本連載では、武蔵大学社会学部助教の田中俊之氏が「男性学」の視点から、「男」をめぐるさまざまな問題についてお伝えする。前回記事で、田中氏はお笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世が自身のひきこもり経験を書き綴った『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)を取り上げ、同書に描かれる「生きるとは何か」「普通の人生とは何か」といった問題について論じた。
かつては、「大学を卒業→企業に就職→結婚して子供をもうける→住宅ローンを組んで定年まで働く」といった流れが「普通の男の人生」とされていた感があるが、男爵は「中学受験に合格→中学校で留年→引きこもる→苦し紛れに高校受験するも、不合格→五年間、二十歳まで引きこもる→大検取得→大学合格→二年足らずで失踪→上京→芸人として、下積み生活始まる→借金で首回らなくなる→債務整理→やっと一回売れる!!……そして、今」と、壮絶な人生を送っている。
今回、田中氏と男爵が対談を行い、男性の生き方からお笑い界の裏側まで、語り尽くした。連載特別編として、お伝えする。
●「勝ち組」がつくる「普通」の恐怖
田中俊之氏(以下、田中) 以前、男爵のラジオ番組に出演させていただいた時にもお話ししたのですが、僕の問題意識として、「“普通”って、けっこう大変なんじゃないか」というものがあります。そして、前回記事でも紹介したように、中年男性の約7割が「毎日がつまらない」と感じている現実がある。
学校を卒業して就職したら、最低でも1日8時間、週40時間は働く生活を40年間続けるわけで、年金の受給年齢が引き上げになったら70歳まで働かざるを得ない。また、「一家の大黒柱」になることで、生活費や住宅ローン、子供の教育費などがのしかかってくるため、ドロップアウトすることもできない。
結果的に、好むと好まざるとにかかわらず、卒業→就職→結婚→定年という一本道を進むしかなくなるのですが、ふとした瞬間に「先が見えてしまったむなしさ」が襲ってくるのではないかと思います。男爵の場合は10代の頃に「普通のルート」から外れてしまうわけですが、『ヒキコモリ漂流記』では、それを「人生が余ってしまった」と表現されていました。中年男性の例とは逆に、「先が見えないツラさ」がすごく伝わってきたんですよ。
山田ルイ53世(以下、山田) 「普通のすごろく」からちょっとでも外れてしまうと、やっぱり誰でもしんどいと思います。僕の場合、(名門校に合格した)中学入試まではよかったのですが、そこから規定のルートを外れてしまいます。
これは、田中先生の本を読ませていただいて共感したのですが、いわゆる「普通」って「勝ってる側」が決めているんですよね。歌でもそうですが、「あきらめないで」って言っているのは「勝ち組」の人なんです。「勝ってる側」がつくる「普通」を基準にされてしまうと、現実的に負けている人間としては「あぁ……しんどいな」となりますね。
田中 本の中にありましたが、中学をドロップアウトしてコンビニでバイトをしていると、「愛だ」「恋だ」「未来だ」みたいな歌ばかりが有線で流れてくると。
山田 さわやかで前向きな歌詞ばっかりですからね。それを聞いていると、まるで「悪魔祓い」でもされているような気になりました。当時は、そういうしんどさがありましたね。
●小学校の「神童」がコンビニバイトの日々
田中 本を読んでいても「これはキツいなぁ」と思ったのですが、地元のコンビニで働いているから、同級生が様子を見に来るんですよね。「あの成績優秀だった山田君が、なぜこんなところでバイトを?」という感じで。
山田 おそらく、同級生の家庭では、晩ご飯の時なんかに噂になっていたんでしょう。地元は、田舎の小さなコミュニティでしたから。「勝ち」と「負け」って相対的なものだから、負けている人がいないと勝っている人もいない。
田中 それは、社会学的な考え方でもあります。最初から「正しい」「普通」があるわけじゃなくて、「あれはおかしい」「あいつは間違ってる」と槍玉に挙げることで、「じゃあ、その反対側は“普通”だよね」と「普通」をつくり出す。「普通」を主張する側は、それを自尊心の糧にするわけですが、否定される側の人たちはたまったもんじゃない。結局、その後は引っ越されるんですよね?
