「高校時代はずっと甲子園に出ることを目標に頑張ってきました。それだけに決勝で最後に逆転されて行けなかった悔しい想いは今もあります。でも、こうして目標の一つであったプロ野球選手になって、この場所に立っている。いろいろな事が思い出されました」と木村は登板後にその想いを口にした。
あと1アウトだった。今でも脳裏によみがえってくるシーンである。2023年夏。茨城県大会はエース木村擁する霞ケ浦高校が決勝まで上り詰めていた。相手は土浦日大。試合は3対0とリードを保ったまま、最終回に入った。しかし、待っていたのでは歓喜ではなく悪夢のような現実だった。
「初球のカーブを打たれました。自分の持ち味はストレート。それなのにピンチの時に変化球でかわそうと逃げてしまった。今でも思いますけど、あそこは自信のあるストレートで押すべきだった」と木村は昨日のことのように鮮明な描写を説明しながら振り返った。
この時に学んだことで一番大事なことは心の持ち様である。
「あと1アウト。
だから、プロに入ってからは必ずマウンドに上がる前に気持ちを整理してネガティブな発想を一掃しプラスの事を考えることを習慣とした。
「あと1イニング。いやあと1アウトで甲子園に行けた。本当に悔しい想いをした。人生において心の持ち方が大事。考え方一つで違う結果になることもあるはずだと学んだ」と木村。
プロ初先発を告げれられたのは突然だった。「次は先発をしてみるか」と練習前に吉井理人監督からポツリと言われた。最初は冗談かと思ったが、翌日、練習後にすれ違った時に「甲子園で先発や」と笑顔で声を掛けられた。驚きとともに興奮した。
4回を投げて被安打3,1失点。勝ち投手こそなれなかったが、プロ初先発として堂々としたピッチングを見せた。そしてマリーンズは逆転で勝利した。先発木村の攻めの投球が流れをつくり出した。
それでも木村は次回登板に向けて「初めて先発をして、中継ぎと違って打者との対戦も2巡目、3巡目がある。そこは難しさを感じた。無駄なボールが結構あったので、それを少なくしてもっともっと投げられるようにしたい」と反省を口にした。
(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)