大王製紙は6月29日、四国本社の8階コンベンションホールで定時株主総会を開催する。この場で大王製紙と北越紀州製紙の3度目の対決が再燃することになる。
仕掛けたのは大王だ。4月12日、北越紀州と2012年に締結した5年間の技術提携を、期限である今年11月14日付で終了し、延長しないと発表した。これに対して北越紀州は「大王が一方的に通告したもの」と即日、反論した。
さらに、大王は技術提携終了とともに、次期役員候補を発表した。北越紀州から派遣されている社外取締役を株主総会後は置かないとして、社外取締役を務める近藤保之氏の退任案が記されていた。新任の取締役候補に北越紀州側の人物の名前はない。当然のことだが、北越紀州は「了解していない」と反発した。
17年3月期決算で両社を比較すると、大王は売上高4771億円、営業利益235億円。これに対して北越紀州は売上高2623億円、営業利益129億円。北越紀州の売上高は大王の半分だ。
だが、北越紀州は大王の株式を議決権ベースで21.65%を持つ筆頭株主だ(自己株式は控除、17年3月末時点)。大王は北越紀州の持ち分法適用会社という位置付けになる。
大王は北越紀州との関係を断つことを明確にし、これに北越紀州は猛反発した。北越紀州は、大王が15年に発行した新株予約権付社債(転換社債=CB)によって「株価が急落した」として、大王の取締役を相手取り88億円の損害賠償を求めた。
大王は、CB発行は紙おむつなど成長事業へ投資する資金を確保するためと説明している。一方、北越紀州は発行済み株式数を増やし北越紀州の出資比率を下げるのが目的だったと受け止めた。このため、北越紀州はCB発行に賛成した大王の取締役の再任は認めない方針だ。
●北越紀州は、いつまで大王株式を持ち続けるか
11年、大王の創業家出身の井川意高会長(当時)による背任事件が発覚した。意高会長はカジノに会社のカネを流用した。この事件を機に、大王の経営陣は脱創業家に舵を切り、意高氏の父親で家庭用ティッシュ「エリエール」の生みの親である井川高雄・最高顧問(当時)と対立。カジノ狂いした息子が使い込んだカネを、父親が尻拭いして払う破目になった。
12年、北越紀州が経営陣と創業家の仲介に立った。創業家が保有する株式を買い取ることで北越紀州が筆頭株主になった。06年、北越製紙(現・北越紀州製紙)が王子製紙(現・王子ホールディングス)から敵対的TOB(株式公開買い付け)を仕掛けられた時に、大王が支援してくれたことに恩義を感じていた、三菱商事出身の岸本晢夫社長が支援したのだ。
大王は危機を乗り切ると、今度は北越紀州と対立するようになった。北越紀州は大王と経営統合し、王子HDや日本製紙に続く業界の第三極を形成したいとの思惑があったが、大王は独立独歩の経営を主張、これを拒否した。
13年には大王の関連会社が北越紀州の株式を無断で取得したとして、北越紀州が大王の株主総会で佐光正義社長の選任に反対した。
15年には、北越紀州と三菱製紙の販社統合が破談になったのは大王が介入したためだとして、北越紀州は大王の株主総会で再び佐光社長の選任に反対した。同年には大王の転換社債の発行をめぐって、北越が大王の経営陣を相手取り損害賠償を求め、両社の対立はドロ沼化した。
17年は2年に1度の役員改選期にあたる。大王が北越紀州外しに動いたことから、株主総会を舞台に両社のバトルが再燃するのは間違いない。北越紀州は、今回も佐光社長の再任に反対するとみられる。
果たして、両社のドロ沼の抗争に終止符は打たれるのか。北越紀州は、佐光社長の退任を話し合いのテーブルに着く条件としたいところだが、佐光社長は強気の姿勢を崩していない。井川一族のうち、創業家の高雄氏以外の井川ファミリーの後ろ盾を得ているという自信があるからだ。
勝負どころは、年内に結審する予定のCB発行をめぐる損害賠償裁判の帰趨だろう。
北越紀州が創業家から持ち株を買い取った当時、大王の株価は400円程度だったが、今では1400円を超える。年初来高値は5月11日の1493円だ。北越紀州は筆頭株主になっていても、両社が経営統合に進む可能性がほぼゼロの状態では、投下した資金が“死に金”になっている。だが、大王株式を売却すれば、その資金を新たなM&A(合併・買収)に振り向けることができる。
株主総会を挟んで、両社の虚々実々の駆け引きが繰り広げられる。
(文=編集部)