政府が1997~2004年、皇位継承資格者を女性皇族に拡大できるかどうかについて、極秘の検討会を開いていたという3月28日付け共同通信のスクープが、にわかに注目を浴びている。

 共同通信の報道によれば、04年春の政府の内部文書には、女性・女系天皇を認める皇室典範の早期改正方針が記されていたという。

05年に小泉純一郎首相(当時)が設置した有識者会議の結論を受け、小泉氏は典範改正に乗り出そうとしたが、秋篠宮家に06年、長男・悠仁さまが生まれたことで、この動きは立ち消えとなったという。しかし、皇太子さまが天皇に即位された後は、継承資格者は秋篠宮さまと悠仁さまのみで、皇位継承は不安定のままだ。

 小泉政権後、一時は断念された「女性天皇案」だが、旧民主党政権下の野田佳彦内閣で再浮上する。野田政権では、皇室典範の見直しに向けた論点をまとめている。女性皇族が結婚後も皇籍にとどまる「女性宮家」創設案と、結婚して皇籍を離れても新たな称号を使うなどして皇室活動を続ける2案を併記した。しかし、その後の政権交代により、安倍晋三首相は「慎重に議論するべきもの」と語り、女性宮家の議論は棚上げされたままとなっていた。

 皇太子さまが5月1日、新天皇に即位すると、秋篠宮家は「皇嗣家」となり、秋篠宮が皇位継承1位、悠仁さまが同2位となられるが、責任が重くなる秋篠宮家は今、大きな問題を抱えている。

 まず、秋篠宮さまの長女・眞子さまと小室圭さんの結婚問題が、ついに元号をまたいで漂流することになった。17年9月に眞子さまとパラリーガル(当時)の小室さんの婚約内定会見が行われたものの、小室家の抱える借金トラブルが発覚すると、婚約内定は延期に。その後、昨年11月に行われた会見で秋篠宮さまは、「(借金問題について)それ相応の対応をするべきだ」「そういう状況にならなければ、私たちは、婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」とご発言された。その後、小室さんが米フォーダム大学ロースクールへ留学し、結婚問題は完全に棚上げ状態になっている。

 そんな秋篠宮家内の不協和音に関する報道も相次いでいる。


 たとえば「女性セブン」(小学館/4月18日号)は、秋篠宮ご夫妻による3人のお子さまへの教育について、秋篠宮家に近い関係者の証言として「自主性を重んじると言えば聞こえがいいものの、結果的には“ほったらかし”の状態のようです」と報じている。

 さらに「週刊新潮」(新潮社/4月18日号)は、皇后美智子さまが「陛下が積み重ねてこられた儀式や日常のなさりようの重みが、眞子と佳子の意識からまるで抜け落ちてしまっている。何よりもまず、当主である秋篠宮がしっかりしなければいけません」と憂いていると報じている。

●愛子天皇待望論

 そして両誌によれば、こうした秋篠宮家の頼りなさを受け、皇太子殿下の長女・愛子さまが将来、天皇に即位される“愛子天皇待望論”が浮上しているというが、皇室に詳しい記者は語る。

「秋篠宮家の厳しい内情に関する報道が相次ぎ、国民の目が向けられるようになった発端は、やはり眞子さまと小室圭さんの結婚問題でしょう。小室家の借金問題が露呈して婚約内定が取り消しとなり、さらには小室家の不誠実な対応などが明るみになっても、一向に小室家側は借金問題を解決しようとせず、秋篠宮家を国民からの好奇の目に晒し尊厳を傷つけています。それにもかかわらず、小室家側は結婚を諦めようとせず、問題を長引かせています。その結果、秋篠宮家への信頼が揺らぐことで、愛子天皇待望論までもが浮上する事態となっているといえるでしょう」

 ちなみに国民の間でも、女性天皇誕生を容認するムードが高まっている。たとえば1月3日付東京新聞の世論調査では、「女性天皇を容認するかどうか」という問いに、実に84.4%が「容認する」と回答している。

 さらに、男性継承主義者といわれていた安倍首相も、大きく方向転換しつつあるという見方もある。菅義偉官房長官は3月の参院予算委員会で、女性宮家の創設を含めた安定的な皇位継承について、速やかに議論を行うことを表明した。「(新天皇が)即位された後、そんなに時間を待たないで(行なおう)と考えている」と述べるとともに、「女性皇族の婚姻による皇族数の減少は先延ばしできない課題だ」と、踏み込んだ認識も示した。


 前出・共同通信のスクープが注目された理由は、政府が「女性宮家」を認める方向に舵を切るのではと推察されているからだ。女性天皇は、推古天皇から後桜町天皇に至るまで8人10代。いったんは立ち消えた「女性宮家創設論」が議論の俎上にのることとなり、愛子天皇待望論の広まりに拍車をかけるかっこうとなっている。
(文=編集部)

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