昔も今も流行の発信地として存在感を示す、東京・表参道――。東京メトロ・明治神宮前駅と表参道駅を結ぶメインストリートから一歩入った路地に一軒の鞄店がある。
クラチカという名称は、吉田カバンの創業者夫妻である吉田吉蔵氏と千香氏(いずれも故人)の名前「蔵」「千香」から取った。1935年に吉田鞄製作所として設立し、腕利きのカバン職人としても名をはせた吉蔵氏と、社業を支えて従業員の面倒見も良かったという千香氏への思いを店名に込めた。横文字風にしつつ、意味合いを持たせるのが同社らしい。
2000年にオープンした表参道店は、02年オープンの丸の内店、13年オープンの大阪店と並び、2000年代に入って店舗運営を始めた同社の直営店の1つだ。同社はほかに「オンリーショップ」と呼ぶ提携店が国内と海外(香港と台湾)にあるが、直営店は自社ブランドの理念を伝えるアンテナショップと位置づけている。
●店舗コンセプト「ホテルのロビー」に込めた思い
3月14日、表参道店がリニューアルオープンした。まだ1カ月強しかたっていないが、滑り出しは非常に好調だという。
「リニューアルに当たり、店舗コンセプトをさらに明確にしようと『ホテルのロビー』を模した店内にしました。その中で、カバンに精通したコンシェルジュやベルボーイのようなスタッフがお客様をお出迎えする、というイメージです」(同社広報部)
吉田カバンには「PORTER(ポーター)」と「LUGGAGE LABEL(ラゲッジ レーベル)」という2大ブランドがある。ブランドの中に200以上のシリーズがあるが、ポーターは米国空軍のMA-1ジャケットをモチーフにした「タンカー」シリーズが、ラゲッジレーベルはタグのデザインから通称「赤バッテン」「青バッテン」と呼ばれる「ライナー」シリーズが知られ、若手から年配まで幅広い世代のビジネスパーソンの支持を受ける。
東京駅前・丸の内ビル(丸ビル)内にある丸の内店の店舗コンセプトが「大人が落ち着ける書斎や図書館」で、実際の客層も中高年が目立つのに対して、表参道店は幅広い世代のお客が足を運ぶ。
「インターネットで簡単に商品が選べる時代ですが、わざわざ店舗にお越しいただき、商品を買って帰られるお客様に向けて、ホテルのコンシェルジュのような商品知識が豊富な店舗スタッフが接客に当たり、お客様のご要望に対応する商品を紹介します」(同)
以前の店に比べて商品陳列も変わり、取材に訪れたメディアからも「スタイリッシュになりましたね」と言われるそうだが、それ以上に「実際に手に取り、自分に合ったカバンの使い勝手を見る」店づくりにこだわっている。
吉田カバンは創業以来、自社工場を持たず、社内のデザイナーと外部の職人が1対1で向き合い、カバン製作を続けてきた。カバンの原材料は世界各国から調達するが、生地や部材選び、裁断や縫製といった作業を行うのは、すべて日本国内の職人。本当の意味での「メイド・イン・ジャパン」を追求し、その手法で全商品を作り上げる。
●社是「一針入魂」の“見える化”も行う
表参道店のもう1つの特徴は、店奥のガラス越しに職人が作業していることだ。訪れる日によって職人は替わるが、若手の男性と女性、ベテラン女性の3人が作業を行う。
ベテラン女性の名前は、野谷久仁子氏。創業者・吉蔵氏の次女で、10年にわたり直伝のカバン製作を父から学んだ。『手縫いで作る革のカバン』(NHK出版)、『いちばんよくわかる はじめての革手縫い』(日本ヴォーグ社)などの著作も持つ。普段は浅草・今戸の工房で作業するかたわら手縫い教室も主宰するが、表参道店でも作業を行う。
若手世代の男性と女性は、吉田カバン製作部に所属する社員だ。安藤学氏は入社後に、同社と長年付き合いのある職人のもとに常駐してカバン製作を学び、村林麗子氏も別の職人のもとで技術の腕を磨いた。今年に入って修業先から戻り、表参道店でも作業するようになった。日によっては、野谷氏の作業を横目で見ながら、よりいっそう技術を磨くことだろう。
そんな吉田カバンの社是は「一針入魂」だ。もともと吉蔵氏の口ぐせだった言葉である。以前、野谷氏は同社社員に向けて「カバン製作の講習会」も実施したが、受講者の感想で目立ったのが「一針入魂の本当の意味がわかった」だったという。
同社社員はもちろん、取引先の職人も、この精神を意識してカバン製作に取り組む。これまで多くの職人を取材したが、親子二代で作業を請け負う、そのうちの1人の作業場のホワイトボードには「俺がやらねば誰がやる」という言葉があった。現在も現役職人である父の書いた言葉だという。吉田カバンは自社商品の修理にも対応しているが、修理もこうした職人が担っている。
製造業がアンテナショップを運営するケースは珍しくないが、業種や企業によっては、イメージ戦略にとどまってしまう例も目立つ。
「作業の見える化」は、デパートの地下食品売り場や駅ビルの人気総菜店などでよく見られるが、「クラチカヨシダ 表参道」は、商品演出で「ブランド理念」を伝え、作業場で「企業理念の見える化」を図っている。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)