翌1950年、2人はカリフォルニア州オークランドで結婚した。カリフォルニアでは異人種間の結婚は、州最高裁まで行った裁判の結果、合法になったばかりだった。すべての州で異なる人種同士の結婚が認められるまでには、それから20年近くかかった。
異人種間の結婚が合法となって50年米国で異人種間の結婚を禁じる法律を無効とした「ラビング対バージニア州裁判」の最高裁判決から、6月12日で50年が経った。この裁判は、結婚したことを理由に、1年の刑を宣告された黒人女性ミルドレッドと白人男性リチャードのラビング夫妻が、バージニア州を相手におこしたものだった。最近、同性婚を認める最高裁判決の根拠となった裁判だ。
自分たちが結婚したときから時代はどれだけ変わったか──レオンさん(89)とロシーナさん(88)のワトソンさん夫妻は、自分たち家族の中だけでもそれを強く感じている。
世論調査機関ピュー・リサーチ・センターによると現在、米国の新婚カップルの20%近くが異人種または異民族間の結婚だという。「もう私たちは珍しくないと思うとホッとします」とレオンさんは言う。長年住んできたオークランドのイーストモント地区にもヒスパニック系が増え、その周りにはアフリカ系の家族もいる。「いつからか、みんなが受け入れるようになった。何か奇跡が起きたんだ」
多難続きの結婚生活ロシーナさんとレオンさん(中央)の結婚式の写真を皆で眺めるワトソン夫妻の子どもたち。2017年6月9日撮影(Jim Wilson/The New York Times)
レオンさんとロシーナさんがデートを重ねていた頃、よく通ったのは地元の人権評議会が催すイベントだった。評議会はバス会社に黒人ドライバーをもっと雇うよう働きかける活動などをしていたが、そうした政治活動とは別にメンバーの家で、ダンスパーティーを開いたりもしていた。それは、芽生えたばかりの2人の恋にとってぴったりの場所だった。レオンさんいわくロシーナさんは当時「誰もが一緒に踊りたがる素晴らしい踊り手」だった。
レオンさんがプロポーズをすると、すぐにロシーナさんの父親がニューメキシコからやって来た。娘に結婚をあきらめさせるつもりだった。けれど他の異人種カップルが結婚して幸せそうにしているのを見ていたロシーナさんの気持ちは揺るがなかった。
2人の結婚証明書には当時の役所の言葉で、ロシーナさんは「白人」、レオンさんは「ネグロ」と書かれた。
結婚した後にもトラブルは待ち構えていた。今でも暮らしている小さな家に移ってきたときには、近所の白人の家族がいくつか引っ越していった。ロシーナさんは仕事の同僚に、自分の結婚について知られたらどうしようかとびくびくしていた。「当時はほとんどないことだったから、夫は黒人だと人に言ったことがありませんでした。他人に否定されたくなかったんです。誰かの怒りを買いたくもなかった」
ロシーナさんが45歳になるまで、職場の同僚はそれを知らなかった。ロシーナさんは屋根工事の会社で働いていたが、ある時、自分の家の屋根を直さなければならなくなった。上司が屋根を見に来たとき、ついにクビになるんじゃないかとロシーナさんは恐れた。
ワトソンさん夫妻が3人の子どもたちに人種についてはっきり話すことは滅多になかった。子どもたちにはスペイン語の名前を付け、家族でメキシコのいとこたちに会いに行った。
休暇をミシシッピで過ごしたときに、レオンさんはモクレンの木がたくさんあることについて息子から質問された。涙をこらえながら、それはリンチで殺された黒人たちの死臭を消すために植えられたのだと息子に教えた。
子どもたちは学校で同級生がロシーナさんを不思議そうな目で見たり、白人の母親はあり得ないとからかわれたりすると、決まってこう答えていた。「君に関係があるの? 何も問題じゃないでしょ?」
様々な人種が通うオークランドの公立学校では、ワトソン家の子どもたちが差別に遭うこともほとんどなかった。だが、長男のホセさんは10代のとき、盗難車を運転していると警官に疑われたことがある。黒人だったからだ。今、ホセさんは自分の車に「1BLACKMEX」(メキシコ系黒人)という文字が並んだナンバープレートを誇らしげに付けている。人種が一目で分かるプレートに、ロシーナさんは最初驚き、心配もした。
「うちの子どもたちは、黒人が本当にひどい扱いを受けていることをよく分かっている。
© 2017 The New York Times News Service
[原文:50 Years Later, 'We Are Not Unusual Anymore'/執筆:Jennifer Medina]
(抄訳:Tomoko.A)