2月2日、覚せい剤取締法違反で逮捕された元プロ野球選手の清原和博容疑者。長年にわたって覚せい剤に溺れていたことがうかがえ、ただでさえ覚せい剤は再犯率が高いだけに、今後の更生は生半可な覚悟では難しいと思われる。
「それでも、誰かが手を差し伸べてやらないといけない。彼は、誰もが憧れた長嶋(茂雄/読売ジャイアンツ終身名誉監督)さんや王(貞治/福岡ソフトバンクホークス取締役会長)さんと同じく、今の若い選手たちが憧れたスーパースター。子供たちに夢を与えてきた男なのだから、更生したら、野球人として一生懸命野球を教える。そういう道を与えてやらないとダメだ。
当面はプロや高校からは声がかからないかもしれないけれど、少年野球でもいいじゃないか。それこそ、本当に『泥水を飲む覚悟』で“野球人の原点”に戻るべきだ」
こう語るのは、「現役時代から清原ファンだった」という元プロ野球選手の愛甲猛氏(ロッテオリオンズ<現千葉ロッテマリーンズ>、中日ドラゴンズで活躍)だ。
愛甲氏は2009年の著書『球界の野良犬』(宝島社)の中で、こう書いている。
「ライバルチームの選手ではあるが、俺はキヨのファンだった。ヤツは言葉にウソがなく純粋である。グラウンドで対峙しながら『打て!』と願った打者は、オチさん(落合博満/中日ゼネラルマネジャー)とキヨだけだ」
その愛甲氏が、再び清原容疑者への思いを語った。
「同じ甲子園優勝選手といっても、俺とは格が違いすぎる。特に、打撃力はまぶしいものがあったよ。
中学時代から暴走族に憧れ、湘南界隈では名の通った人物だった愛甲氏は、若き日の清原容疑者について、「野球では何倍もすごい後輩であり、不良に憧れるにおいも感じていた」と語る。
●清原容疑者の悲劇の始まりとは
「俺のように不良時代に貧乏だった男と違い、キヨはごく普通の家庭に生まれて不自由なく育った。プロ入り後も結果を残し、FA(フリーエージェント)移籍した巨人で初めて大きな壁にぶち当たった。その時、すでに何億円も持っていて、同時にヤクザ社会に憧れていた。その結果、近寄ってくる人の“判別”ができなくなり、食い物にされてしまったんだ」
金目当てに近づいてくる人物の素性を見抜けなかったことが、「キヨの悲劇の始まりだった」と、愛甲氏は寂しげに続ける。
「俺は引退後にVシネマでヤクザ役をやったことがある。その打ち上げパーティで、ある親分さんに『ワシらの世界の人間とは、付き合ってはアカン』と教えられた。昔はそういう侠客も残っていたけれど、今は素人を食い物にしようとする輩が増えてしまい、キヨもその餌食になってしまった面もある。
この親分さんのみならず、横浜高校の渡辺(元智)前監督、張本勲さん(野球評論家)、落合博満さん、星野仙一さん(楽天野球団取締役副会長)、有藤通世さん(野球評論家)など、俺には『この人にはかなわない』と思える“抑止人”(よくしびと)が何人もいて、時にはぶん殴られて育った」
清原容疑者は、1985年のドラフト1位で西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)に入団する。そして、当時の堤義明オーナーの寵愛により「誰も叱れない存在」になってしまったことも、今回の悲劇を招いた一因といえるだろう。
「野球賭博問題もそうだけど、プロ野球選手は名前が売れるといろんな輩が金目当てに近づいてくる。
●現役時代に大乱闘で見せた弱さ
今さら書くまでもないが、素顔の清原容疑者は涙もろい男である。
寮生活のPL学園高校時代は、ホームシックにかかり、母親との電話で泣いた。試合で負けると、涙を流し続けながらバットを振り込んだ。西武時代には、日本シリーズで巨人を倒して日本一になる直前、グラウンド上で涙を流した。2008年の引退試合でも、子供のように泣きじゃくった。
