日本企業には、「役職定年」なる不可思議な制度が存在する。大手企業の約半数がこの制度を導入している。
定年は、年齢的に職務を全うできるのはここまでと線を引くもので、役職定年は、部長や課長としての職務を全うできるのはここまでと線を引くもの。また、役職者がいつまでもその任に就いていたら、下の世代の社員が役職者になれないので、一定年齢で強制的に退いてもらうという意味合いも大きい。本来は実力で登用も解任もすべきであるが、このあたりが日本企業的なところであり、賃金や昇進昇格もおおよそ年功序列であった一方で、役職からの解任も年齢で一律に切るということだ。確かに、社内人口の多いバブル入社組が50代に差し掛かっているため、年齢を引き下げて一斉退去でもしてもらわなければ、いつまでたっても下の世代は役職に就けないという事情もあるだろう。
このように、会社にとっては組織の若返り、新陳代謝を意図した制度ではあるが、当の50代社員にとってはたいへん複雑な気持ちに違いない。これまでがんばってきたのに、肩書きも権限もなくなるし、給料も下がる。やりがいのある仕事はできなくなる。もう会社から必要とされなくなるという思いを抱いても仕方がない。
役職定年であっても、定年と同様の喪失感を味わうことも多い。あるいは、会社に勤め続けながら、明確な役割を失う、居場所も失うということでは、より精神的なダメージは大きいかもしれない。役職を解かれて、それで何をするかといえば、関連会社へ出向というケースもあるが、多くは専門職等の扱いで、年下の上司の下で仕事をすることになる。アドバイザーやスーパーバイザーなど、よくわからない呼称を付けられたり、あるいは参事や理事という資格呼称が用いられることも多い。
●相次ぐトラブル
肩書きがなくなり、年下の上司の下で一兵卒となった管理職経験者たちは、職場でさまざまな混乱を引き起こしている。経験値は十分であるにもかかわらず、不本意にも中途半端な立場に置かれてしまった50代社員たちは、身の処し方がわからずにいる。年下の上司に従わず、衝突するケースも多くある。
また、管理職でないにもかかわらず、若手のメンバーに指示を出したり、育成しようとしたりするケースもある。実際に、役職定年となったベテラン社員である部下のいじめにあって、年下の上司がうつになってしまったという事象も発生している。
私自身、同世代ということもあり、他人事ではいられない。ビジネス人生の最終コーナーを回った後に、後進たちに迷惑をかけるようなことがあってはならない。これまで培ってきた知識や能力を正しい方向で活かすことを考えていかなければならないであろう。役職を解かれたといっても、年次的には組織の最上位に位置しているわけだから、こうした直面する諸々の状況に対して、頑なになることなく、あきらめもせずに、余裕を持って、穏やかに受け止めていくべきであろう。成熟した大人の所作を示すべき時ではないだろうか。
●目指すべきイメージ
映画『マイ・インターン』でロバート・デ・ニーロが演じる主人公のベンの所作はまさにそれだ。ベンは、シニア・インターンとしてファッションの通販サイトを運営する会社に採用された70歳の人物なので、日本で言えば団塊の世代より前の世代となり、バブル世代とはだいぶ離れてはいるが、学ぶことは実に多い。目指すべきイメージとしてはたいへんに近いのだ。
まず、ベンは誰に対しても穏やかに、丁寧に接する。いつもニコニコと微笑んでもいる。それから、とてもきちんとしている。
そうしたベンに、アン・ハサウェイが演じる、その会社の社長で、世間からも注目を浴びる成功した女性企業家であるジュールズは、「社会貢献の一貫で高齢者を雇用する」という社内の取り組みを把握しておらず、「あなたにお願いする仕事はないの」と言ってしまう。しかしベンは、大らかに受け止め、頼まれなくても、自分が役に立てることを探し、自分にできることから始める。こうした人物なので、徐々に誰からも頼りにされるようになり、ジュールズにとってもなくてはならない存在となっていく。
役職定年後の50代社員も、こうした成熟した大人の所作を見習うことができれば、60歳あるいは65歳まで頼りにされる存在として、組織に貢献していけるはずだ。役職定年後、立ち位置がつかめずに右往左往している感が現状ではあるが、上の世代のベテラン社員たちを下の世代の人たちは皆見ているのだ。そうした影響も考慮しなければならない。初めて直面する事態であり、ロールモデルとなるような事例もまだほとんどない状態である。
(文=相原/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント)