「明らかに赤信号無視の道路交通法違反。それでも運よく事故にならなかったからお咎めなし」――。
兵庫県西宮市甑岩町にあった旧夙川学院短大の解体工事で、「危険なアスベスト(石綿)が環境に撒き散らされた」と周辺の住民38人が、解体業者や西宮市に損害賠償を求めた訴訟の判決が4月16日、神戸地裁であった。山口浩司裁判長(小池明善裁判長代読)は原告住民への損害賠償は棄却したが、杜撰な解体でアスベストが飛散したことを認め、監督責任のある西宮市の怠慢も指弾した。今も全国のあちこちで杜撰な解体工事が行われるなか、弱腰ながら判決の意義は大きい。
2013年6月から14年3月にかけて、学校法人が移転のため売却していた同短大の校舎など11棟が解体された。業者は「2か所にしかアスベストはない」とし、立ち入り調査をした西宮市も同じ説明をしていた。
しかし、疑問を持った住民側は、建設当時の設計図書(工事の施工のための図面や仕様書などの総称)を入手した結果、「レベル1(吹き付けアスベストなど飛散性が高く最も危険)が教室や体育館の天井などで10か所、その他、レベル2(断熱材などで、吹き付けほどの飛散性はないが危険度は高い)の9か所を含む156か所にアスベストが使われており、法律で定められた『密閉して負圧にする』などの作業をせず、アスベストが周辺にまき散らされた」と主張した。
原告弁護団の室谷悠子弁護士によると、今判決が認めたのは以下の3点。
(1)設計図書の調査結果から相当量のアスベストが解体工事時点で存在した
(2)一定量のアスベストが周辺に飛散した
(3)解体を実施した三栄建設(大阪府八尾市)は基準通りに工事を行わなかったという違法行為があり、損害があれば、責任は認められる
西宮市の監督責任については、「違法とは言えないが、大気汚染防止法や県の条例上、西宮市の規制権限及び調査権限は、建築物等の解体工事等で石綿の飛散により周辺住民の生命、身体に被害が発生するのを防止し、健康確保することを主要な目的にし、積極的な調査義務がある」と認めた。詳しくは以下の通り。
(1)レベル1建材が残存し、アスベスト全盛期の建物であることからアスベストの残存は容易に疑えた
(2)市職員は設計図書を容易に入手できた
(3)三栄建設の調査能力に疑問を抱くべきだった
(4)三栄建設に設計図書に基づいて調査したかを問えば、同社が調査を怠った事実がわかり、設計図書の提出を受けて、石綿含有建材が残存しているか否かを確認できた
さらに、「市の対応は、大気汚染防止法及び環境保全条例の趣旨に十分に即した妥当なものではない」と不手際を認めた。それでも「測定結果で示す数値は高くなく、西宮市の対応は原告らとの関係で許容限度を逸脱して著しく合理性を欠いたことを否定できない」と判断した。
●意義のある判決内容
工事は終わっており、差し止め請求もできない。訴訟では原告それぞれが5万円ずつの賠償金を求めたが、具体的に病気になったわけでなく、「精神的な将来への不安」に対する賠償となる。これについて判決は、測定結果で具体的な数値が出ていないことから「社会生活上受任すべき限度を超える程度に至ってはいない」とした。室谷弁護士は「もう少し踏み込んでほしいけど、真相解明や市の問題点を明らかにしてくれた」と評価した。
原告団の代表の医師、上田進久(のぶひさ)氏(ストップ ザ アスベスト西宮代表)は言う。
「レベル1の建材が使われていたと知り、凍りつく思いだった。それでも西宮市は最初、アスベストはないと強弁したのです。判決理由では、原告が主張していたことが認められており、今後のアスベスト飛散防止に向け、大きな礎になることも明記されていた。しかし飛散の程度から健康被害の立証はできないとされ、慰謝料を請求する我々とは大きな溝がある。アスベスト問題は、20年から50年先の健康被害を予見する想像力を必要とし、将来予想から現状の危険を排除する対策が求められるが、その特殊性ゆえに難しい」
ちなみに原告団は「敗訴だが判決内容は意義がある」として控訴しないことに決めたが、ここでいう特殊性とは、「静かな時限爆弾」アスベストの潜伏期間にほかならない。アスベスト特有の病気である中皮腫は、潜伏期間が20年以上とされる。
●国の責任
アスベスト対策の遅れた日本は、04年の「含有量1パーセント以上」から12年の全面禁止まで段階的に輸入や使用を禁止したが、遅すぎた。高度経済成長期から世界一の量を輸入し、1970年代は年間平均30万トンを超え、その8割は建材や水道管、その他の多くは断熱用の吹き付けなどに使われた。
夙川学院短大の建物も65年ごろから建築されているが、最も危険な形状である吹き付けアスベストが禁止されたのは75年である。少しアスベスト史と照合するだけでも西宮市は容易に危険を推測できたはずだが、なぜ「アスベストはない」になるのだろうか。「立ち入り調査」は単なるアリバイなのか。
今、各地でこうした古い建築物の解体が進むが、「密閉して負圧にする」ような現場をほとんど見ない。実施すれば金も時間も相当かかる。本当に安全な解体工事が行われているとは考えにくい。
弁護団の池田直樹弁護士は「判決は、将来、仮に原告住民などが発症すれば、業者や西宮市の違法性を問い、賠償を求める大きな礎になる」とするように今回の判決は20年、30年先の被害についても現在の関係者らが責任をとるべく根拠を明示したといえる。実害が出ないうちから「想像力」で警鐘を乱打した、70代の上田医師をはじめとする西宮市の原告団と弁護団に敬意を表したい。
(写真と文=粟野仁雄/ジャーナリスト)