思い出すだに薪の香りが口中に蘇る。肉おじさんに誘われた、代官山の肉さんぽ。
生木で焼いたステーキはかつて経験したことのない、奥行きのある旨味だった。

......と肉メモリーに耽っているところへ連絡が。またしても、格之進の千葉祐士さん、肉おじさんだ。

「さんぽ、行きません?」

老舗『吉澤』の暖簾をくぐる

指定された場所は銀座。うん、確かに都内でもスペシャルな肉に出会えそうな街。

「ここですよ、ここ」

あ、肉おじさん!

ちょっと、そこはすきやき・しゃぶしゃぶ・割烹の老舗『吉澤』じゃないですか。肉偏差値が高からずの身でもさすがに知っていますよ。

「そう、ここです。吉澤さん」

肉おじさんはひょいと暖簾をくぐって笑顔で店へと入っていく。敷居の高い銀座の老舗だけど、大丈夫だろうか。

来店者の目をまず奪う松阪牛の看板こそ、高級店の証し。同時に期待が募る。

今回の肉さんぽでも究極の体験ができるのではないか?

こちらの緊張をよそに、肉おじさん、出迎えてくれた紳士と早々に二階の個室へと向かっていく。旧知の仲らしい。そして何やら込み入った話があるらしい。

紳士は吉澤直樹社長だった

明らかに只者ではないオーラを放つ紳士。銀座『吉澤』の経営を含む、肉の小売り、卸しまで手がける株式会社吉澤畜産の吉澤直樹社長である。

−−おじさんは、社長とお知り合いなんですか?

「わたしがリスペクトする人です。ご先祖様も」(肉おじさん)

−−ご先祖様?

「うちは昭和2年に創業。今年で90年になります。この銀座の店は、もう50年以上経っています」(吉澤社長)

「吉澤さんの何が凄いって。おじい様が松阪牛を初めて関東へ持ち込み、ブランディングに成功したんですよ」(肉おじさん)

「戦前は西の牛が箱根の山をなかなか越えられなかった。それを、うちの祖父が引っ張って持ってきたんです」(吉澤社長)

「"上物の吉澤"のはじまりですね」(肉おじさん)

「品質の良い伊勢神宮近くの牛、上方の牛なんて意味もあってか、いつのころからか"吉澤のかみうし"と呼ばれてたようです。まあ、歴史の流れですよね」(吉澤社長)

先々代の商才で店舗は一気に拡大。

現在の芝浦と場にあたる食肉市場の形成にも一役買った。二代目(現会長)は銀座の店舗に軸を置き、松阪牛を東京から発信することに集中。その甲斐あって、松阪牛というブランドが確たるものとなる。

そして現社長は、再び吉澤畜産に力を注いでいる。昨今、肉好きの食通たちを魅了する最上級の和牛は、吉澤のルートを経て、小売店や飲食店に出回っているのである。

「わたしが企業勤めを辞めて家業の牧場に入ったのが、27歳のとき。吉澤さんは関西に修行にいっておられて、ちょうど東京に戻ってきたころ?」(肉おじさん)

「僕ら、同い年なんですよね」(吉澤社長)

「僕は駆け出し、こちらは老舗の三代目。当時はとてもこんな風にお話できるような立場じゃなかったですよ。うちの兄から、『今後は東京への出荷をメインにするから吉澤さんにお世話になる』と言われてから、徐々にお付き合いさせてもらうようになって」(肉おじさん)

「うちは、もともと岩手の牛の取り扱いが多いから」(吉澤社長)

「吉澤さんは天命を生きていると思うんです。吉澤さんがいい牛をしっかりと買い支える。セリでいい値がつく。その結果が生産者に還元される。

おもしろいように儲かる仕事じゃないんですよ。それなのに『上物を守るんだ、生産者を応援するんだ』という使命で相場を支えてくれている。わたしなどにはできることじゃないですよ。だから、直樹社長のこともご先祖様のことも、わたしが一方的にリスペクトしているんです」(肉おじさん)

軽い気持ちで肉さんぽに来たはずだった。ところが、目の前で繰り広げられているのは、日本の食肉流通の根幹に関わる話。肉の天上会談。やはり肉おじさんは、ただの肉好きおじさんではない。

と、ここで本来の目的である肉の登場。

老舗は当たり前のように熟成肉を出している

『吉澤』の肉づくしコース(12,000円 税・サ別)。先付、前菜五種盛、ミニッツステーキ又は和風ローストビーフ、炙り肉握り寿司、ローストビーフサラダ、すき焼き、食事と香の物、フルーツ。

ちょっと待ってください、何でしょうか、このボリューム!

