「もし朝が来たら 印刷工の少年はテンポイント活字で 闘志の二字をひろうつもりだった それをいつもポケットにいれて よわい自分のはげましにするために」(『さらばテンポイント』より)

 競馬というのは、ある側面では「ギャンブル」であり、「スポーツ」でもあり、人と競走馬との「ドラマ」でもある。特に日本においては、「ドラマ性」というのがよりクローズアップされる傾向が強い印象である。



 連綿と続く血脈、親子制覇や兄弟制覇、騎手との絆、陣営の夢、歓喜と悲劇……もちろんすべての国の競馬も同じ要素があるのだが、日本競馬というのは、ことさらこの競馬という競技に内包される「物語」を重視しているような気がしてならない。それが日本競馬が育んだ独特の「文化」で、本来貴族の遊戯であるこの競技が大衆に広まり、世界でも抜きん出た売上を記録する最大の要因といえるのではないか。

 では、この「文化」は、いったいどこから始まったのか。恐らくは、1970年代に起きた「第一次競馬ブーム」に起因すると思われる。

 大井競馬で無類の強さを誇り、中央に移籍して皐月賞、宝塚記念を勝利したハイセイコーが、このブームの立役者である。当時は高度経済成長が終焉を迎え、オイルショックによりインフレが起きた時代の転換点。

 そんな中で現れた「地方から中央に殴り込みをかける猛者」という分かりやすい構図に、閉塞感を感じていた大衆は酔いしれ、老若男女問わず競馬場に人が殺到。メディアでも1頭の競走馬をこれでもかと持ち上げ、「競馬といえばハイセイコー」の印象を植え付けるにいたる。実際ハイセイコーは当時としては「良血」の部類であり、豊臣秀吉のように「百姓から天下取り」というわけでもなかったようだ。この「地方から中央を制す」というのは、後のオグリキャップが巻き起こした「第2次競馬ブーム」でも同じ構図。このブームもバブル崩壊寸前の1990年周囲、転換点といえる時代に起こった。

 ハイセイコーが中央の強豪と真っ向勝負をし、ダービーに敗れ、不遇の時代を超えて復活する……ここで競馬は、当時の「一ギャンブル」から「スポーツ」「ドラマ」というエンターテインメントの側面をより強くしていったに違いない。
世代や性別を超えた認知度と人気を確立し、世間が不景気に陥っても競馬だけは好景気という「異常」な状況を作り上げるに至った。

 ハイセイコーの引退後、詩人、劇作家などその多才さで「メディアの寵児」とされる寺山修司は「さらばハイセイコー」という詩を残した。

「ハイセイコーよ お前のいなくなった広い師走の競馬場に 希望だけが取り残されて 風に吹かれているのだ」
「ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない ハイセイコーがいなくなっても すべてのレースは終わるわけじゃない 人生という名の競馬場には 次のレースをまちかまえている百万頭の 名もないハイセイコーの群れが 朝焼けの中で 追い切りをしている地響きが聞こえてくる」(『さらばハイセイコー』より)

 寺山は他にも競馬に関する詩を多く残しており、競馬と「人生」をつなげる作風が大きな人気を集めた。彼の存在もまた、競馬に「物語」を定着させた功労者の一人といえる。

 さらにその後、70年代前半に登場した「流星の貴公子」テンポイントで、競馬というものの「物語性」はより強固なものとなる。ライバルであるトウショウボーイとの幾重にもわたる激戦、念願の天皇賞勝利、TTG伝説の有馬記念、世界への飛翔を期待された中での重度の骨折、そして死まで。もはや大衆はテンポイントを「馬」として見てはいなかったのではないか。

 冒頭で記した「さらばテンポイント」も寺山の作品だが、テンポイントを見つめた名もなき人々の瞬間瞬間を写真のように切り取った作風で、大きな感動を呼んだ。

「もし朝が来たら 老人は養老院を出て もう一度じぶんの仕事をさがしにゆくつもりだった 『苦しみは変わらない 変わるのは希望だけだ』 ということばのために」
「だが 目をあけても 朝はもう来ない テンポイントよ おまえはもう ただの思い出にすぎないのだ」(『さらばテンポイント』より)

 70年代に起こった競馬という名の「ドラマ」。この流れを保ったまま、ミスターシービーやシンボリルドルフが登場し、80年代の終わりから90年代の始まりに現れたオグリキャップによって日本競馬はピークを迎える。武豊騎手の存在もあってか、その後も長らく二本競馬は好調を保った。

 現在の競馬は、当時ほどの「ドラマ性」という熱量は持っていないのかもしれない。
それはサンデーサイレンスの飽和や景気的側面など、様々な要因があるだろう。

 しかしこの数年、日本競馬は再び当時の「熱」を取り戻しつつあるように思えてならない。圧倒的な強さを誇ったディープインパクトによって一つの「区切り」がつけられた印象があったが、2010年代に入ってからは、オルフェーヴルの三冠に世界挑戦、ジャスタウェイの世界最高評価など、当時はなかったワールドワイドな活躍を日本馬が見せるようになり、国内でもゴールドシップなどの個性派がターフを沸かせた。

 そして今年、「史上最強」とすら言われる3歳クラシック世代、ドゥラメンテを筆頭とする「世界」を見据えた古馬が集結し、かつてない可能性にファンの心も躍っている。

 形は以前とは変わったのかもしれない。しかし、日本競馬が紡ぐ「物語」はこれからも続き、その「文化」は保たれていくだろう。本サイトは、この「文化」を発信し、競馬の魅力を伝え続けていきたい。
(文=長谷川敬 ギャンブルジャーナル編集長)

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