今年3月から5月にかけて、首都圏鉄道網では痴漢を疑われた男性が線路内に逃げるケースが相次いだ。報道された事件だけでも、京浜東北線や埼京線を中心に10件の線路内逃走が発生、東急田園都市線の青葉台駅では男性が進入してきた列車にはねられ死亡したほか、JR上野駅から逃げた男性は近くのビルとビルの間で遺体になって発見された。



 線路に逃げるケースばかりが耳目を引くが、それ以外にも相当数の痴漢被害が日々発生している。警視庁がまとめた2013年から15年の卑わい行為(東京都迷惑防止条例5条違反)の分析データによると、被疑者が検挙された痴漢行為(身体に触れる行為)は全体で3736件あり、このうち約78%を占める2906件が列車内で起きていた。355件で第2位の検挙数となった「路上での痴漢」の8.2倍の多さだ。

 警視庁もウェブサイトで、「痴漢事件は、路上やほかの施設内でも発生」するとしつつ、「とくに電車内では狭い空間に多くの人が密集するという場所的特殊性から発生が多くなっている」と注意を促す。

 そして、被害者の約9割が警察に通報したり、相談することがないという。少し古いデータになるが、東日本大地震の前日(11年3月10日)に警察庁が公表した「電車内の痴漢防止に係る研究会の報告書」によると、「過去1年間に痴漢被害に遭った女性のうち、警察に通報・相談していない方が89.1%」を占めた。

 その上、警視庁は現在、列車内の痴漢事件の認知件数を「一切把握していない」(生活安全特別捜査隊の担当者)。警察活動の結果である検挙数はカウントしていても、被害通報や相談は誰も集計していないのだ。ちなみに、痴漢が多いといわれる路線については『沿線格差』(首都圏鉄道路線研究会/SB新書)でも触れているので、ご興味があればご参照いただきたい。

 これらの状況を総合的に見ると、痴漢にとって列車内は犯行が容易な上、本来危険なはずの線路内が無人の逃げ場になる「安全な犯行場所」ということだ。

●ホームドアで痴漢の逃げ道を防ぐ

 そうであれば、痴漢対策のためには、列車内やホームを痴漢にとって「リスクの高い犯行場所」にしてしまえばいい。満員電車をなくすことは鉄道事業者だけでは不可能だが、防犯カメラとホームドアで痴漢の逃げ道を塞ぐことはできるのではないか。
ホームドアは痴漢の逃走経路を限定する障壁としても機能するはずだ。

 車内防犯カメラについては、直近ではJR東日本が今年6月6日、山手線E235系の550車両に順次設置していくことを表明。同社以外にも、東京地下鉄(東京メトロ)と東京都交通局都営地下鉄が今年3月14日、東急電鉄は昨年3月25日に、保有する全車両への順次設置を明らかにしている。

 いずれもテロ対策や迷惑行為・犯罪の防止が目的で、2020年の東京オリンピック開催を見据え、警察との連携があるとみられる。

 車内防犯カメラが最初に設置されたのは、「電車内の痴漢防止に係る研究会」が発足する前年の09年12月。痴漢が多いことで問題となっていたJR埼京線を対象に、明確に「痴漢犯罪防止を目的」(JR東日本のプレスリリース)としていた。

 しかし、東京地下鉄や東京都交通局のような全車両への設置ではなく、埼京線の32編成のうち「痴漢犯罪が頻発している1号車(大宮方)」(同)のみ。

 京王電鉄も11年、警察の要請を受けて車内防犯カメラ付き車両を私鉄で初めて導入したが、2編成に計2両を配置するのにとどまった。

 先陣を切った埼京線と京王線だが、その後導入車両が増えたということはなく、両社の広報担当者は「現在も全編成の1号車のみ」(JR東日本)、「計2両というのは変わっていない」(京王電鉄)と話す。

 では、今後はどうなるのか。

 JR東日本は「(山手線を除く在来線について)セキュリティ対策全体のなかで、実施するかどうかも含めて検討している」段階だ。京王電鉄も「今後の導入は検討中」という。


 まずは山手線に痴漢対策の効果のほどを期待したいところだが、ホームドアも車内防犯カメラも、痴漢包囲網として機能するのはまだ先のことになりそうだ。
(文=佐藤裕一/首都圏鉄道路線研究会)

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