日本最古のレコード会社、日本コロムビアが7月27日に上場廃止になった。1910年に事業を始め、49年に株式を上場していた音楽制作の老舗。
一般的には「100年を超える歴史に静かに幕を下ろす」と表現するところだが、日本コロムビアの場合、そうはいかなかった。株式交換による子会社化に外資系投資ファンドが反対し、壮絶なバトルが繰り広げられた。
発端は3月28日、フェイスが株式交換を通じて日本コロムビアを完全子会社にすると発表したことによる。フェイスは日本コロムビアの株式の50.98%を保有しており、株式交換比率は日本コロムビア1株に対してフェイス株を0.59株割り当てるとした。
これに外資系投資ファンドのRMBキャピタルが「豊富な手元資金がありながら、新株発行と1株利益の希薄化を伴う株式交換の手法を選び、少数株主の利益を害する」として、TOB(株式公開買い付け)への変更を求めた。
RMBは6月1日、日本コロムビアの取締役会の賛同を得ることを条件にTOBを実施すると発表した。株式の買い付け価格は790円で、5月31日の終値の701円より12%高い。フェイスの5月31日の終値1191円を基準にすれば、日本コロムビアの理論価格は702円になる。RMBの提案価格790円は、これより10%以上高い。
日本コロムビアは6月14日、RMBからのTOB提案に対して、「企業価値の向上は認められない」とのコメントを発表した。この間、RMBはフェイス株の保有比率を6.02%、日本コロムビア株の保有比率を9.31%に高めて揺さぶりを強めた。
日本コロムビアは6月23日に株主総会を開いた。株式交換契約承認の議案は86.19%の賛成で可決された。フェイスの6月29日の株主総会でも、同議案は91.01%の賛成で可決され、フェイスによる完全子会社化と日本コロムビアの上場廃止が決まった。
●美空ひばりが所属していたレコード会社
日本コロムビアは1910年10月、日本蓄音機商会として設立された。昭和期には美空ひばり、石川さゆり、島倉千代子、都はるみ、藤山一郎、舟木一夫らの演歌・歌謡曲の大スターが多数所属していた。アニメ音楽についても70年代、80年代に数多くのタイトルを手掛け、日本のアニメ音楽の開拓者でもあった。だが平成期に入ると、若者に人気のJ-POPで出遅れた。ドル箱だった演歌・歌謡曲部門も、氷川きよし以外にヒット曲に恵まれず、経営不振に陥った。
日本コロムビアは長きにわたって、日立製作所が筆頭株主の日立グループの1社だった。旧第一勧業銀行の社長会「三金会」のメンバーでもあった。
2001年5月、日立製作所と旧第一勧銀の意向により、経営権を企業再生ファンドのリップルウッド(現RHJインターナショナル)に委ねた。
その後も、事業体制の再編が繰り返された。10年1月、RHJはコロムビア株式をフェイスに売却。フェイスは31.3%の株式を持つ筆頭株主となり持分法適用会社に組み入れ、日本コロムビアに社名を戻した。
14年3月6日、日本コロムビアは「両耳の聞こえない作曲家」として活動中にゴーストライター騒動を巻き起こした佐村河内守氏の名義で発売したCD『交響曲第1番 HIROSHIMA』について、見解を発表。「道義的責任を痛感しているが、法的な責任はない」とした。『HIROSHIMA』は11年7月に発売され、累計14万7000枚(オリコン調べ)を売り上げていた。クラシックとしては異例のヒットを続けていただけに、コロムビアにとって影響は大きかった。
騒動の最中の同年3月26日、フェィスは日本コロムビアの株式をTOBで50%超まで買い増し、子会社にした。買い付け価格は1株当たり780円で、買収額は28億8000万円。そして、今年8月1日付でフェイスの完全子会社となる。名門レコード会社が新興のネットベンチャーに飲み込まれたかたちだ。
日本コロムビアの上場会社として最後の決算となった17年3月期連結決算の売上高は前期比5%増の140億円、営業利益は57%増の18億円、純利益は70%増の16億円だった。15年以降は、『アイドルマスターシンデレラガールズ』の大ヒットをきっかけに業績を回復させていた。
『アイドルマスターシンデレラガールズ』はバンダイナムコエンターテインメントが開発した、アイドルが描かれたカードを集めてナンバー1アイドルを育てるソーシャルゲーム。その関連楽曲のCDを日本コロムビアが販売して売り上げを伸ばしてきた。
吉田眞市社長が8月1日付で代表権のない取締役副会長に就任し、阿部三代松取締役が社長に昇格する。阿部氏は1981年青山学院大学経営学部卒業後、日本コロムビアに入社。2017年に取締役に就任。現会長の平澤創氏(フェイス社長)は続投する。
(文=編集部)