「『2020年に売上高5兆円』に再挑戦する」

 キヤノンの御手洗冨士夫会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)は昨年来、ことあるごとにメディアに、こう語ってきた。

 5カ年(16~20年)の中長期経営計画「グローバル優良企業グループ構想フェーズ5」では、連結売上高5兆円以上、営業利益率15%以上、純利益率10%以上(為替の前提は1ドル=125円、1ユーロ=135円)を目標に据えた。

この設定は、現在の対ドル円レートから見ると8円以上円安だ。キヤノンは輸出企業だから円安のほうが利益は膨らむが、新年早々から世界的株安のため為替は円高に振れ、御手洗氏の晩年の再挑戦は波乱含みのスタートとなっている。

●スマホに敗れたデジカメ

 キヤノンの売上高のピークは07年12月期の4兆4813億円。06~10年の中期経営計画「フェーズ3」に売上高5兆円を掲げたが、08年のリーマン・ショックによる世界不況が響き、10年12月期の売上高は3兆7069億円にとどまった。

 12年3月、会長兼CEOだった御手洗氏は社長も兼務した。異例ともいえる社長復帰は、「フェーズ4」(11~15年)の目標を達成するため、と説明した。

 だが、これも未達に終わった。15年12月期の連結売上高は3兆8200億円、営業利益は3650億円、純利益は2250億円の見込みだ。売上高の伸びは止まった。営業利益率は9.5%、純利益率は5.9%で、他社に比べれば相対的に高いが、「フェーズ3」の営業利益率10.4%、純利益率の目標6.6%より落ちている。

 10年前に日本を代表するエクセレント・カンパニー(超優良企業)だったキヤノンは、停滞の度を深めている。プロ用カメラやレンズ事業は依然として堅調だが、世界のトップシェアを誇ったデジタルカメラはスマートフォン(スマホ)の普及により売れなくなり、プリンターの販売も大幅に減少した。


●成長の柱に監視カメラ事業を据える

 キヤノンはBtoC(消費者向け)からBtoB(企業向け)へ大転換する。過去の栄光を取り戻すべく、「フェーズ5」で高い目標を設定した。売上高5兆円へ再々挑戦するキヤノンが成長の牽引役に据えたのは、監視カメラ事業だ。

 キヤノンは15年5月、街角や工場に設置されている監視カメラの世界最大手、スウェーデンのアクシスコミュニケーションズを3300億円で買収した。

 アクシスは1984年の設立で、ネットワークカメラを世界で初めて実用化した。ネットワークカメラは遠隔地から街頭や工場内などを監視する機器だ。179カ国・地域に進出し、14年12月期の売上高は770億円に上る。

 ネットワークカメラ市場の規模は4600億円だが、周辺機器を含めると1兆6000億円で、18年には3兆円近くになるとみられている。キヤノンは自社のカメラをアクシスに供給し、相乗効果を高める。

 キヤノンは5兆円の売上目標を当初の10年から15年まで5年間延長したが、それも達成できなかった。御手洗氏は、その責任を取らず20年まで再延長することにした。1月27日、キヤノンは真栄田雅也専務を社長兼COO(最高執行責任者)に昇格させる人事を発表したが、御手洗氏は会長兼CEOにとどまるため、実質的な経営トップは御手洗氏のままだ。


●社長時代は8期連続で最高益を更新

 御手洗氏は1961年に中央大学法学部を卒業後、叔父である御手洗毅氏らが創業したキヤノンに入社。23年間米国に駐在し、後半の10年間はキヤノンU.S.A.の社長を務めた。95年、毅氏の長男の肇氏が急逝したため、キヤノンの社長に就任した。2006年までの11年間、社長として経営を主導した。

 御手洗氏の経営手法は驚くほど地味である。カリスマ性もなければ、周囲が驚くような奇手奇策は一切ない。絵になるような名経営者像とは、ほど遠い。利益最優先を徹底し、製造業の本分である「ものづくり」を極めた。製造業の経営者の模範的な優等生である。

 事業の「選択と集中」を実践した。パソコンなどの赤字事業から撤退し、プリンター向けのインク、トナーカートリッジなどのオフィス機器とデジタルカメラに経営資源を集中。その結果、連結決算の営業利益、経常利益、当期利益は8期連続で最高益を更新した。


 御手洗氏の社長時代の実績は申し分ない。デジタルカメラは世界ナンバーワンになった。在任中に連結売上高は1.5倍、営業利益は2.6倍に拡大。営業利益率は15.5%と欧米の有力企業に引けを取らない水準に引き上げ、株価は4倍強にはね上がった。時価総額(株価×発行済み株式数)は、製造業でトヨタ自動車に次いで第2位になったこともある。キヤノンはエクセレント・カンパニーの代表選手となり、御手洗氏は名経営者と賞賛された。

●晩節を汚す?

 06年5月、御手洗氏はIT業界から初の日本経済団体連合会(経団連)会長になったのを機に、キヤノンでは社長から会長に退いた。経団連会長を2期4年務めた後、キヤノン会長兼CEOとして第一線に復帰し、12年3月には社長を兼務。だが、社長時代の輝きは戻ってこなかった。

 世の中は10年単位で大きく変わる――。これは御手洗氏の持論である。「今、通用している経営手法は、次の時代にまったく役に立たなくなる。
今までとは違った人によって、違った仕組みをつくらねばならない」と主張してきたのが、ほかならぬ御手洗氏だった。いわば、社長復帰は持論に反するものだった。

 キヤノンの中興の祖と呼ばれた賀来龍三郎氏は、御手洗氏に経営を譲って会長からも退いたとき、引退を決断した理由をこう語っている。

「(年をとると)最後に残る楽しみが会社だけになってしまう。(私も年をとった)今では御手洗(毅)前会長が身を引くことができなかった理由がよく分かる。世間一般の企業でも年寄りが辞めない理由がよく分かる。私も、もうあと数年たてば自分での引退の決断をできなくなっただろう」(「週刊東洋経済」<東洋経済新報社/1997年3月15日号>)

 御手洗氏は、賀来氏のように自ら引退するタイミングを逸した。経営トップの最も重要な仕事は「後継者選び」といわれている。経営者の責務である。だが、引き際は難しい。名誉と権力と金銭的報酬が伴う地位を自ら退くことは、容易ではない。

 ワンマン経営者には、誰も首に鈴をつけることができない。
役員OBによると「御手洗氏は側近たちから皇帝のように扱われていた」という。取り巻きは「余人に代え難し。あなたしかいません」と口を揃える。

 もし20年まで続投すれば、25年間も経営トップの座に居座ることになる。「老害」と陰口を叩かれ、晩節を汚すことになる懸念が強い。御手洗氏が最も輝いていたのは社長時代の11年間だった。
(文=編集部)

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