東京・渋谷駅のすぐ横に間口一間(1.8m)ほどの小さな居酒屋・バーが30数軒並ぶ、昭和の香り漂う居酒屋横丁がある。渋谷のんべい横丁だ。
昔は、なじみ客専門で一見さんは入りにくかったが、今はひとりで初めてでも気楽に入ることができる。私も通い始めてまだ数年だが、一晩で3~4軒と回りすでに20軒くらい入ってみた。店で初めて会った他のお客さんとも、自然に話が弾んで楽しい。
●のんべい横丁の魅力
・居心地の良いこじんまり感
横丁全体でも、小学校の教室2つ分くらいだ。昭和の雰囲気がある居酒屋横丁として有名な新宿西口の思い出横丁、吉祥寺のハーモニカ横丁などと比べても、ずいぶん小さい。店も、せいぜい6~8人くらいの客しか座れない狭さだ。
このこじんまり感がなかなかいい。横丁の真ん中の通路も、人が1列ずつでなんとか行き違える程度の狭い幅で、人があふれることもなく、ギラギラしたネオンも照り輝いていない。梅雨時などに、雨が暗い横丁をしとしと叩く音がしている中を歩いていると、いとおしい風情すらある。
・個性的
どれもとても個性的な店ばかりだ。
・仲の良い店と店
店同士の仲がよく、1時間くらい飲んでいると、一度は横丁の他の店の人がのぞいてきて一言二言マスターと話をしていく。隣の店の人が「ありがとうね」と言いながら、昨日借りたお皿を返しにきたりする。
私が通い始めた頃、店のマスターに「失礼ですが、この横丁ではほかにどこがお勧めですか?」と聞くと、「ウチの右隣と左隣、いいよ。ああ、向かいもいいねえ。どこもおもしろいから、色々行ってごらんよ」と。まあ、なんと鷹揚な。そのマスターによると、これだけ値段も料理も料金制も違っていて、中心になる強い組織もないのに、下手に競うわけでもなくお店同士が仲良くやっているのは、珍しいんじゃないかなあと。
・ひとりでも、一見さんでもOK
店同士の仲の良い優しい雰囲気が、お店の中のお客さん同士にも伝染しているように感じる。ほとんどの店では、ひとりでも初めて行く店でも問題ない。
・常連客のつくる雰囲気
おっかなびっくり初めて行っても、どの店にも必ずいる常連客が、緊張しているこちらに気を使って話しかけてくれたりする。
ある店では、店主が病気になったので、常連客が曜日交替でカウンターの中に入って運営をサポートしていた。資格も取ったという料理の腕も、大したものだ。そういえば、冒頭で紹介した「のんべい横丁サイト」も、ウェブ制作会社を経営する常連客が、ボランティアでつくった。ところが、横丁の店の人で、管理者の連絡先を知らない人がいたので、私が教えてあげたこともある。なんともゆるい街だ。
・「Since 1950」の歴史
戦後の混乱が残る1950年に、渋谷のあちこちにあった屋台をまとめて整備したときのひとつがこののんべい横丁の始まりだ。そのときに始めた人は、今や90歳以上になっているので、ほとんどが代替わりして、オーナーの子供の世代が中心だ。また、オーナーさんかその子供世代から店を借りて運営している若いマスターも多い。
北島三郎が3曲100円で流しをしていた時代もあったそうで、北海道の北島三郎記念館に当時ののんべい横丁が再現されている。
実は、一見さんにも優しく、店同士も仲良くなったのは、この10年くらいだという人もいる。バブルの頃はオーナーも若く店も儲かっていて元気一杯だったので、店同士のいさかいなどもあったという。有名人の常連客だけを相手にする店もあり、今ほど一見客に優しい店は多くなかったらしい。
立ち退きさせられる整備計画があるのかと、いくつかの店で尋ねたところ、外国人観光客に大変な人気なので、2020年の東京オリンピックまでは、なくすわけにはいかないだろうとのこと。確かに、渋谷ヒカリエの公演に来たブロードウェイの役者さんたちも通っている。店によっては、外国人客の相手を煩わしく思っているところもあるようだが、今となっては、外国人客が横丁の生命線かもしれない。
・中距離コミュニティの可能性
これからの日本の大都市圏では、中距離コミュニティが浸透していくような気がしてならない。近すぎず遠すぎない同じ沿線、同じ乗換駅を使う通勤圏程度の距離に住む人たちが、共通の趣味や嗜好によって仲間となる。普段はメールやSNSなどのネットで連絡を取り、月に数度実際に会う。
そういう中距離コミュニティが集まる場として、渋谷ののんべい横丁や新宿、吉祥寺などの各乗換駅にある横丁の飲み屋街が機能できる。そうなれば、変動の大きい外国人客への依存度を上げずに済むだろう。
