継承しなくとも、イノベーションを起こすかもしれない。それが、今、日本の大企業にとって焦眉の急とされているリロケーション、つまり既存の経営資源を応用したり、企業の合併や買収(M&A)により新事業を構築する「転地」で功を奏す可能性大である。
創業者一族が経営を代々続け、現在も関与しているという点だけに絞り、株主比率にこだわらなければ、日本企業のうち80%、上場企業の40%はファミリービジネスである。
こうした流れの中でファミリービジネスの後継を前向きに考えることは、現実認識としても重要である。マスコミの一般的論調からすれば、「プロの経営者に任せればいい」と結論づけたいだろうが、プロの経営者が社長を務める会社がすべてうまくいっているわけではない。後継者の世襲を考えているファミリービジネスにとって、「間違った教育」は絶対に許されない。なぜなら、普通の家庭では考えられないほど社会的に大きな損害を与えるからだ。韓国・大韓航空の副社長(当時)が、自社機内で客室乗務員のナッツの出し方が悪いとして航空機を引き返させた「ナッツ・リターン」は、それを象徴する事件となった。
(文=長田貴仁/岡山商科大学教授、神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー)