偉大なる鉄人・衣笠祥雄さんが亡くなった。広島東洋カープの内野手として活躍した衣笠さんは、最優秀選手(MVP)や打点王などのタイトルを獲得したほか、当時の世界記録となる2215試合連続出場を達成し、国民栄誉賞も受賞している。



 グラウンドでは常に真剣な表情で相手投手と対峙していたが、ひとたびグラウンドを離れると、いつも笑顔で、相手が誰であろうと同じように接する方だった。それは、私のような一介のタクシー運転手であっても同じだった。

●車内で感じた、衣笠さんの心遣い

 15年ほど前、東京・赤坂のTBS前に無線配車された私は、乗り込んできた乗客の姿に目を疑った。「南青山までお願いします」と丁寧な言葉遣いで行き先を告げたのは、私が小さい頃から憧れていた大打者・衣笠さんだったのだ。

 びっくりしながらも、緊張した声で「ご、ご指定のルートはございますか?」と聞き返すと、「運転手さんにお任せします」。これもまた、非常に紳士的な物言いだった。

 都内でタクシー運転手をしていると、芸能人やスポーツ選手などの有名人を乗せることは珍しくない。テレビ局からの配車であれば、なおさらだ。その際、多くの運転手は「○○さんですよね?」と声をかけるが、私はそうした言葉がけをしないようにしていた。有名人は、常に知らない人から声をかけられる。私が逆の立場だったら「静かに乗っていたいのに、うるさいな」と感じるかもしれないからだ。

 衣笠さんを乗せる3年前、読売ジャイアンツの某有名選手にそういった言葉がけをした際、その選手は「そうだけど? 悪いけど、運転に集中してくれない?」と話したくなさそうな雰囲気を全面に出してきた。
そのときの体験もあって有名人への言葉がけをしないようにしてきたのだが、このときだけは言わずにはいられなかった。何せ、子どもの頃からの憧れである衣笠さんだったからだ。

「す、すいません。衣笠さんですよね?」

 私は震えながら言葉をかけた。

 すると、「はい、そうです」と、野球中継で聞く声と変わらぬ元気なトーンで答えてくれた。

「子どもの頃からファンでした。お乗りいただき、光栄です」

「ありがとうございます」と返ってきたかと思うと、直後に次のような質問をされた。

「運転手さんは野球ファンですか? どこのチームが好きですか?」

「昔からカープです。衣笠さんの大ファンでした。巨人ファンだらけの小学校でひとりだけカープの帽子をかぶり、背番号3をつけていました。私にとって3番は、長嶋さんではなく衣笠さんなんです」

 そう答えると、「広島ではともかく、こっち(東京)では珍しいね。こちらこそうれしいですよ、ありがとう」と笑ってくれた。
バックミラーに移る笑顔は本当にうれしそうで、手に持っていた資料をカバンにしまうと、前かがみになって距離を縮めてくれた。

 車内の空気が一気に変わった。「短い時間だけど、お話をしよう」という意思が伝わってきたかと思うと、また衣笠さんが質問してきた。

「運転手さん、タクシーってどんなところが楽しい?」

「いろいろな人をお乗せするところです。僕は、人と話すのが好きなので……」

「それはいいことだね。僕も、現役時代はわからなかったけど、解説をするようになってから、野球界だけでなく違う世界の人との触れあいを持たねばと思っているんだ。違う世界の人との話のほうが、知らないことばかりで刺激的だしね。では逆に、つらいのはどういうところ?」

「ノルマですね。軽くクリアできる日もあれば、なかなか達成できない日もあって……」

「野球と同じだね。僕も、3安打も4安打も打てる日があったかと思えば、なかなか打てない日もあったしね」

●「あの夜は、ユタカのそばで大暴れした」

 私は、間を置かずに次のような質問をした。

「優勝した79年、衣笠さんがものすごいスランプに見舞われたとき、どんなお気持ちでシーズンを過ごされたのですか?」

「あのときは苦しかったよ。記録も意識していたけど、自分がチームの勝利に貢献できないばかりか、足を引っ張っていたからね」

「スタメンを外された夜、とても荒れたそうですね」

「よくご存じですね。
あの夜はユタカ(江夏豊)のそばで大暴れしたけど、結果的にはスタメンを外されて発奮できたし、優勝につながったと思っています。現役時代の大きな壁だったと思うけど、たぶん、人間ってそうした壁にぶつかることで成長していくんだろうね。運転手さんも、これからいろいろ大変なことがあるかもしれないけど、自分の信じたことに向かって突き進んでね」

 私の質問にきちんと答えつつ、気がつけば私のことを叱咤激励してくれていた。そうこうするうち、目的地に到着した。

「ありがとうございました。ものすごく記念になりましたので、お代はけっこうです」と告げたが、衣笠さんは「何を言ってるの。ダメだよそんなの。はい、これ」と、お釣りも受け取らずに降りていった。

 テレビ局からの配車なので、おそらくタクシーチケットを受け取っていたと思われるが、衣笠さんは自腹で支払った上に破格のチップまで置いていってくれた。

 その後、「また衣笠さんに乗ってもらえないか」と、空車になるたびに下車した場所を走ったこともあったが、再び鉄人の姿を見かけることはなかった。このとき、私はタクシーを辞めようかと迷っていたが、衣笠さんの言葉が胸に突き刺さり、今もハンドルを握り続けている。

 そのときに手渡されたお札は、今でも部屋に飾ってある。
人生に迷うたび、そのお札を目にして「2215回の乗務を目指す」と心に決めている。
(文=後藤豊/ライター兼タクシードライバー)

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