大阪桐蔭高校の連覇で幕を閉じた、選抜高校野球大会。優勝候補の筆頭校が圧倒的な強さをみせた今大会だったが、一方で、今年も「21世紀枠」での出場校は3校とも初戦で敗れた。
2001年から導入された21世紀枠を振り返ると、過去18年で48校が選出され、勝利を挙げたのは12校。通算成績は19勝48敗となっている。過去には準決勝進出を果たしたこともあるが(01年の宜野座高校<沖縄>、09年の利府高校<宮城>)、ほとんどが初戦敗退で、その内容に「地方予選レベル」「戦うチームもかわいそうだ」などの声もあがっている。
21世紀枠は、「秋季都道府県大会のベスト16以上(加盟129校以上はベスト32以上)」のうち、「部員不足」「狭いグラウンド環境」「豪雪地帯」などのハンデ克服や、ボランティアや地域貢献などの活動が重視されて選出される。いわば、「公立校救済」のような側面が大きい枠組みだ。
近年、私立校と公立校の実力格差は広がる一方で、甲子園は春夏とも「私立野球学校大会」の様相を呈しているだけに、21世紀枠=公立校の出場は多くの公立校フリークを喜ばせている。
しかし、21世紀枠の出場校が苦しい戦いを強いられているのも事実だ。
今年も、膳所高校(滋賀)が日本航空高校石川に0対10、伊万里高校(佐賀)が大阪桐蔭に2対14と大差で敗れた。昨年も、多治見高校(岐阜)が報徳学園高校に0対21、不来方高校(岩手)が静岡高校に3対12で敗退。それ以前も、小山台高校(東京)が履正社高校に0対11、大島高校(鹿児島)が龍谷大学付属平安高校に2対16など、甲子園常連校を相手に大差で散るケースが少なくない。
この状況に「見る側も苦しい」という意見がある一方で、「強豪私立に立ち向かう公立」は甲子園の醍醐味のひとつでもある。
●選手層も資金面も格段に違う、私立校と公立校
私立校と公立校の違いは、あらゆる面で明らかだ。
まずは、選手層。甲子園常連ではない公立校の多くは、エースひとりに頼らざるを得ない。07年に奇跡の優勝を果たした佐賀北高校のようにエースと背番号10の2人で勝ち上がるケースもあるが、ほとんどはエースが打たれたら試合終了である。
一方、私立校は2番手以降も充実しており、複数の投手で勝ち上がってくるのが当たり前だ。このあたりについては、「有力選手のスカウティングが可能な強豪私立と、普通の球児がほとんどの公立」という違いもある。
次に、資金面だ。公立校では、遠征費を稼ぐために部員が年賀状配達などのアルバイトをするケースも多いが、私立校は潤沢な部費に加えて親からの援助も少なくない。強豪私立ともなればピッチングマシンは5台あるが、公立校は1台がやっと……ということもある。
また、バットやグラブも常連校は野球用具メーカーから贈呈されるが(甲子園で使用されるとテレビに映り、広告効果が絶大となるため)、公立校は少ない部費ゆえ、格安の中古バットを大量に買うなどしている。
そして、指導者だ。私立校は理事長が「辞めろ」と言わない限り永久に監督を続けることも可能だが、公立校には教員の異動がある。地方の公立校では「半永久的」なケースもあるが、都市部の公立校では有力監督であっても異動が避けられない。
近年、高校野球のトレンドとなっている「食トレ」も、全寮制の強豪私立であればいくらでも食べさせることができるが、公立校の場合は食費が監督の自腹というケースもある。
以上、もちろん例外もあるが、私立校と公立校の間に大きな差が存在するのは確かであり、公立校の甲子園出場は30年前と比べて格段に難しくなっている。そうした事情に鑑みると、やはり21世紀枠は必要な制度ではないだろうか。ちなみに、日本高等学校野球連盟に加盟する約4000校のうち、約7割は公立校である。
●愛甲猛が提唱する、21世紀枠のレベルアップ法
横浜高校の投手として甲子園で優勝した経験を持つ元プロ野球選手の愛甲猛氏は、21世紀枠について次のように語る。
「21世紀枠自体はいいと思うけど、選ぶ基準をもう少し変えたほうがいいだろうね。今は社会貢献なども評価されるけど、甲子園という勝ち負けを決する場に出るわけだからね。『とんでもない負け方をして、野球部の汚点にならないかな』と心配になることもあるし、『なんであんなチームを出すんだ』なんて話になると、見ている側も楽しめないよ。
21世紀枠自体は撤廃しないほうがいいと思うけど、実力差がありすぎる試合を減らすような基準を設けたり、21世紀枠のレベルアップを図ったりするのはどうだろう。現状は高野連の胸三寸で選ばれていて、実力の見定めができていない気もする。
たとえば、候補校の枠を広げてトーナメントを組むのもいいんじゃないかな。全国の候補校を集めて試合をして、勝ち上がったチームを選ぶ。
愛甲氏が提唱する通り、秋の大会における敗者復活戦のような仕組みをつくれば21世紀枠の底上げにつながりそうだ。いずれにせよ、センバツの21世紀枠については今後も一考の余地があるだろう。
(文=小川隆行/フリー編集者)