山田 実家を出て、隣町でひとり暮らしを始めました。ほとんど引きこもっていたようなものでしたが、バイトをしていても周りに知っている人がいないという気楽さはありましたね。
ただ、それまでは「俺、めっちゃ勝ってる」という意識がありましたから。本のなかでは「神童感」などと表現しましたが、小学校では成績も運動神経もよくて、児童会長をやったりする中心的人物でした。その分、当時は「今はこんなザマか」というしんどさがありました。
●「一億総活躍社会」のバカらしさ
田中 先ほどの「中年男性の7割が人生つまらない」などは、男爵はどう受け止めますか?
山田 「なんで、みんなもっとあきらめないのかな」と思います。設定しているハードルが高いというか……。
何かをあきらめることで見えてくるものもあるはずなのに、あきらめること自体が「カッコ悪い」「恥」という空気がある。誰もが主人公にならなければいけないという、少年マンガみたいな発想に縛られ続けている。そういった刷り込みが足かせになっているような気がしますが、僕は「あきらめながらも、楽しく生きればいいじゃないか」と思います。
逆に聞きたいのですが、「仕事に生きがいを感じられない」「つまらない」と思っている人は、どうすればいいですか?
田中 最近は、会社が社員の副業を容認するケースも増え始めているのですが、そういった施策は突破口になると思います。副業でなくても、会社や家庭以外のコミュニティに属することは大切です。
自分のスキルや趣味が生かせるような場に参加して居場所をつくったり、「パパ友」をつくって保育園でヒーローになったりするのもいいと思います。足が速くても会社の仕事では生かせないですが、保育園では「○○君のパパ、足速いよね!」とヒーローになれる。「年収」や「出世」以外の軸を生活のなかに見いだすことができれば、「それがすべてじゃない」と思えるようになり、自分の人生は広がっていくと思います。
山田 それに、僕は「なんにも得意じゃない人」っていると思うんですよ。にもかかわらず、「みんな、何かが得意で何かの役に立つはずだ」と喧伝されているのがおかしい。
田中 なるほど。それはそのとおりですね。だから、「一億総活躍社会」っていわれた時に「恐ろしい」と感じるわけです。
山田 「嘘つけ!」ってことですからね。やっぱり相対的なものですから、みんなが活躍している状態は、逆に誰も活躍していない状態ですよ。勝つ人がいて負ける人がいるのに、「活躍」が普通になってしまうのは不健全な状態だと思います。だから、「一億総活躍」ってヘンな発想ですよね。
●人生、何度リセットしても生きていける
田中 日本は新卒一括採用で、学校出たての何もできない人材を採ってお金と時間をかけて育成して……という仕組みなので、一度でも道を外れた人は戻りづらいシステムになっているんですよ。
山田 親の教育方針で子供の時はファミコンやテレビがNGだったんですが、よく「ファミコンはリセットしたことないけど、人生はリセットしたことある」と言っています。今は「リセット=途中であきらめる、投げ出す」みたいに悪い意味でとらえられることが多いですが、僕は何度でもリセットしていいと思いますね。
田中 「何度リセットしてもいい」という考え方はすごくいいですね。会社員であれば、「チャレンジしたいけど、このキャリアを無駄にしたくない」「10年勤めたから、これからもこの会社で我慢しよう」と思ってしまうわけです。「リセットしたら、これまでの積み重ねがゼロになる」って。
山田 そういう執着って、いい方向に転がることは少ないと思います。どんな業界でも同じだと思いますが、お笑いの世界だったら、いつまでも「ルネッサ~ンス!」にしがみついていたらダメでしょう。一方で、例えば「アメリカでは中途採用が多いから、道を外れても戻りやすい」といった違いはあるんですか?
