「ポーラ化粧品」で知られているポーラ・オルビスホールディングス(HD)で、創業家の骨肉の争いが再燃した。

 鈴木郷史社長が2000年に元会長の故鈴木常司氏からグループ会社の株式を譲り受けたことをめぐり、「譲渡契約書が違法につくられた」として常司氏の未亡人、鈴木千壽氏が5月31日東京地裁に訴えを起こした。



 鈴木社長は常司氏の甥にあたる。鈴木社長はポーラ・オルビスHD株式の22.12%を持つ。筆頭株主の公益財団法人ポーラ美術振興財団(持ち株比率34.31%)に次ぐ第2位の株主だ(17年12月期末時点)。

 ポーラ・オルビスHDのお家騒動は、今年2月発売の「週刊新潮」(新潮社)や「週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社)で報じられた。17年12月30日、同社の取締役や監査役宛てに、鈴木社長の不正を暴くメールが一斉送信されたのが発端だ。

 それによると、常司会長が急逝した直後に、会長が保有するポーラ不動産株式を鈴木社長に1株1円で譲渡するとの「株式譲渡契約書」を、会長が存命中の2000年6月に偽造したというのである。鈴木社長が手にしたポーラ不動産株式を時価評価すると、「実に1943億円に相当する」(「週刊新潮」<3月1日号>より)という。

 メールで告発したのは、鈴木社長の元側近で前ポーラ化成工業社長の三浦卓士氏(今年3月末にポーラ・オルビスHD取締役を退任)。千壽氏側は、この告発に一定の信憑性があると判断したようだ。自身(千壽氏)の相続財産に含まれるべきポーラ不動産株が、鈴木社長の契約書偽造によって除外されたとして、相続財産の範囲の確認を求める訴えを起こした。

 週刊誌の報道に対し、鈴木社長側は2月22日「相続はすでに裁判所で決着している。(役員の)主張は根拠がない」との反論のコメントをポーラ・オルビスHDのホームページに掲載した。


 3月27日、都内で開催した定時株主総会で、株主から週刊誌報道について質問が出た。出席者によると、鈴木社長は「マスコミ報道は一切事実ではない」と否定。虚偽の告発をされた背景として、「三浦卓士取締役は処遇に不満があったと想像している」と述べたという。

 三浦氏は1984年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、ポーラ化粧品本舗(現ポーラ)に入社した生え抜きだ。09年にポーラ・オルビスHD常務、13年にポーラ化成工業副社長、14年12月同社長に就いた。

 ポーラ化成工業は17年1月、シワの改善効果のある美容液「リンクルショット メディカル セラム」を開発。これが空前の大ヒットとなる。

 17年8月1日、ポーラ化成工業で三浦氏が会長になり、後任の社長に釘丸和也氏が就いた。リンクルショット開発の功労者を自負していた三浦氏は、ポーラ・オルビスHD社長の座を狙っていたといわれている。ところが、ポーラ化成工業の会長に棚上げされ不満が爆発したというわけだ。

 三浦氏は17年12月6日、不正を公表しないことと引き替えに、鈴木社長に年内の辞任を迫り、自分を後継社長にすると約束する確約書にサインするよう求めた。ところが、鈴木社長に返り討ちに遭った。
ポーラ・オルビスHDは12月15日、ポーラ化成工業の三浦卓士会長が、18年1月1日付で退任すると発表した。

 すると三浦氏はすかさず12月30日、役員一同に鈴木社長の不正を暴くメールを送信したというのが、事の顛末だ。ポーラ・オルビスHDは18年2月21日開催の取締役会で、監査役会から報告された意見を踏まえ、三浦氏に取締役の辞任を勧告。翌22日、三浦氏の実名を挙げ、「忠実義務に違反」「経営を混乱させる行動」と、社内向けのイントラネットで非難した。

●遺産相続をめぐり、骨肉の争いが再燃

 このポーラ・オルビスHDのNo.1とNo.2の対立が、創業家の骨肉の争いを再燃させた。

 ポーラ・オルビスHDの創業は1929年。静岡で鈴木忍氏が会社を立ち上げ、化粧品の訪問販売で国内首位になった。中核のポーラ化粧品本舗の社長は代々、鈴木家の出身者が務めてきた。2000年1月、2代目社長の鈴木常司氏が会長になり、甥にあたる鈴木郷史氏が社長に就いた。

 鈴木郷史氏は1979年早稲田大学大学院理工学研究科終了。本田技研工業を経て、86年、ポーラ化粧品本舗に入社。製造部門のポーラ化成工業社長を経て、本丸のポーラ化粧品本舗の社長になった。


 2000年10月、常司氏が自宅マンションの火災でやけどを負い、1カ月後に死亡した。ここから遺産相続をめぐり骨肉の争いが勃発した。

 甥である鈴木社長には直接の相続権はない。しかし鈴木社長は、入院中の常司会長から、ポーラの持ち株は財団に寄付し、持ち株以外の残りの財産は鈴木社長が引き継ぐという趣旨の「死因贈与」を受けたと主張し、「千壽夫人の相続は無効」とする裁判を起こした。

 死因贈与とは、贈与者が亡くなった時点で効力が発生する贈与契約だ。相続することになる財産は、グループ会社の株券(株式)や絵画を中心とした美術品で486億円と評価されていた。

 だが、鈴木社長の言い分は最高裁で退けられ、千壽氏が遺産の4分の3を、残り4分の1は常司氏の兄弟たちが相続した。この間、未亡人の影響力を排除したい鈴木社長と千壽氏との間で100件近い訴訟が繰り広げられた。

 鈴木社長は、千壽氏を排除する狙いで、06年にポーラ・オルビスHDを設立し、持ち株会社体制に移行。ポーラ化粧品本舗をポーラに社名変更。10年、ポーラ・オルビスHDは東証1部に上場した。これで、千壽氏のくびきから抜け出し、鈴木社長体制が確立した。


 鈴木社長側は「2005年に他の訴訟を含め和解が成立した」と説明している。

 ポーラ・オルビスHDの業績は好調だ。17年12月期の連結決算は美容液「リンクルショット メディカル セラム」の大ヒットで、売上高は前期比11.8%増の2443億円、営業利益は同44.9%増の388億円、純利益は同66.2%増の271億円。株価も上昇、株式時価総額は初めて1兆円の大台を超えた。

「好事魔多し」の典型例だろう。No.2が反旗を翻し、創業家の骨肉の争いを誘発した。前回と同様、最高裁まで持ち込まれるのは確実とみられ、絶好調のポーラ・オルビスHDの業績に暗い影を落としかねない。
(文=編集部)

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