元日の未明、東京・原宿の竹下通りで車が暴走し、8人が重軽傷を負った事件で、逮捕された21歳の日下部和博容疑者は、取り調べに対して「殺そうと思い、通行人をはねた」と容疑を認めている。また、竹下通りを140メートル暴走していた間、「アクセルを踏み続けた」とも供述している。



 さらに、車の後部座席から灯油およそ20リットルが入ったポリタンクと高圧洗浄機が見つかったうえ、日下部容疑者の体からは灯油の臭いがしたという。おまけに、現場前の店舗に灯油がまかれており、日下部容疑者は「灯油で車ごと燃やそうと思った」と供述している。

 一連の報道から、日下部容疑者は無差別大量殺人をもくろんでいた可能性が高い。しかも、自分の体にも灯油をまいた形跡があるので、赤の他人を巻き添えにして「拡大自殺」を図ろうとしたとも考えられる。

 怖いのは、衝動的な犯行とは考えにくいことである。というのも、日下部容疑者は12月28日ごろレンタカーを借りており、31日昼ごろには上京していたらしく、「明治神宮に入ろうとしたが、規制がかかって入れなかったので、近くで待機していた」と話しているからだ。そのうえ、「上野でも事件を起こそうと思った」と供述しているので、多数の人々の殺害をねらった計画的な犯行の可能性が高い。

●絶望感と復讐願望

 日下部容疑者のように無差別大量殺人をもくろむ人の胸中には、しばしば強い絶望感と復讐願望が潜んでいる。絶望感が芽生えるのは、長年欲求不満を抱いており、社会的にも心理的にも孤立しているからだ。

 欲求不満の原因として私が注目するのは、日下部容疑者が高校に進学したときにトラブルがあって引きこもるようになり、その後家庭内暴力が始まって、警察が家に来たことである。両親との折り合いが悪く、祖母宅に預けられたとも報じられている。親子の軋轢から家庭内で孤立し、祖母の家で生活するようになったという点では、昨年6月に走行中の東海道新幹線内で殺傷事件を起こした小島一朗容疑者と共通している。
もしかしたら、あの事件に触発されて、今回の犯行を思いついたのかもしれない。 困ったことに、欲求不満が強いほど、その原因を他人や環境に求める他責的傾向も強くなる。平たくいえば、「自分の人生がうまくいかないのは、他の誰かのせい。環境が悪いせい」などと考えやすいわけで、秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大死刑囚の「親のせい」「社会が悪い」という供述が典型である。

 もちろん、誰でも社会の中で他人と関わり合いながら生きているのだから、不本意な人生を送らざるをえない原因の何割かは他人や環境にあるだろう。しかし、すべてを他人や環境のせいにできるわけではない。原因の何割かは自分自身にもあるはずだが、他責的な人は、それを認められない。自分の能力や努力が足りないとか、協調性や忍耐力が欠けているということを受け入れられないからだ。このような傾向は、自己愛に比例して強くなる。

 当然激しい怒りを抱く。そこに、「破滅的な喪失」と本人が受け止めるような出来事が起きると、強い復讐願望が芽生える。「破滅的な喪失」とは、本人が「もうダメだ。
自分の人生はもう終わりだ」と絶望するような出来事である。

 加藤死刑囚にとって「破滅的な喪失」となったと考えられるのは、職場で「おれのツナギがないぞ」と怒って途中退社したことだ。この出来事については、彼自身が「事件の引き金だった」と供述している。ただ、その数日前に契約解除の通告を受けていたことが伏線としてある。このように、失敗や失業、別離や離婚などの喪失体験を「破滅的な喪失」と受け止めることが多い。

●「誰でもいいから巻き添えにして最後に打ち上げ花火を上げたい」という心理

「破滅的な喪失」が引き金となって、無差別大量殺人に走るわけだが、見逃せないのは、その後押しをするのが自殺願望ということだ。この自殺願望は、「破滅的な喪失」によって一層強まった絶望感から生まれる。

 それでは、自殺したいのなら、なぜ1人でおとなしく死なないのか? これは強い復讐願望による。復讐願望が強いと、「1人でおとなしく死んだら敗北者。誰でもいいから巻き添えにして最後に打ち上げ花火を上げたい」という心理が働くからである。

 日下部容疑者も、復讐願望が強いからこそ、無差別大量殺人をもくろんだのだろうが、その胸中には強い怒りと欲求不満が潜んでいたはずだ。したがって、何に対して怒りと欲求不満を抱いていたのか、他責的傾向はどの程度強かったのか、どのような出来事を「破滅的な喪失」と受け止めたのか、本当は誰に対して復讐したかったのか、などについて今後の取り調べで明らかにすべきである。

(文=片田珠美/精神科医)

参考文献
片田珠美『無差別殺人の精神分析』新潮選書 2009年
片田珠美『拡大自殺―大量殺人・自爆テロ・無理心中』角川選書 2017年
Levin, J., Fox, J. A. : A Psycho-Social Analysis of Mass Murder. In O’Reilly-Fleming ed. : Serial & Mass Murder – Theory, Research and Policy. Canadian Scholars’Press. 1996

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