4月15日に夫で俳優の愛川欽也さんを肺がんのために亡くしたタレントのうつみ宮土理が5月10日、ついに沈黙を破り会見を開いた。「一度もごあいさつをしていなかったので、どこかでごあいさつをしなくてはと思って」と、愛川夫妻が私財を投じて2009年に建設したキンケロシアターで会見を開いた。
会見冒頭のうつみによるあいさつが終わり質疑応答となると、うつみは不自然なまでに報道陣の質問に噛みつくような発言を繰り返した。集まった報道陣は100人近く、民放各局にNHKのカメラもあり、民放のベテランリポーターが勢ぞろい。うつみが、最後は自身の介護と医師の往診を受けて自宅療養していたと語ったため、女性リポーターが最後の病床の様子を聞くと「そういうことは言えますか? 私が。悲しすぎて、そんな質問は酷です」と突然、目の色を変えて怒り出した。「37年の結婚生活で一番幸せだったことは?」という質問にも「全部です!」と語気を強めた。
また、「どうして入院させなかったのか?」という男性リポーターの質問にも「当たり前だからです!」と返答。「愛川さん本人の意思を聞いたのですか?」と聞かれると「何も聞いてません」ときっぱり。「愛川が家が好きって知っていたからです。病院に行ったら治るんですか? 愛川が家が好きってわかっていたし、私の隣が好きってわかっていたから。家に来てくれるお医者さんと一緒にがんばっていました。手を握ってずーっと、手を握ってずーっと」と訴えた。
さらに、亡くなった後の心境について女性リポーターが「どうでしたか?」と聞くと「どうでしたか? って、亡くなってるんですよ! それって、そういう質問ができるって、幸せな方ですね。そういう悲しさを経験したことがないから、幸せですね」と完全に喧嘩腰。
このほかにも「愛川さんはよく(自分たち夫婦の関係を)同志と言ってらっしゃいましたが」という他意のない質問に対しても、「あれは男の人の表現で、同志でもなんでも、私はキンキンといられさえすればいいんですから」と不快感を露わにした。さすがのベテランリポーターたちもかなり言葉の選択に気を遣ったようだが、「大きな支えを亡くされた今……」と問いかけられると、「私に支えがないと思ってらっしゃるんですか?」と最後までつっかかる始末だった。
●喧嘩腰会見の背景とは
うつみが約1カ月ぶりの公の場で見せたこの奇行めいた言動には、さまざまな臆測の声が飛び交っている。女性誌のベテラン記者は語る。
「うつみさんは、愛川さんが前妻と離婚した翌日に再婚。当時はもちろん『略奪婚』と呼ばれましたよ。だからうつみさんも1年間は仕事をできなかったが、その後はうまいこと“おしどり夫婦”として長年芸能界を生き抜いてきたのです。しかし、その実態といえば、愛川はお酒やギャンブルなどをやらない代わりに、度重なる女性問題でうつみを悩ませ続けていました」
実際に愛川は、2003年には「フライデー」(講談社)に23歳年下のマネージャーと、07年には「フラッシュ」(光文社)にキンキン塾所属の44歳年下女優との不倫が報じられている。72歳にして“現役”を世にアピールする格好になったこの不倫報道にも、当時韓国留学中だったうつみは、愛川から電話で報道についての報告を受け「あんたカッコいいじゃん。世間は“現役”だと思うよ」と言ったことを公の場で明かし、器の広い妻として強い印象を与えた。
しかし、愛川がこの世を去ったことで、突然豹変したようにその余裕をなくしたのはなぜか? 2人と一緒に仕事したこともある民放テレビ局関係者は語る。
「うちのアナウンサーも生前愛川にお世話になったからと、愛川さんが亡くなって10日ほど経ってから自宅に弔問に行ったそうですが、うつみさんから『まだ人に会えるような状態ではないから』と断られたと言っていました。おそらく、親交のあった芸能関係者にも皆そうなんでしょう。10日の会見の様子は映像で見ましたが、あんな真顔で逆上するうつみさんは初めてみました。うつみさんには大きな遺産問題が残されているのではないでしょうか。キンケロシアターも私財をはたいてつくったもので、現状収益を上げられているとは言い難いですし、うつみさん自身も最近は精力的に仕事をしているわけでもありません。遺言次第ですが、愛川さんの前妻との間の長男と長女にも遺産分けしなくてはいけないでしょうし、そこに愛人も口を出してくる可能性もあります。あのうつみさんの気の動転ぶりは、喪失感というよりは現実的な死活問題とこれから戦っていかなければならないという気負いの現れなのかもしれません」
かつて多くの視聴者をその明るいキャラクターで魅了したうつみ。その笑顔を取り戻す日はくるのだろうか。
(文=編集部)