たしかに以前勤めていた過激な出版社で、本当にいろんな「変態さん」を見た。変態というには語弊があるのだけど、当時まだ20代だったわたしは、編集部に届く資料、お便りや問い合わせの類い、撮影内容すべてが「変態」に見えた。
自分がいままで生きてきたなかで経験したことのない愛の行為がたくさんあって、その多様性を認めることがむずかしく、「変態だ......」と勝手にカテゴライズして、自分の脳を納得させていたのだ。
たとえば、SM雑誌の「読者インタビュー」のために北海道から上京してきたマダム。
わたしはペット雑誌の所属だったのだけど、なぜかエッチ系雑誌の編集局内にペット雑誌編集部があったので、自分の仕事以外の様子がつぶさにわかるようになっていた。
ある日、編集局のドアがバーンと開き、足首まであるロングの毛皮を着た、夜会巻きの女性が入ってきた。昔の銀幕の女優のようなオーラだったので、本当に女優さんが取材のために来訪したのだと勘違いをしたほどだ。スタジオではなく、直接編集部に来るなんて珍しいなあ、なんて思った。
新人で、入口にもっとも近い席にいたわたしが「ご用件を承ります」と声をかけたら、SM雑誌の編集長が慌てて飛んできて「ああ、いらっしゃい! こちらへどうぞ」と、彼女を奥の編集部へ案内した。
そのあと編集長がわたしにこっそりつぶやいた。「読者が遊びにきてくれたんだ。
「ああ、ここで撮影が行われるのだな」とすぐに理解した。ペット雑誌でかわいい動物の取材や撮影をしているわたしに、他の編集部は結構気を遣ってくれていて、局内で撮影の必要が生じるとなにげなく「外に出てて」というサインを出してくるのだ。別に見学していてもいいのだけど(というよりも、むしろ見学したい!)、撮影班がやりにくいのだろう。
用意をして席を立つ、その横目で奥の編集部をチラッと見た。なんと毛皮を着たマダムが、挨拶もそこそこにバーンと裸になっていた。ロング毛皮コートの下は真っ裸だったのだ。裸にハイヒールのマダムが、雑然とした編集部のなかに佇んでいる。そしてすでに、編集者がバチバチとその様子を撮影していた。「東京にはいろんな人が集まってくるなあ」とごくりと唾を飲み込み、そっと外に出た。
でも本当の衝撃はこれから。編集局のドアを開けると、そこにひとりの男性が佇んで、ドアの隙間から編集局のなかを覗いていたのだ。
あとで聞くと、男性はマダムの夫で、撮影される妻の様子を離れたところで見るのが趣味......という男性なのだそう。マダムは北海道から裸に毛皮のコートだけをまとい、飛行機に乗って東京まで来た。夫は飛行機のなかでも離れた席で、そんな妻の様子をそっと見守り、静かに興奮するのだそうだ。
聞けば、北海道の資産家夫婦という話だった。確か会社経営など立派な肩書きのご夫婦だったように記憶している。
「まことちゃん、世の中にはいろんなカップルがいて、いろんな愛し方があるんだよ」。2時間後に編集部に戻ると、くだんの編集長がわたしにそう声をかけてくれた。
ここで唯一書ける事例を出してみたが、いやあ、本当にいろんな愛し方というのを、この編集局で学んだ。体験こそしなかったけど、「多様性」というのを目の当たりにしたので、こちらの出版社を退職するころには、すっかり「変態の定義」がゆるくなってしまった。
だから、友人知人たちの「もしかしたら自分が、恋人が、変態かもしれない」という相談に対しての答えは、だいたい決まっている。それらのほとんどがまったくもって「変態ではない」からだ。
わたし内統計では、ものすごく遊び慣れている男性ほど、「自分の性癖、もしかしたら変かもしれない」とか「彼女が変態かもしれない」と心配しがちなのも興味深い。数をこなしているからこそ、イレギュラーな愛し方が登場すると、つい戸惑ってしまうものなのか。
彼らの相談に「そんなの、全然変態じゃないよ。他の人もやってるって!」と答えるのだが、答えた瞬間に毎回「しまった」と思う。だってこのやりとり、わたしがなんだかビッチな感じになってしまうもの。案の定「さすが、いろいろ知ってるね」という反応をされてしまう。質問しておきながら、その答えに呆れるなんてひどいわ。
もしかして人は「うん、それって変態だね」と言ってもらいたがっているのだろうか。強迫観念みたいなものかしら。拭いきれない不安は、その不安を肯定させることで、はじめて手放せる......みたいな。
今度、そんな相談を受けたら、変態認定してみようかな。
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