大手広告代理店の代理店手数料は、扱い額の「3割」だと聞いたことがある。クライアントとの関係や仕事の内容によっても異なるのだろうが、買い手を見つけられないコンテンツの売り手に対して、買い手との関係を取り持つことの価値はそのくらいあってもおかしくない。
いわゆる口利き料の相場とは、このくらいのものなのだろう。そう考えると、最近「口利き」が問題になった有力政治家の事務所が得た実質的な口利き料は案外安かったのかもしれない。
大学教授や作家、評論家などの、いわゆる「文化人」がタレント的な活動をする場合、マネジメント事務所に所属すると、事務所の取り分はギャラの3割である場合が多い。
筆者は、それほど多くないが講演の仕事をすることがある。講演の講師のキャスティングには、講演の依頼者側にキャスティングの事務所が入ることが多い。講師を探してきて、手配するのが彼らの仕事だ。この事務所が取る手数料も3割であることが多い。
たとえば、講演の依頼元が支払う講演料の予算が50万円である場合、キャスティング会社を通じて提示される講演料は35万円となる。キャスティング会社が介在する場合の講演料を聞いてみると、7で割り切れる数字(3割がキャスティング事務所の取り分になるので)になる場合が多い。
さらに、講師側にマネジメントの事務所が介在すると、こちらでも3割取るので、講師が手にする講演料は24万5000円となり、依頼元が支払う金額の半分を少々下回ることになる。7割×7割=49%なので、計算に間違いはない。
●事務所に所属することが割に合っていない人も
3割のマネジメント料が高いか安いかは、マネジメント事務所がどの程度ビジネスを増やしているかに依存する。
ちなみに、いわゆる文化人のテレビ出演料は、世間でイメージされているよりも高くない。時間当たり単価は、講演料の数分の一だ。民間の放送局の間では、通称「文化人価格」と呼ばれる、緩やかな談合価格が存在し、その価格は同じ番組に出演する芸能人の数分の一であることが多い。
売れている芸能人は、付き人から同事務所の売れないタレントまで食わしているので、妥当な価格設定だとも思える。テレビ局側から見ると、「文化人は、テレビに出して顔を売ってあげるので、講演の仕事を増やして、自分で稼いでください」といったニュアンスの価格設定だ。
マネジメント事務所に所属していると、依頼案件を断る時や、ギャラの請求をする時などに気が楽な面があるのだが、文化人にビジネスを依頼する側が、介在する事務所の有無によって依頼するか否かを変えるかどうかは微妙だ。トータルに見て、マネジメント事務所への所属が得になっていない文化人は少なくないのではないだろうか。
●厳しい職業作家
テレビ出演や講演で稼ぐ文化人よりも効率が悪いかもしれないのは、職業作家だ。永井荷風や夏目漱石の頃は、一般人の収入に対して作家の収入は相当に大きかった。原稿料は高かったし、作家はスターだったし、出版は成長産業だった。
職業作家として、そこそこに名の通った人、何年か前に有名文学賞を受賞していて文庫本も複数出ているようなクラスの人でも、印税と原稿料だけなら、一般の勤労者の平均所得(年収約400万円)とそう変わらないことが多い。
文芸の単行本だと、知名度や話題性がある著者でなければ、初版が5000部程度であることが多く、増刷にならない場合が少なくない。ノンフィクションや実用書でも事情は似たようなものだ。一冊が1500円としても、著者に入る初版印税は75万円にしかならない。増刷されて合計1万部売れても150万円だ。
雑誌などに定期的な連載を持ち、一定の原稿料を稼ぎつつ、これを単行本化してまた稼ぐ、といったワーク・フローを確立しないと、書き仕事だけで食べていくのは大変だが、このビジネス・モデルだと、有力雑誌の連載欄の数が食える作家の数の上限になってしまう。せいぜい数十人だ。
日本の作家の場合、「作家になりたい」という希望者は数多い一方で、そもそも「日本語」のマーケットが小さい。加えて、本を買う人口は、全体の人口減少以上のスピードで減っている。少なくともビジネス・モデルの改良は急務だ。
ミュージシャンの世界では、インターネットの影響もあり、CDがかつてほど売れなくなったので、ライブのチケットを値上げしグッズの販売を増やすなど、ビジネスの形態が変化してきている。ファンを集めた交流会的なイベントを催す場合もある。
また、かつてであれば、イベント屋やチケット販売会社に丸投げしていたコンサートのチケット販売を、昨今ではミュージシャンの事務所が直接行い、「中抜き」される手数料を節約するとともに、顧客のデータを自分達で持つ、ダイレクト・マーケティングを取り入れるようになってきた。
●ビジネスモデルの改善が急務
俗に「センセイ」と呼ばれる、講演や著述で食っていこうとする人々は、おしなべていえば、第一にそもそも営業努力が足りないし、第二にビジネス・モデルに工夫がない。結果的に大学の教師で食っていこうとする人が少なくないが(しばしば生徒には迷惑だ)、少子化で大学も衰退産業だし、大学教員の希望者が多くて、席を確保するのは大変だ。
センセイ業の人々は、対面サービス的な時間をつくって少数のファンを深掘りするか、ネットを使って広く・薄く課金(あるいは広告)できるモデルを考えるか、いずれかの方向を目指すべきだろうし、どのような方向であっても、顧客データを自分で持つことを考えるべきだろう。マネジメント事務所や出版社のアクションを漫然と待っているのでは、早晩ビジネスとして成り立たなくなる。
(文=山崎元/楽天証券経済研究所客員研究員、マイベンチマーク代表)