警察庁が公表している「運転免許統計」(平成28年版)によれば、国内の運転免許保有者の総数は約8220万名にも上る。
自動車教習所に通っていた頃は、慣れない運転操作の数々に悪戦苦闘しつつ、常に助手席で隣り合わせていた教官(正式には「指定自動車教習所指導員」と呼ぶ)とのやり取りを印象深く覚えている方も多いのではないだろうか。
ときに自動車は“走る凶器”と表現されることがあるように、不注意な運転は人の命を一瞬で奪ってしまいかねない。そのため、安全運転を徹底させるべく、厳しくも愛のある姿勢で教習生と接するのが教官の務めというものだろう。
ただ、教習所時代の思い出を語るドライバーのなかには、「高圧的な態度を取る教官に嫌気が差した」との意見も少なくない。
●存在意義さえ疑う「尋ねても教えてくれない教官」
そこで今回は、編集部が取材した教習所での体験談をいくつか紹介していこう。
「私はS字クランクに苦手意識があり、脱輪しないよう慎重に進もうと心がけていたのです。途中でバックしてしまっても、そのときの教官は辛抱強く付き合ってくれました。しかし別の教官は、ため息をついて『ゆっくりやればいいってもんじゃないんだぞ』と露骨に嫌そうな顔。脱輪したらしたで絶対に文句を言うくせに、あのときは結構なショックを受けたものです」(30代女性)
「路上教習中、信号待ちでふと助手席の様子をうかがうと、教官が目を閉じているように見えました。まさか居眠りじゃないだろうと声をかけたら、『君の運転は酔いそうになる』とぶっきらぼうな返事。どう改善すればいいのか尋ねても『それが自分でわからないようだから駄目なんだ』の一点張りでした。結局理由を教えてもらえず、『それを教えるためにあんたは存在してるんだろ!』と心の中で絶叫してましたね。ほかの教官に相談したら、ブレーキの加減が要因だろうと助言してくれたのですけど」(20代男性)
「その日の技能教習の感触が自分でも芳しくなく、先に進めるか気がかりなまま授業も終わりに近づいていたのですが、教官ときたら『(教習原簿に)ハンコ押してあげようかな、どうしようかな』なんて、わざとらしく声に出すんです。
「路上教習で、カーブを曲がり切れずに道端の草むらに突っ込んでしまいそうになったことがあるのですが、教官に『ほら、事故だよ、事故』と小馬鹿にされて腹が立った記憶があります。こちらはすぐにでも冷静な判断を取り戻さねばならないのに、教官が変に煽るような真似をするのは逆効果だと思うのですが」(40代男性)
「大学の夏休みを利用し、最短16日で卒業できるという合宿免許に参加していたのですが、最初の頃に一度だけ当たった教官がとにかく不愉快でした。場内教習中にハンドル操作をもたついてしまったとき、『延泊になりたいんですか!』と怒鳴ってきて。教習生の合宿日数を増やすかどうか自分の裁量で決められるからって、そんな脅迫めいた言葉を吐くのは卑怯だと思います」(20代男性)
●人間性さえ疑う「人格否定をしてくる教官」
ほかにも話を聞いてみると、教官の余計な一言に傷ついたという方が目立つようだ。
「私の教習原簿に目を通すなり、『なんでこの年になって運転免許なんか取ろうと思ったの?』と開口一番に聞いてきた教官。『大きなお世話だ、関係ないだろ』と胸の中で悪態をつかずにいられませんでした。私は当時40代でしたが、あの教官は私と同年代の教習生一人ひとりに、まったく同じ質問をしていたというのか?」(50代男性)
「学生時代に通っていた教習所での話ですが、授業の始まる前からあからさまにいら立っている教官がいて驚いたものです。助手席に乗り込んでくるや否や『さっさと発進して』ですから。途中、私がクラッチ操作に手こずっていると『さっきの大学生も物覚え悪かったし、最近の若いのはこんなのばっかりか』と愚痴られましたし、とばっちりは勘弁してくれという心境でした」(30代男性)
「教官に急ブレーキを踏まれてしまい、ほかの車が来ないところまで移動してから先ほどは何が悪かったのか説明を受けていたら、『本当に反省してる? リアクションが薄いんだよ』と冷たく言われました。確かに私は『はい』『すみません』といった返事しかできていなかったかもしれませんが、こちらだって動揺しているということを少しはくみ取ってくれないのかと」(20代女性)
「教習所の外を走っていた際、教官に『あの交通標識って、こういう意味でしたよね』と何気なく確認したところ、『そんなのも覚えてないの?』とあきれたように返され、もう口論に発展する寸前でした。わざわざ挑発しなくても、ただこちらの疑問に答えてくれれば済む話じゃないですか」(30代男性)
「縦列駐車のコツがどうにもつかめず、『ごめんなさい。
●教習生と教官の理想的な関係とは?
百歩譲って、その悪態や愚痴に運転の具体的なアドバイスが含まれているのならともかく、教習生に必要以上のプレッシャーを与えるような言動は感心できるものではないだろう。しかし、もちろんのこと、教習所で良心的な教官に巡り会えたというエピソードを持つ方もいるので、最後に取り上げておきたい。
「『将来、車を運転することはまずないだろう』と考えていた私ですが、高校を卒業して間もない時期に、親の指示で嫌々ながらも教習所に通っていました。消極的なスタンスでは案の定ミスを連発してばかりだったものの、『自分も昔は車なんて絶対に乗れないと思っていたけど、今はこうやって運転を教える側だから、人生は何があるかわからない』と励ましてくれた教官がいて、非常に心強かったものです」(40代男性)
「初めて路上に出たときは、いきなり事故を起こしてしまわないかと心配で仕方がありませんでした。でも、そのときの教官が『ちゃんと言うことを聞いていれば守ってやるから安心しろ』とリラックスさせてくれたんです。『自分もこの人に迷惑をかけるわけにはいかない』と、身を引き締めましたよね」(20代女性)
思うように自動車を乗りこなせずに悩んでいる教習生の立場になり、目の前の課題にどうやって取り組めば上達するかという近道を二人三脚で模索する――。それこそが教官の役割ではないだろうか。教習生のことを心から思って発した言葉の一つひとつは、生涯にわたって役に立つ安全運転のスローガンとなることもあるだろう。
(文=森井隆二郎/A4studio)