「スポーツターフ」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
快適に運動できる芝地のことで、これを整備する専門職人を「グラウンドキーパー」と呼ぶのは有名だ。
このグラウンドキーパーを20人(うち女性3人、平均年齢32.5歳)抱え、JリーグのFC東京と東京ヴェルディの本拠地である東京・味の素スタジアム(味スタ)、大宮アルディージャの本拠地である埼玉・NACK5スタジアム(NACK)などの競技場や、練習場の整備を担うオフィスショウ社長の池田省治氏は、国内屈指の“芝管理のプロ”だ。
実は、一口にスポーツターフといっても幅広い。ピラミッド型にあてはめると、頂点にはプロ選手がプレーする「ピッチ」(ゴールラインとタッチラインに囲まれた芝地部分)があり、一番下には幼児や小学生が遊んだり運動したりする「校庭・園庭の芝生」がある。
「多くの日本人は、芝生とは、『芝』という草を植えたものだと思っています。しかし英語では、植える草をgrass、刈り込んで絨毯のように仕上げた状態をturfと呼ぶように、本来芝と芝生は別ものなのです」(池田氏)
池田氏は、全米最大のスポーツイベントであるナショナル・フットボール・リーグ(NFL)の優勝決定戦、「スーパーボウル」試合会場のグラウンドクルーを1994年から21回務めている。今年2月1日に米アリゾナ州・グレンデールのフェニックス大学スタジアムで開催された「ペイトリオッツ対シーホークス」のスポーツターフ整備にも携わった。
●使用目的、管理予算、天候状態に合わせて整備する
現在、池田氏は国内では味スタやNACKのヘッドグラウンドキーパーを務めており、同社のスタッフが管理に携わる。これら以外にもJリーグチームの練習場や東京・駒沢オリンピック公園の総合運動場など、合計28面を管理している。
「フィールド管理の仕事には、使う人の目的、管理に割ける予算、天候の状態といった視点が欠かせません。ちなみに、プロサッカーチームの公式練習場は各クラブの責任者から委託を受け、競技スタジアムは所有者である自治体から委託を受けています」(同)
プロ選手が使う場合でも、試合会場と練習場では整備の仕方が違ってくる。試合会場はホームチームの選手が最高のプレーができるように整備し、練習場は見た目のよさよりも選手の頻繁な使用に耐えられるように整備を行う。
試合会場の芝は現在、「オーバーシード」と呼ぶ方法で養生する。
「例えば、東京の場合は7月ごろに冬芝が衰退して夏芝が復活します。
現在、夏芝は「バミューダグラス」、冬芝は「ペレニアルライグラス」系の品種を使うことが多いという。
試合前の整備は、天候にも左右される。例えば、次のようなやり方だ。
「日曜日にプロサッカーの試合が行われる予定で、金曜から日曜まで3日間雨が予想されるとします。芝の刈り高(長さ)が選手のプレーに影響するので、天候をにらみながらも、できるだけ直前に芝を刈る。雨予報の前にラインは引きますが、ラインが薄く見えづらくなるので、一瞬でも雨が止めば、もう一度ラインを引いて試合開始を迎えるという臨機応変の作業です」(同)
一方、選手の使い勝手を重視する練習場は、チームの成績で変わる。Jリーグの場合は、天皇杯やヤマザキナビスコカップ(ナビスコ杯)などのカップ戦でチームが勝ち進むと、練習場の使用頻度が増える。逆に、リーグ戦終了後に行われる天皇杯で早期敗退した場合はシーズン終了となり、その後も管理は続くが、練習は翌年の始動時まで行われない。
●「伝説のグラウンドキーパー」に師事して腕を磨いた
1952年生まれの池田氏は、武蔵工業大学(現・東京都市大学)の土木学科を卒業後、大手ゼネコンに就職。その後イベント会社への転職を経て起業し、イベント運営を手がけていた。そんな池田氏に転機が訪れたのは89年のことだ。
現在87歳のトーマ氏は、67年の第1回のスーパーボウルから全大会に参加する、米国で最も有名なグラウンドキーパーだ。メジャーリーグベースボール(MLB)の殿堂入りも果たした伝説的な人物でもある。
89年8月5日、NFLのプレシーズンマッチである「アメリカンボウル」が東京ドームで開催されるに当たり、同年3月にトーマ氏が来日して、両チームの練習場を探し始めた。同大会にイベント運営で関わっていた池田氏に、この練習場確保の仕事が回ってきたのだ。
練習場に対するNFLの要求は「天然芝のターフが2面あること、選手の宿泊先となるホテルニューオータニから30分以内」という条件だった。
「国立競技場や代々木競技場、そしてホテルに近い上智大学と交渉したが不調に終わり、結局、織田フィールド(代々木公園陸上競技場)に芝を植え、試合までに造成・管理することになりました」(同)
こうして芝生と関わり始めた池田氏は、トーマ氏の背中を見て作業を学び、彼の帰国後も引き続き練習場の管理を担当した。悩んだ時は国際電話で現状を報告し、指示を受けながら芝の管理作業を行った。
これ以降もトーマ氏に学びながら芝生整備を担当し、立地条件の違うさまざまな芝生と向き合い場数を積んだ。やがて、当時スーパーボウルのヘッドグラウンドキーパーだったトーマ氏の推薦で、94年に同大会のグラウンドクルーに選ばれたのだ。
1試合のために1カ月前から芝を張り替え、時には上空にヘリコプターを飛ばし、ホバリング(停止飛行)しながらプロペラの風圧でフィールドを乾かすなど、競技場の整備にかける費用と手法に驚いたという。池田氏は、全米各地から集まった名グラウンドキーパーと一緒に作業に取り組み、自らの技術も高めていった。
その作業ぶりが認められ、以後20年以上スーパーボウルのスタッフとして、毎年渡米することになる。これ以外にもアメリカンボウルや、オールスターゲームである「プロボウル」などにも参加する。現在は社内研修として、毎回部下を同行させているという。
●「芝生文化」を根づかせる活動にも取り組む
冒頭に記した「校庭・園庭の芝生」についても紹介しよう。オフィスショウはアドバイザーとして、校庭・園庭の芝管理にも10カ所関わっている。
学校や幼稚園は、校庭・園庭の芝管理にかけられる予算が少ない。「その場合は、石などを取り除き、生えている草(グラス)を一定の長さに刈り込んでターフにすればいいのです」(同)。とはいえ、一度整備すれば終わりではなく、草は伸びるので、必ずその後の手入れが必要になる。そこで、担当する関係者に保全の仕方をアドバイスするという。
池田氏が校庭の芝生まで引き受けるのは、「日本に米国のようなスポーツターフ文化を育てたい」との思いからだ。周囲の理解も進み、スタッフも増えた。東京農業大学出身で在学中からグラウンドキーパーを目指してきた社員も目立つ。
池田氏の部下である女性グランドキーパーは次のように語る。
「この仕事は気象情報が欠かせません。天候によって人の動きも変わります。急な雨への備えも必要で、各練習場で作業中の同僚とは、携帯電話の気象情報をチェックしながら作業を進め、『いま(東京の)小平で雨が降り始めたから、もうすぐ大宮も降ると思うよ』などとやり取りします。思い通りにはなりませんが、自然の雨は散水よりも芝が生き生きとします」
とかく青々とした見た目だけが注目されるスポーツターフだが、芝の下にはさまざまな工夫が施されている。プロサッカーやアメリカンフットボールが好きな人は、試合観戦時に、こんな一面に思いを馳せながら芝を見てはいかがだろうか。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)