「さっき『老舗は敷居が高い』と仰っていたけど、そんなことないでしょう?」(吉澤社長)

はい、そうでした。これだけの贅を尽くしたコースが12,000円とは、コストパフォーマンスの良さを実感。

そして"儲け度外視"の姿勢も。肉への愛なくして実現しないステージ。

実食。肉おじさんは、肉を前にしたときが一番輝いている。

撮影、恒例の。

『吉澤』のすき焼きは中居さんが目の前でつくってくれるスタイル。これも込みの料金だとすると、いよいよ納得だし、満足度は高まる。

油のよく染み込んだ鉄鍋に、美しい羽衣のような柔らかい薄切り肉が広げられていく。

割り下を投入。甘い香りがさっそく立ちのぼる。すき焼きと出会えてよかった。すき焼きのない世界なんて。

我慢できずに思わず身を乗り出す肉おじさん。食べごろは中居さんにお任せしましょう。

卵をくぐるすき焼き肉。旨味が閉じ込められる瞬間。

さあ、召しあがれ!



卵の絡まりが解かれ、肉の旨味が一気に溢れ出る。言葉になりません。

----言葉にならなくても感想を! おいしいですか?

「いま、熟成肉のブームですよね。でも吉澤さんはずっと熟成肉を出しているんです」(肉おじさん)

----どういうことですか?

「近ごろ、『吉澤ではいつから熟成肉をやっているんですか?』と聞かれることがあるんですが、昭和2年から、創業の時からとしか言いようがない(笑)。昔はどこの肉屋さんもやっていたんですよ。でも熟成させるには枝庫のスペースが必要だから、市場の効率化を考えるようになると、それも減ってきてね。うちは、変わらず続けているだけです」(吉澤社長)

「昔から、当たり前のように熟成させているんです。熟成肉の横綱ですよ。

格之進の熟成ノウハウも、吉澤さんのバックアップがあってできていることです」(肉おじさん)

「千葉さんのところの熟成も、また魅力。熟成の方法に良い悪いの正解はなくて、それぞれの追熟が店ごとの個性なんです。厳密には、アメリカなんかで言われているドライエイジングとこっちの熟成は違うものだから分けて語って欲しいとは思うけど......って、僕らがこんな話をしていると朝までかかっちゃうね(笑)」(吉澤社長)

肉ではなく「牛」を買うということ

いまでこそわたしたちは、「牛」でも黒毛和牛とホルスタインが違うことを理解している。A5、A4だのと格付けに言及し、焼肉屋で希少部位をこだわって求めたりする。

それは、吉澤のような老舗が牛に心血を注いできたから成熟した世界であり、じつはもっと奥深い領域が広がっているのである。

「吉澤さんは"肉"を買っているんじゃない、"牛"を買っているんですよ。単位が違う。餌だったり飼育方法だったりが農家さんごとに違うから、上物屋としてそれを見極めて、流通させているんです。天命としか言いようがないですよ」(肉おじさん)

「ちょっと冷蔵庫、見ますか?」(吉澤社長)

「行きましょう」(肉おじさん)

『吉澤』の店の奥にある冷蔵庫は、管に水を通して冷やす、昔ながらのスタイル。お宝の松阪牛A5ランクが吊るされていた。

ブームに飛びつくことを浅はかとは言わない。でも、食に親しみ、こだわりを持つ大人の女であれば、生産者や流通に関わる情熱家たちについての知識は持っておきたい。

肉おじさんに誘われるままにはじめた肉さんぽ。予想外に大きな扉を開けてしまったみたい。もう後には戻れない。

すきやき・しゃぶしゃぶ・割烹 吉澤

住所:東京都中央区銀座3-9-19

電話:03-3542-2981

営業:11:00~14:00 17:00~22:00(L.O.21:00)

※精肉部は8:00~19:00

定休:日曜、祝日

http://www.ginza-yoshizawa.com/

肉おじさん

1971年生まれ。岩手県一関市出身。牛の目利きを生業とする家に生まれる。27歳で「一関と東京を食でつなぐ」ことをビジョンに掲げ、1999年4月岩手県一関市にて「焼肉屋 五代格之進」を創業。

"お肉"のユニクロを実現するために2008年10月に株式会社門崎を創設し、和牛の生産をとおして日本を盛り上げたいと考え、熟成肉生産の先駆者であり、和牛の魅力を表現する食のバリエーションを次々と開発し、提供。6次産業という言葉が誕生する前から、生産、加工、流通の相乗効果に重きをおき、お客様に日本の食文化を楽しめる最高のサービスを提供できるよう尽力。また、日本の食文化の基盤を強固にし、育み、発信することを目的として活動を行う「全日本・食学会」の肉料理部会分科会である「肉肉学会」を主宰し、農林水産省および見識者と共に肉の可能性について探求している。外国人および学生向け講演会も多数。

著書:『熟成・希少部位・塊焼き 日本の宝・和牛の真髄を食らい尽くす(講談社+α新書)』

[格之進]

撮影/網中健太

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