衆院選で安全保障政策が争点の一つになっている。近年、日本の防衛関係費は増加の一途をたどり、さらに拡大を図る議論も目立つ。
国際情勢を念頭に、核兵器類の保有や共有を主張する候補者もいる。「日本が戦争のできる国になっていく」と不安の声も上がる中、原爆の被爆者として語り部をしていた人の遺族や、戦争体験の悲惨さを伝え続ける県民の話から、平和の在り方を考える。
◆「父は“争い”嫌う」
 1945年8月、8歳の時に長崎市に投下された原子爆弾で被爆。晩年になって、自身の経験からその恐ろしさと、平和を守り抜く大切さを訴えようと立ち上がり、語り部活動をしてきた加藤朝太郎さん(享年88歳、船橋市)が昨年12月に亡くなった。
 原爆による凄惨な状況を目の当たりにし「二度と起きてはならない」と訴えた朝太郎さん。昨年8月も県庁での「平和祈念原爆展」で自身の体験を伝え、記者のインタビューにも応じてくれた。
 長男の洋一さん(57)は父の性格をこう表現する。「人と争うことを好まず、平和的に解決する精神を持っていた。怒られた記憶がない」。洋一さんによると、朝太郎さんの葬儀に参列した職場の元部下の人たちも「怒っているのを見たことがない」と言うほど。洋一さんは「戦争こそ“争い”の最たるもの。(争いを嫌う父の)この性格は戦禍を経験したことにも起因するのでは」と想像する。

 朝太郎さんは50代ぐらいまでは原爆の経験を周りに話さなかったという。もちろん自分の子どもたちにも。最も身近な存在ながら父の経験をじっくり聞いたことがないと言う洋一さんだが「核を巡る議論はいろいろあるが、原爆を実際に経験した人の『絶対に反対』という言葉は無視できない」と父の言葉をかみしめた。
◆核兵器の恐さ実感
 戦争・被爆体験者らでつくる「鎌ケ谷市原爆被爆者折鶴会」の会長を務め、反戦・反核と、平和を訴えている荒木忠直さん(81)=鎌ケ谷市=も1歳2カ月の時に長崎の原爆で被爆した。直後の終戦から数年で両親と祖母が原爆の影響で他界し、経済的困窮から荒木さんは東京のおじ夫妻に引き取られ、2人いる姉のうちの1人とも離れ離れに。戦争の影響で家族を失った荒木さんは今の政治に対して「戦争しない国から、戦争できる国に変わってきているようで恐れを感じる」と懸念し、防衛関係費の増加についても「(対GDP比2%など)数字ありきの決定は容認できない」と語気を強める。
 荒木さんは「核兵器を持つことは人を殺すことしか意味しない」とくぎを刺し、衆院選に際して「戦争ができるための費用の捻出ではなくて、国民が“平和”になるための費用を捻出してほしい」と求めた。
 各党が訴えている安全保障政策。私たちは、それぞれの選択の「未来」を想像しなければならない。原爆を経験した人たちは核や戦争の恐ろしさを身をもって体験した。この声や思いに改めて耳を傾け、80年間続く「戦後」の意味を考え、1票を行使する必要があるのではないか。
(宮嶋優)
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