●お互いに「本音」がわからない上司と部下

 働く人の相談業務をしていると「上司の本音がわからなくて怖い」というお気持ちが寄せられることがあります。もちろん「部下の本音がわからない」とお困りの上司もいます。

人は本音と建前を使い分ける生き物なので、「本音がわからない」はどの人間関係にもあり得ることです。

 ですが、近年では上司と部下がお互いの本音がわからなくなったという悩みが増えているような印象があります。人は人のなかで癒され、ときに傷つく生き物です。お互いの本音が見えないのは怖いもので、ストレスです。なぜこのようになったのでしょうか。これは近年の職場環境の変化と無関係ではないように思えます。
 
●ダイバーシティ(多様性)の功罪-活性化と一体感のトレードオフ
 
 近年、日本の企業改革のキーワードのひとつとして「ダイバーシティ(多様性)」という言葉が取り上げられています。スキルや働き方が画一化された従業員を多く集めるのではなく、得意もあれば不得意もある多様な社員を採ることで組織内に新しいイノベーションを生み出し組織を活性化させる取り組みです。多様な社員を採れば、社員のワークライフバランスに対する考え方もさまざまです。

 高度成長期の日本では企業はムラ社会に代わる生活保障の中枢を担っていました。生活基盤である「“カイシャ”に世話になっている」「一緒に盛り立てよう」という雰囲気が共有され、平社員から順当に主任、係長、課長……と“偉く”なっていくというモデルが共有されていました。上司は一種のロールモデルでもあり、今で言うメンター(心構えも含めた働き方の指導者)のような存在でもありました。


 しかし、ダイバーシティが進むなかで組織内でのステップアップを目指す人ばかりではなくなりました。自分の専門性が生きる仕事に集中したい人、経験値とスキルを身につけたら転職を考えている人、同じく独立を考えている人、仕事より自分らしい生活を大切にする人など、一人ひとりがまとっている“風”もさまざまになってきました。会社での身分も契約社員、有期雇用、業務委託、時間給勤務、など多彩になっています。ダイバーシティが進み従業員の価値観や働き方が多様化するなかで、一体感が失われつつある企業も多いようです。

●上司はロールモデルでもメンターでもなく……

 働く目的や労働条件が多様化するなかで、上司と部下の関係が複雑になっています。雇われ方も、企業へのロイヤリティも、仕事を通して求める価値観も違うので、上司がロールモデルやメンターの役割を果たしにくくなりました。高度成長期の「カイシャ」なら上司は背中(自分の仕事のやり方)を見せて、ときに仕事に対する自分の思いを語るだけでもそれなりに部下を引っ張れたものです。

 ダイバーシティの親展で企業は「適材」を確保しやすくなった一方で、職場の仲間意識や一体感が削がれやすくなりました。このような職場環境での上司の役割やあり方は喫緊の検討課題といえますが、上司の本音がわからないと気にしている部下のみなさんへのお答えは比較的シンプルです。

 それは、部下にとって不都合だけど、上司にとって必要なことを想像するということです。
 
 建前で隠す本音とは、往々にして誰かにとって不都合なものです。そして上司には管理職として企業から与えられたミッションがあります。
そのミッションに基づく本音を言葉にすると、次のようにいえるでしょう。

「みんな文句を言わず働いてほしい」
「業務も勤務態度もきちんと自己管理をしてほしい」
「少々嫌なことがあっても嫌がらずやってほしい」
「企業も自分も尊敬してくれ」

 最近は些細なことで「ハラスメント!」などといわれてしまうので、上司も厳しい態度でこのようなことは言いません。ですが、これらのことで気になることがあると上司は部下に対して評価的な視線、言い換えれば「本音のある視線」を向けることになります。

 部下のみなさんにとってはロールモデルでもメンターでもない上司かもしれませんが、上司の本音も職場のダイバーシティのひとつと思って察してあげてください。ダイバーシティが機能する第1歩はお互いの違いを認め合い、尊重し合うことだからです。これだけでも、あなたの職場の居心地が少し良くなるかもしれません。
(文=杉山崇/神奈川大学心理相談センター所長、人間科学部教授、臨床心理士)

編集部おすすめ