昨今、過重労働(長時間労働)や違法残業をはじめ、“働き方”に関するニュースが多くのメディアで取り上げられています。そのようななか、厚生労働省は6月8日、労働者と企業のトラブルを裁判に持ち込まずに迅速に解決する個別労働紛争解決制度の「平成27年度個別労働紛争解決制度の施行状況」を公表しました。
結果、労働相談の件数は8年連続で100万件を超え高止まりしていますが、その内訳ではパワーハラスメントを含む「いじめ・嫌がらせ」が6万6566 件(22.4%)で4年連続で最多、前年度より7%増でした。
この状況を、パワハラやいじめが増加中と問題視するのか、泣き寝入りせずに職場改善を求める労働者の動きが広がっていると前向きに取るのか、評価は分かれるところです。実際に年間1000人の働く人と面談をしている産業医の立場からは、パワハラが社会問題として顕在化してきていると解釈しています。
●なぜ、パワハラは問題なのか?
ハラスメントとは、一般的にいじめや相手の嫌がることをすることです。職場におけるハラスメントは、職場内での優位性を背景に業務の適正な範囲を超えて、精神的身体的苦痛を与える行為と考えられています。
ハラスメントを受けると、がんばっている人ほど自分が認められていないと傷つき、落ち込みます。そして、認めてもらえていないこと自体が孤独感を高め、他人に相談できなくなり、自分の存在価値を必要以上に落としてしまうのです。ひどい場合は、自殺に至るケースもあります。
それが、自分への否定、現状への否定、精神疾患を発症させるきっかけとなるのです。実際に私は、メンタルヘルス不調による休職者との産業医面談のなかで、ハラスメント被害を言いだせず、それが影響してメンタルヘルス不調になってしまった方を多数知っています。
厚生労働省も2012年に「あかるい職場応援団」というHPを立ち上げて、職場のパワハラ問題の予防と解決に向けて本腰を入れています。そして近年ハラスメントという言葉は、セクハラ、パワハラ、モラハラなど、人々の意識に定着しつつあります。
しかし、何をもってハラスメントとするのか、あいまいなことが多いのも事実です。同じことをしても相手がイヤだと思わなければハラスメントではありませんし、イヤだと思われたらハラスメントになるのですから、どうしてもハラスメントの定義や認定には、あいまいさがつきまといます。
●なぜ、パワハラが起きるのか? なくならないのか?
なぜ多くの企業において、いまだ職場のハラスメントがなくならないのか、その背景や理由について、年間1000人の働く人と面談を行っている産業医の立場から2つ述べさせていただきます。
1. ハラスメント加害者側の「無知」「無自覚」「想像力の欠如」
職場のハラスメントが減らないひとつめの理由は、「思いやり」や「道徳心」の欠如として片づけられないほど、その根はもっと深いと私は考えます。それは、ハラスメント加害者側の「無知」「無自覚」「想像力の欠如」です。そもそも、自覚を持って「相手をいじめたい」「ハラスメントしたい」と考える人はいないと私は信じます。
しかし残念なことに、他人にしてはいけないことを教わっていないから知らない人(無知)、自分の行為がハラスメントに該当することに気がついていない人(無自覚)、自分はそのような指導を受けてきてハラスメントとは感じなかったので同じ指導をしているという人(想像力の欠如)など、いろいろな人がいるのが現実です。
2011年、仙台市の運送会社にて、22歳の男性社員が自殺してしまう事件がありました。自殺の原因は上司のパワハラによるうつ病のためと、仙台地裁が労災を認定しました。自殺した男性社員は上司から足元に向けてエアガンを撃たれたり、唾をかけられたりしたそうです。
私は、このハラスメントをした上司自身が同じような指導を若い頃に受けてきたかは知りません。しかし、この上司は自分の行為が、部下にこのような気持ちを引き起こすという考えすらなかったのだと思います。
2. ハラスメントを組織が生み出している
2つめの理由は、ハラスメントを「組織が生み出している」ということです。もう少し正確に言うと、組織におけるストレスが、被害者を助けることができる可能性のある人たちを遠ざけてしまっている、ということです。
職場のなかには自分自身がストレスや、やらなければならない仕事でいっぱいいっぱいで、自分のしていることが見えていなかったり、自分のなかの思いやりの心に気づく余裕のない人が多くいます。同僚がハラスメント被害を受けていることを見て見ぬ振りして、あとになって後悔している人たちも多くいます。人は自分に余裕がないと、なかなか他人に優しくはできません。個々の社員のストレスの軽減もハラスメントを避けるためには必要です。
なかには、無意識・無自覚のうちにハラスメントを行っている人たちもいます。多くの場合、いじめる側(ハラスメントをする側)は、原因があるからハラスメントをするわけではなく、ハラスメントをするために原因を探しているのです。
また、人事部のなかでも、「あの部長の下に配属される人はすぐにメンタルヘルス不調になる」と認識されている上司もいます。たいていの場合、「原因は上司のパワハラ」などの原因までわかっていることが多いです。
ハラスメント加害者のことを複数人が認識していても対処しない・できないことは、私は個人を超えて会社としての責任だと思います。大切なのは、ハラスメント被害者が出た・気づいたときに、それを訴えるべき連絡先の開示や、実際の調査方法の確立などのルールやフローづくりでしょう。パワハラを誰はいつから認識していたのか、何かできることはなかったのか、連携体制はどうすべきかなど、これは決して犯人探しではなく、組織運営や企業文化の課題として扱われるべきでしょう。
●「声を上げられる仕組み」をつくることが大切
この記事を読んでいるあなたも、いつどこでハラスメント加害者として訴えられる可能性があるかわかりません。ハラスメントという言葉の普及とともに、ハラスメント対策研修なるものが多くの大企業では毎年開催されています。率直な意見を言うと、「ハラスメントになるから××はやってはいけませんよ」というような、“やってはいけないことを学ぶ研修”は、その効果のほどは評価しようがありません。研修の教えでハラスメントをしていないのか、単にそのような状況がないからハラスメントをしていないのか、わからないからです。
しかし、このような研修で「ハラスメント対策をした」としてしまっている企業はたくさんあるのではないでしょうか。社内研修等では、やってはいけないことに注目するだけでなく、うまくやっている人たちが何をしているのか、被害者を見たときや被害にあったときにどうすべきかなど、やってほしいことに注目することが大切です。今企業に求められるべきは、加害者にならないためのハラスメント研修だけでなく、被害者がアクセスしやすい社内通報システム(社内フロー)や、被害者を救うメンタルケア体制などの充実です。
職場におけるハラスメント問題は、解決策が簡単に見つかるとは限らず、また、思いやりの言葉だけでは片づけることのできない課題です。
人事労務に携わる人、いや、すべての働く人にもう一度、ぜひ職場で話し合っていただきたいと思います。
(文=武神健之/医師、一般社団法人日本ストレスチェック協会代表理事)