中距離コミュニティは、特にシニア層に受けそうである。
しかし、コミュニティといっても、同じコンビニエンスストアやスーパーを使うほどのご近所様は、絶対に気まずくしてはいけない相手だ。心理的には、敬して、やや距離をおきたくなるのが、人生経験を積んだ人の常だろう。
とはいっても、日本各地に散らばっていてネットだけで連絡しているグループは、なかなか長続きが難しい。ネットの仲間でも、ある一定の頻度でオフ会など実際に会っていないと、グループの活動や会話に活力がなくなっていく。これは、パソコン通信の時代から今にいたるまで言われているネット上の定理のようなものだ。
中距離コミュニティは、利益や報酬を求めているものではなく、特定の趣味と人間関係とを楽しむ、拘束力の弱い、ゆるいグループだ。こうした中距離コミュニティでは、フットサルや野球のチーム、ヨガやピラティスのレッスン仲間、テニス友達、バンドのメンバーなどいろいろできる。
中距離コミュニティの興隆によって、さまざまなビジネスチャンスが生まれる。中距離コミュニティが集まる飲食店以外にも、その目的に合った物販の可能性もある。
中距離コミュニティに適合したネットメディアも出てくる。中距離コミュニティでは地域に密着したリアルなサービスの利用が多いので、リアルとの連動、それも地域のリアルサービス提供者との連動したメディアにならざるを得ない。その場合、サービスの内容が地域とテーマによってあまりに多様になる。そこで、各サービス事業者が自由にそのサービスに特化したアプリケーションをつくれるように開発環境をオープンにしなければならなくなる。そう、Facebookは、そもそも大学という中距離コミュニティ圏で育ったメディアであった。
●のんべい横丁の歩き方
【行く前の準備】
・4人以上は難しい
店の定員が少なく、予約できる店も限られているので、まずは大人数で行こうとしない。せいぜい3人、できれば、1人か2人がいい。どうしても大人数のときは、2階に座敷がある「やさいや」など、キャパが大きくて(といっても、10人くらい)予約のできる限られた店にトライする。この横丁では、大人数を受け入れられる店が数軒はあるそうだ。
・お手洗いの覚悟
横丁の共同のお手洗いは、工事現場や登山道なんかにある簡易便所だけだ。
・軽く食事を済ませてからもいい
がっつり食事をするという店は、下記の「食事OK系」の店に限られる。また、おなかいっぱい食べようとすると、思ったよりも高くなったりする。私は、渋谷駅の「本家しぶそば」か、表参道の「みよた」でそばを1杯食べてから横丁に立ちより、どの店でも軽いつまみと1、2杯飲むだけで長居せず、3~4軒はしご酒をして、楽しんでいる。
・のんべい横丁の店3分類
店は、次の3つに分けるとわかりやすい。最初に(1)の店で食事をしてから、(2)と(3)の店をそれぞれ1、2軒寄っていくのがお勧めだ。なお、私が行ったことのある店を中心に挙げている。挙げていない店は、私が行っていないからコメントしていないだけで、良し悪しとは無関係だ。
(1)食事OK系:そこそこのボリュームの食事がとれる
「やさいや」(鍋)、「なだ一」(おでん)、「まぐろ処」(魚)、「鳥福」(焼き鳥)、「ビストロダルブル(渋谷本店)」など。私はまだ行っていないが、「並木」「和かな」なども、食事がとれるという。ちなみに「まぐろ処」と「なだ一」は、兄さんと妹さんがお向かいの店でやっている。
(2)和風居酒屋系:和風居酒屋で、古い店は何十年という常連客もいる
「ふじまさんち」「えのき2(註:実際はローマ数字表記)」「会津」「紫水」など。「ふじまさんち」は、食事もあるので(1)と(2)の中間くらい。「紫水」は、映画やテレビのスタッフ関係者が常連客のお店。
(3)洋風バー系:比較的新しくできた、現代的なバー
「Bar calms」「Amulet-d」「Tight」「Bouteille」など。老舗の焼き鳥屋さんのあとに最近できた、「APPRE」は今風のバーのつくりで、日本のワインや日本酒を出す店で、「やさいや」の経営。
なお、外国の方をお連れするのであれば、「やさいや」「Amulet-d」だと、完璧に英語が通じる。他にも(3)の店であれば、若いマスターが多いので必要な会話はできる。
タイムスリップ感覚を楽しんでいただきたい。
(文=小林敬幸/『ビジネスの先が読めない時代に 自分の頭で判断する技術』著者)