あと一歩のところで届かなかった夢の舞台にプロ野球選手として立った。6月17日の甲子園でのタイガース戦。
プロ2年目、20歳になったばかりの木村優人投手はさまざまな想いをかみしめるように、丁寧な足取りでマウンドに向かっていた。
 「高校時代はずっと甲子園に出ることを目標に頑張ってきました。それだけに決勝で最後に逆転されて行けなかった悔しい想いは今もあります。でも、こうして目標の一つであったプロ野球選手になって、この場所に立っている。いろいろな事が思い出されました」と木村は登板後にその想いを口にした。
 あと1アウトだった。今でも脳裏によみがえってくるシーンである。2023年夏。茨城県大会はエース木村擁する霞ケ浦高校が決勝まで上り詰めていた。相手は土浦日大。試合は3対0とリードを保ったまま、最終回に入った。しかし、待っていたのでは歓喜ではなく悪夢のような現実だった。
いきなり連打を打たれ二、三塁。三振を奪い1死をとるが、中前適時打で1点差。続く打者にも打たれ一、二塁。何とか2死を取るが最後の最後で踏ん張り切れなかった。三塁線を抜かれて同点とされると動揺もあり立ち直せず、連打を打たれこの回、一挙5点を失った。一番悔やまれるのは2アウトまで取りながら同点にされた場面だ。
 「初球のカーブを打たれました。自分の持ち味はストレート。それなのにピンチの時に変化球でかわそうと逃げてしまった。今でも思いますけど、あそこは自信のあるストレートで押すべきだった」と木村は昨日のことのように鮮明な描写を説明しながら振り返った。
 この時に学んだことで一番大事なことは心の持ち様である。
 「あと1アウト。
内野ゴロでもフライでも優勝だった。あそこで冷静になれたら良かったけど、打たれたら、どうしよう、打たれて負けたらどうしようとマイナスな気持ちになって縮こまってしまった」と話す。
 だから、プロに入ってからは必ずマウンドに上がる前に気持ちを整理してネガティブな発想を一掃しプラスの事を考えることを習慣とした。
 「あと1イニング。いやあと1アウトで甲子園に行けた。本当に悔しい想いをした。人生において心の持ち方が大事。考え方一つで違う結果になることもあるはずだと学んだ」と木村。
 プロ初先発を告げれられたのは突然だった。「次は先発をしてみるか」と練習前に吉井理人監督からポツリと言われた。最初は冗談かと思ったが、翌日、練習後にすれ違った時に「甲子園で先発や」と笑顔で声を掛けられた。驚きとともに興奮した。
高校時代に立てなかった憧れのマウンドにプロとしてマウンドに立てる。しかもプロ初先発。もうマイナスな心が芽生えることはなかった。「ワクワクした。その日が来るのが楽しみで仕方なかった」と言う。
 4回を投げて被安打3,1失点。勝ち投手こそなれなかったが、プロ初先発として堂々としたピッチングを見せた。そしてマリーンズは逆転で勝利した。先発木村の攻めの投球が流れをつくり出した。
 それでも木村は次回登板に向けて「初めて先発をして、中継ぎと違って打者との対戦も2巡目、3巡目がある。そこは難しさを感じた。無駄なボールが結構あったので、それを少なくしてもっともっと投げられるようにしたい」と反省を口にした。
冷静なマウンドさばきと共にこの貪欲な姿勢も背番号「53」の魅力だ。高校時代の悔しい想いとそこからつかんだ大事な教訓はこれからも忘れない。マウンドに立つたびに思い返し反芻(はんすう)する。ポジティブ思考でおもいっきり投げていく。
(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)
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