江戸時代から庶民に親しまれてきた伝統芸能の落語。近年は、主に女性たちの間で落語がブーム化し、寄席に限らず、カフェやCDショップ、レストランなど、さまざまなスペースで落語会が開催されるようになった。



 しかし、落語を好きなのは女性だけではない。実は、経営者などのビジネスエリートにも落語を聴くことを趣味にしている人が多く、ビジネス総合誌『プレジデント』(プレジデント社)が2011年10月3日号で行ったアンケートでも、年収1000万円以上の679人のうち、半数近くの43.4%が「落語好き」と回答しているのだ。

 なぜ、高所得者に落語好きが多いのだろうか。『ビジネスエリートは、なぜ落語を聴くのか?』(日本能率協会マネジメントセンター)の共著者でオフィス・フォー・ユー代表取締役社長の横山信治氏は、「落語家とビジネスの成功者には多くの共通点がある」と語る。

●落語家とビジネスエリートの共通点とは?

 横山氏は、12歳のときに笑福亭松鶴に弟子入りし、最年少のプロ落語家として注目された経歴を持つ。その後、進学のために落語家は廃業し、大学卒業後は日本信販など多数の企業に勤務。東京証券取引所一部上場の金融グループでは役員や社長を務めた。

 その横山氏が、まず落語家とビジネスエリートの共通点として挙げるのが「空気を読む力」だ。

「どの世界においても、頭角を現すには『相手が何を求めているか』を感じ取る力を持つことが重要です。先日、6代目三遊亭圓楽師匠と対談させていただいたとき、『舞台に上がって、お客さんが何に興味があるのかを探りながら本題に入る』とおっしゃっていました。圓楽師匠は、『笑点』(日本テレビ系)をはじめ、テレビ、ラジオ、舞台……と、客層に合わせて見せ方を変えることができる達人。ビジネスでも、相手のニーズに応えることのできる人が成功する点は同じです」(横山氏)

 たとえば、この空気を読む力が必須とされるのが営業マンだという。
営業マンには、顧客の職業や年代など、多くの情報や要素を感じ取り、「相手が今、何を求めているか」を見定める目を持つことが、より重要となる。

「結婚式の主賓あいさつで長々と話すような人は、空気が読めていない人の代表例です。要領を得ない内容をダラダラ話されると、会場の空気が重くなってしまいます」(同)

 横山氏は『ビジネスエリートは、なぜ落語を聴くのか?』の出版にあたり、落語好きな年収1000万円以上のビジネスパーソンや会社経営者100人を対象にアンケート調査を行っている。その際に多く見られたのが「落語を聴くことでユーモアセンスが身についた」「笑いの要素を学ぶことでコミュニケーションスキルが上がった」という回答だ。

「彼らは『笑い』をビジネス上の重要なスキルと考え、落語を聴くことで笑いにつながる『間』のとり方、気の利いた言い回しを学んでいます。そして、緊張感のある会議や講演会などで、落語で培ったユーモアセンスを応用する。そういう人たちの講演は、やはり聞いていておもしろいと感じますね」(同)

●落語家の仕草をまねればプレゼン力がアップ?

 落語とビジネスの共通点には、空気を読む力だけではなく「プレゼン力」もある。落語を聴くことにより、多くの聴衆の前で話すときに求められる「惹きつける力」も学ぶことができるという。

「プレゼンテーションのポイントは、どれだけ聴衆を惹きつけられるか。その点でいうと、自分の体ひとつですべての登場人物を演じる落語家の仕草は、プレゼン時のパフォーマンスの参考になるでしょう」(同)

 横山氏によると、実は落語家がもっとも苦心するのは、落語のストーリーの暗記ではなく、この演じる際の仕草や目線を身につけることだという。

 落語は仕草や目線にこそリアリティが宿るため、落語家はそうした動きにもっとも気を使う。1996年に落語界2人目の人間国宝に認定された故・3代目桂米朝は、稽古のとき、弟子に「話し相手の身長はなんぼや? 大人か? 子供か?」と指導していたという。


「さすがに、ビジネスシーンでは目線の高さにまでこだわる必要はないでしょう。しかし、身振り手振りをつけてホワイトボードの前を歩く、といった動きを加えるだけでも、プレゼンでの印象は格段によくなります。映像で好きな落語家の動きを見て、その仕草をまねるだけでも、プレゼンの練習になるはずです」(同)

 もっとも、落語を映像や音声を通じて聴くだけで、すぐにビジネスに役立つ力が得られるほど甘くはない。横山氏は、落語家の仕草や目線に宿る「本物のすごみ」を味わうには、「やはり生の落語を聴くのが一番」と語る。

「ユーモアのセンスを養うだけなら、CDやDVDで落語を聴くのがもっとも手軽な方法でしょう。今は、3代目古今亭志ん朝師匠など、亡き名人たちの落語が収録されたCDやDVDが数多くあります。しかし、ビジネスに役立つプレゼン力を身につけたいなら、生で落語を聴くことをおすすめします」(同)

●初心者は寄席より有名落語家の独演会に

 では、生の落語に触れるには「どこで」「どんな落語」を聴けばいいのだろうか。真っ先に思い浮かぶのは、やはり寄席に行くことだが、意外なことに横山氏は「初心者には寄席はおすすめできない」と話す。

「寄席には漫才や紙切りなどの演者を含め、毎日10人前後が舞台に上がり、なかには洗練されていない新人落語家も多く出演します。そのため『つまらない』と感じてしまう人も少なくないのです。落語に慣れていない人は、まず世間的に『おもしろい』とされている落語家の独演会や、テレビに出ているような有名な落語家の落語会に行くといいでしょう」(同)

 ちなみに、横山氏によれば、東京で今一番人気があるのは柳家喬太郎師匠。この喬太郎師匠に限らず、多くの人が「おもしろい」と思う落語家に“ハズレ”は少ないという。


 そして、ビジネスに役立つ落語として横山氏が推すのが、「百年目」という噺だ。「百年目」は、堅物で有名な番頭が、職場の人にバレないようにこっそり遊んでいることを雇い主の旦那に知られ、暇に出されるかもしれない、と憂いていたところを「バカな遊びも人間の幅を広げる上では必要だ」と諭される人情噺である。

 前出の年収1000万円以上のビジネスパーソンや会社経営者100人を対象にしたアンケート調査でも、「聴いて参考になった噺」という質問項目で「百年目」がダントツだったという。

「『百年目』はリーダーに必要な資質を学べる噺なので、経営者の参考になるようです。ほかでは、『芝浜』『中村仲蔵』『淀五郎』なども上位に入りました。私自身のおすすめは、上方落語の『貧乏花見』。長屋住まいの男たちが、たくあんを卵焼き、お茶を『お茶け(おちゃけ)』と呼んで酒に見立てるなど、シャレを言い合いながら楽しく花見をする滑稽噺です。たとえビジネスを始める上で資金が足りなくても、発想次第で豊かになることを教えてくれます」(同)

 もちろん、落語は本来、難しいことを考えずに楽しむのが醍醐味だ。無理にビジネスシーンに役立てようとする必要はない。横山氏が「だまされたと思って、落語を一度聴きに行ってみてください」と語るように、生の落語を聴いて純粋に楽しむだけでも、きっと新たな発見が得られるに違いない。
(文=真島加代/清談社)

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