富山市で創業し、富山市に本社を置く東京証券取引所第1部上場の総合機械メーカー、不二越の本間博夫会長が「富山生まれの人は閉鎖的な考え方が強いから採らない」と発言して物議を醸している。
県内企業や行政、学校は「侮辱だ」と猛反発。
発言があったのは7月5日、富山市の富山商工会議所ビルで開いた、不二越の2017年5月中間決算会見。本間氏は、富山と東京の2本社体制から、8月に本社を東京に一本化すると発表した。この過程で、問題発言が飛び出した。
「不二越は2020年に(売上高)4千億円を目指しており、うち約4割をロボットで担おうとしている。大きな飛躍を担う中で必要なのはソフトウェアの人間だ。特に不二越は機械メーカーのイメージが強く、富山には(ソフトウェアの人間は)まず来ない。富山で生まれて幼稚園、小学校、中学校、高校、不二越。これは駄目です、駄目です。変わらない。ことしも75名ぐらい採ったが、富山で生まれて地方の大学に行ったとしても、私は極力採らないです。
(中略)なぜか。閉鎖された考え方が非常に強いです。偏見かも分らないけど強いです。いや優秀の人は多いですよ、富山の人には。だけど私の40年くらいの会社に入っての印象は、閉鎖的な考えが強い。ですから全国から集めます。ただしワーカー(ブルーカラーの意味だろう)は富山から採ります」(北日本新聞記事より)
不二越は1928年に富山市で誕生した。本社を富山市に置き、社員の8割は富山出身者だ。その企業のトップが、富山県人は閉鎖的な考えが強いので注力する事業部門では採らない、ワーカーとしてなら採ると言い放ったのだ。
地元の企業経営者や行政は「富山県民を侮辱している」と怒り心頭である。富山県民全体を敵に回した発言は、百害あって一利なしだ。
東京生まれ、東京育ちの本間氏は、最後まで富山の風土に溶け込むことができなかったようだ。
●中国市場を開拓して赤字から回復
本間氏は1945年7月29日、東京都生まれ。青山学院大学経営学部を卒業、70年4月に不二越へ入社した生え抜きだ。99年に部品事業部長、2001年に取締役に就き、常務、副社長を経て09年に社長就任。17年2月に代表権のある会長に就いた。
切削工具、ベアリング、自動車用ロボットを展開する不二越は、好不況の波をモロに受ける。1964年には過剰設備がたたり銀行の管理下に入った。90代初めにはバブルに浮かれ、財テクに失敗して巨額の赤字を垂れ流した。リーマン・ショック後の不況で2009年11月期は32億円の営業赤字。16期ぶりの赤字転落だった。
09年、創業家出身で11年にわたり社長を務めた井村健輔氏が退任。非同族の本間氏が再建を託されて社長に就いた。
「週刊東洋経済」(東洋経済新報社/2011年6月25日号)が当時の本間氏の悪戦苦闘ぶりをレポートしている。
「国内に売り先がないとなれば、中国に活路を見いださざるをえない。営業担当の部課長クラスを次々、現地を送り込んだ。本人の意思は関係ない。言葉がわからなくても、とりあえず行け。『トイレで顔を見掛けたら、次、お前行くか、と。(嫌がって)泣いとるやつもおったね』(本間社長)」
本人の意思と関係なく中国へ行かされたことが社長と社員の溝を深めた。この頃、富山出身者に対して本間氏は「閉鎖的な考え方が強い」との印象を持つに至ったようだ。
本間氏は2016年8月、ロボットを核とした総合機械メーカーへの脱皮を宣言した。連結売上高を20年11月期に4000億円まで伸ばす目標を掲げ、その中核に位置付けるのがロボット事業だ。
近い将来、電気自動車(EV)や燃料自動車(FCV)の普及でエンジンや変速機の需要が細る。
今年2月、本間氏は社長から会長となり、薄田賢二常務が社長に昇格した。薄田氏が軸受けや工具部門、本間氏はロボット事業を統括する。
ロボット事業で先行するファナックや安川電機を追撃する体制を築くために、ソフトウェア関連の大卒を重点的に採用することにしたわけだ。「広く人材を求める」といえば済むことなのに、「富山県民は閉鎖的な考え方が強いから採らない」と不規則発言をした。
侮辱発言がテレビ、新聞、インターネットで広がり、不二越は悪い意味で知名度が全国区になった。
16年11月期の業績は円高で落ち込んだが、17年同期の連結決算の売上高は前期比9%増の2300億円、純利益は2.2倍の90億円を見込んでいる。
来年の就職戦線で、不二越が悪戦苦闘することは間違いない。地元・富山で会社説明会を開けるかどうかもわからない状況だ。
(文=編集部)