田中 例えば、出世レースの仕組みは日米で全然違います。アメリカでは、30歳前後で「もう、この会社にいても未来はないよ」と通告されるので、ある意味、答えが早く出るわけです。一方、日本の場合は40歳すぎまで結論が出ない。若い時は差が出ないようにして、長年かけて会社に忠誠を誓わせておいて、中年になってから「もう部長にはなれないよ」みたいなことになる。その年齢ではもう引き返せないし、転職も難しい。
これは「早い選抜」と「遅い選抜」といわれるのですが、日本では「出世はしないけれど、しがみついていれば死にはしない」という状態になりがちです。そして、結果的に「中年男性の7割が人生つまらない」ということになってしまう。
ただ、その時に一度「会社を辞める」という選択肢を描いてみて、「あえて残る」という結論に達すれば、単純に「しがみついている」という状態とは違って、仕事に対する新たなモチベーションが生まれてくると思います。
●ダメな自分を認めて、自分が天秤にかける
山田 そういう意味では、リセットもそうですが、「一度、きちんと自分をあきらめてあげる」ということが大事だと思います。「あきらめる」というのは「許し」でもあるので。
田中 「しがみつく=自己防衛」だから傷つく可能性もありますが、リセットして「自分が選ぶ」というほうが能動的ですね。「働く」「働かない」にしてもそうですが、何かにしがみつくよりも「自分で決める」という思考法が大切だと思います。「リセット」という言葉は、僕が書いてきた本の内容にもつながっていると思います。
山田 「天秤にかけられるのか、それとも自分が天秤にかけるのか」ということですね。
田中 みんな「自分は天秤にかけられている」と思っている。でも、見方を変えれば、自分が天秤にかけることも可能なんですよね。
山田 売れている芸人って、後輩でも同期でも先輩でも、やっぱりすごいですよ。みんな、売れているだけの理由がある。そこでも「あぁ、自分にはそういうものがないんだな」って、一度あきらめてあげないと次の一手がないですから。
田中 その話は清々しいですね。男爵の「リセット」「あきらめる」って、自分を許している感じがありますが、「ダメな自分を認める」ということにも通じるものですか?
山田 それも含まれると思います。
田中 だから、「引きこもっていた期間は無駄でした」って言い切ることもできるんですね。
山田 どう考えても無駄ですからね。家で鬱々としているよりは、友達と外で遊んでいたほうが楽しいだろうし。でも、みっともない話ですよ。「人生、“上がった”な」って思った時があったから、そういう考え方になったのかもしれませんが。
●山田「絶対、あなたの人生のほうがいい」
田中 「上がり」を感じた時は、いつだったんですか? そういう感覚を味わえるのって、ごく限られた人だと思います。世の中のほとんどの人にとって、一生ない感覚ですから。
山田 中学入試に合格した時と、一度売れた時ですね。ただ、僕は人生の「勝ち」と「負け」の総量って、みんな同じくらいだと思います。僕はバランスが極端なだけで、ずっと負けているところにドーンと売れた。これは確かに気持ちいいですが、そこまで大きな波でなくても、年に1回ぐらいはみんな幸せなことがあると思います。
だから、「どこでもらうか」というだけの話だと思いますよ。僕みたいにずっと負けていてドカンドカンと波がくるか、小さい波で勝ち負けを繰り返しながら生きていくか。僕は後者のほうがいいですけどね。大きい波が来る前に死ぬ可能性もありますから(笑)。
平々凡々と会社勤めをして地道にがんばっている人が派手な芸能人より何か劣っているとか、まったく思わないし、むしろ「僕も、幸せを小分けでもらえるプランにしたかったな」と思います。いきなりドーンって幸せをもらっても、使い方もわかりませんから。
田中 自分で自分を慰めるのとは違って、今の男爵のお話はすごく勇気付けられますね。多くの男性にとって、会社で働く自分を客観視するのは難しいことなので。
山田 読者の方には「絶対に、あなたのほうが僕より何倍もいい人生ですから」と言いたいですね。自分では「平々凡々」と思っているかもしれませんが、そういった方たちがいるからこそ、僕のような芸人が生きていけるわけですから。どっちがいいとかすごいとか、まったくないと思います。
(構成=編集部)