また、清原容疑者は情にものすごく厚い。05年の盟友・佐々木主浩氏(野球評論家)の引退登板では熱い抱擁を交わし、自身の引退試合に駆けつけた金本知憲氏(阪神タイガース監督)には、その後恩返しをしている。
車椅子生活を余儀なくされたPL時代の先輩には、車椅子をプレゼント。現役時代にデッドボールを与えた投手が引退後に開いた店をお忍びで訪れるなど、人間性を表すエピソードには事欠かない。
分け隔てなく人と付き合う。
現在は子供たちに野球を教え、数多くの友人に囲まれている愛甲氏も、そんな清原容疑者に親近感を覚えると同時に、「いくつかの『弱さ』が目についた」と語る。その代表が、89年9月のロッテ戦で起きた、平沼定晴投手への“バット投げ事件”だ。
「あの時、俺は同じグラウンドに立っていたけれど、キヨはプロ野球選手の命であるバットを投げつけた挙げ句、うちのマイク・ディアズに追いかけられると、応戦することもなく逃げてしまった。後で涙を流さんばかりに謝っていたけれど、あれは喧嘩慣れしていない証拠だよ。
“番長”というフレーズに憧れはしたものの、素のキヨは弱い人間なんだ。そんなキヨだからこそ、一度クスリに手を出したら、やめられなくなってしまうのも当たり前。もっといえば、人間なんてみんな弱さを持っている。俺だってそうだ。弱さを自覚できる人は、少しでいいからキヨを理解してあげてほしい」
●実現しなかった、愛甲氏と清原容疑者の対談企画
遠い目をしながら、愛甲氏が続ける。
「引退してからキヨとは会っていなかったけれど、いろんな人から『キヨがおかしい』と聞いていた。2年ぐらい前、ある出版社でキヨとの対談が企画されたことがある。
「平成の怪物」といわれた松坂大輔投手(福岡ソフトバンクホークス)の豪速球を東京ドーム上段の看板にぶち当てたこともあるように、ここぞという場面での清原容疑者の勝負強さや爆発力は、落合氏も原辰徳氏(巨人前監督)をも凌駕した。
現役22年間で積み上げた本塁打525本は、歴代5位。長嶋氏や落合氏、松井秀喜氏(ニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザー)をも上回る本数だ。
80年代後半~90年代前半の西武黄金期は、1年目から4番に座った清原容疑者の存在なくしてはあり得なかった。その後から今日まで続くパシフィック・リーグ人気の礎は、清原容疑者によって築かれたといっても過言ではない。
「プロ野球への貢献度は、誰も追いつけないぐらいすさまじいものだったはず。野茂英雄(サンディエゴ・パドレス編成アドバイザー)、伊良部秀輝(故人、ロッテやヤンキースなどで活躍)、佐々木……名投手の誰もが、キヨとの対決を待ち望んでいた。キヨ見たさに、何人のファンが球場に足を運んだ? 豪快なバッティングは、どれだけメディアを賑わせた? テレビも新聞も、もちろんファンも、多くの恩恵にあずかったはずだ。それが、『報道』という名の下で手のひらを返す。プロ野球人として腹立たしい。
覚せい剤に手を出したことは、確かにどうしようもない行為だ。けれど、過ちを犯さない人間なんていない。球界におけるキヨの偉大さや貢献度を考えたら、『過去の過ち』として、一度は許してあげなければダメだ」
愛甲氏の言葉通り、どれだけの人が清原容疑者に憧れ、そして夢を与えられたか。覚せい剤をやめるのは並大抵のことではないが、今後更生することがあれば、その時は野球人として復活する道を閉ざしてはいけないはずだ。
罪を償った後の清原容疑者を救うことができるのは、芸能界でもバラエティ番組でもなく、野球であり、球界でしかない。それだけは確かだ。
(文=小川隆行/フリー編集者)