最終回の平均視聴率22.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、昨年10-12月期に放送された連続テレビドラマのなかでダントツの人気を得て、老若男女を問わず幅広い層に支持され話題となった『下町ロケット』(TBS系)。
2013年の『半沢直樹』、14年の『ルーズヴェルト・ゲーム』に続く池井戸潤原作ドラマとして、これら2作と同じTBSのドラマ制作チームが世に送り出した番組である。
制作チームの要となる演出・福澤克雄氏は、「視聴率を上げようと思うと、自分がいいと思ったものを作れなくなる」との思いから、自身が本当にいいと思うもの、視聴者が観て良かったと感じられるものに、とことんこだわった。
そのような現場の熱い思いとともに、『下町ロケット』というドラマの魅力の本質を支えているのが、主人公である「佃製作所社長・佃航平」を演じた俳優、阿部寛の存在といえる。キャスティングの多くを担当した番組プロデューサーの伊與田英徳氏は、ドラマ制作が進むにつれ「航平は阿部さんにしか見えないというか、阿部さんが航平というか」と感想をもらし、阿部の俳優としての底力に目を見張った。
質の高いドラマ作品を連発するスタッフに絶大な信頼を寄せられる阿部寛。うさんくさい大学教授や古代ローマ人までも演じきる、わが国を代表する俳優のひとりであることはいうまでもない。
しかし、宇宙科学開発機構におけるロケット打ち上げに失敗し挫折した過去をもつ佃航平同様、阿部自身も、決して順風満帆な俳優人生を送ってきたわけではないのだ。
横浜市に生まれた阿部は、大学在学中の1983年、賞品目当てに応募したコンテストでの優勝をきっかけに、雑誌「ノンノ」「メンズノンノ」(共に集英社)のモデルとなる。たちまち圧倒的な人気を獲得し、当時の人気アイドル南野陽子の相手役として映画『はいからさんが通る』で俳優の道へ。
今では、ファッションモデル出身という経歴の俳優は少なくないが、当時は珍しかった。高身長と整った面立ちのために、映画初出演以降も「典型的な二枚目」の役ばかり与えられるようになっていく。記号的な役柄を演じることへのとまどい。
●レッテルを実力で引きはがす
転機が訪れたのは93年。30歳を目前にした阿部は、意を決して舞台作品を次の仕事に選んだ。劇作家であり演出家で直木賞作家としても知られたつかこうへいが、当時手がけた『熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン』に主演。
つかの舞台は、「役者再生工場」とも評されるほど、さまざまな俳優の演技開眼を促し、一皮も二皮もむけ成長した表現者を生み出す場として、業界では知られていた。阿部もまた、その舞台に自らの俳優としての今後を賭けたのだ。
それによって、殺人犯と対峙する警視庁の部長刑事でありながら、元オリンピック日本代表選手でバイセクシャルという難しい役に挑戦することとなる。脇を固める演技巧者たちが熾烈にしのぎを削る稽古場に身を投じ、二枚目を捨て、なりふりかまわず演じることに没頭。初日の幕が開くと、端正なマスクにド派手な化粧を施し、長身にドレスをまとって絶叫する阿部の姿がそこにあった。
そして、2006年。テレビでは二枚目俳優としてのイメージを完全に払拭する機会を得られずにいた阿部は、ドラマ『結婚できない男』に主演。
●阿部寛=佃航平
『下町ロケット』の第6話、ガウディ編の初回。自らの努力不足を棚に上げて設計図を批判する若手技術者に、山崎技術開発部長が言った台詞が、俳優として苦闘に挑んだ阿部の姿に重なる。
「お前の薄っぺらい紙みたいなプライドなんて、ウチの会社じゃケツを拭く役にも立たないぞ。そんなもの今すぐ捨てて裸でぶつかってみろ!」
現状を変えるために勇気をもって一歩を踏み出し、努力によって固い殻を打ち破り逆境を突破してきたからこそ、阿部寛の演じる佃航平には説得力がある。
「どこに行っても苦しいときが必ずある。そんなときは、逃げるな。人のせいにするな。それから、仕事には夢を持て」
さらに、佃航平が魅力的に感じられるのには、もうひとつ、理由がある。それは、阿部自身が中央大学理工学部電気工学科の出身で、在学中はエンジニアを志していたからだ。
「技術は嘘をつかない」
「ものをつくるってのはな、頭じゃない。手と心だ」
阿部寛という人間の生き様に裏打ちされて、佃航平の語る言葉は輝きを放ち、多くの人の心に深く届いた。
(文=堀雅俊/編集=アーク・コミュニケーションズ)