夏といえば怪談だが、そもそもなぜ夏に怖い話をするのだろうか。民俗学者の折口信夫は『折口信夫全集 22』の『涼み芝居と怪談』で以下のように語っている。

『夏芝居に怪談物の出ることは、人の心をひいやりさせて清涼の気に触れさせようとするのだと言ふ。雑談ではない。もつと正しい理由がある。夏枯れの芝居町に、遊食するに堪へぬ二流三流以下の人事雑用稼ぎにした「涼み芝居」から盆芝居へと、接続する為に、夏芝居が自ら盆狂言の傾向を持つて来ることになる』

折口信夫『折口信夫全集 22』中央公論社、1996年

夏に怖い話をするのは、恐怖を感じて背筋がゾッとするような涼しさを感じるといった理由ではなく、歌舞伎が夏季に幽霊の類が登場する「涼み芝居」を上演したからだそうだ。

涼み芝居(歌舞伎における怪談話)は農村などで催されていた盆狂言の伝統を引き継いでいる。盆狂言は地域によって様々なレパートリーが存在していた。
一般的にお盆は先祖の霊を迎える行事だが、他にも無縁仏や怨霊ですら「帰って」くると考えられていた。そこで、無縁仏や怨霊などを退散させたり、成仏させるような盆狂言が行われていたようである

とはいえ、現在では「夏に怪談」といえば「怖い話をして涼をとりましょう」といった意味合いで使われることも多いので、その意味で使っても構わないだろう。だが、2021年は怪談よりも恐ろしい疫病が流行っているので、友人知人で集まって怪談話をするのは難しい。

そこで今回は、自宅で一人で怖がれる映画を紹介しようといった趣旨で話を進めていくのだが、一口に「怖い映画」といっても幽霊が怖い、人が怖いといった「怖さ」のベクトルは多岐に渡る。幽霊が怖い人もいれば、精神的にヤラれてしまいそうな作品が怖い人もいるだろう。それはホラー映画の顔をしているかもしれないし、していないかもしれない。


そのため、本コラムではホラー以外のジャンルからもピックアップしている。とはいえ、まずはベタに幽霊・怨霊が怖い映画を挙げてみるとしよう。

※作品の配信・レンタルは2021年8月15日現在の情報です。

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幽霊・怨霊の怖さといえば『呪怨(オリジナルビデオ版)』

怨霊が怖い、人が怖い、訳がわからなくて怖い、顔が怖い。方向性...の画像はこちら >>

今やハリウッドでリメイクもされ、世界的に有名な『呪怨』シリーズであるが、原初の呪怨は2000年に発売された『呪怨』である。2003年に公開された『呪怨(劇場版)』と区別するために『呪怨(オリジナルビデオ版)』とか『呪怨(ビデオ版)』とか呼ばれている。

ビデオ版の販売実績は壊滅的だったそうで、口コミで評判が広がったとされている。筆者は当時高校生で、友人たちと「1人1本ホラー映画を借りて皆で観る」遊びをよくしていた。
ある日誰かがピックしたビデオが『呪怨』で、再生されはじめて間もなく「あ、ガチなやつだ……」と背筋が凍った覚えがある。

物語の設定としては「怨霊が人を呪う(呪い殺す)」話で、呪い担当はその後山村貞子とタイトルマッチを繰り広げることとなる、佐伯伽椰子である。

呪怨シリーズは国内・国外でかなりの数が製作されているが、ダントツで怖いのは『呪怨(オリジナルビデオ版)』だろう。そもそも1998年に『リング』が公開されていたので、VHSである点で既に恐ろしい。現在アマゾン・プライム・ビデオでレンタル可能だが、液晶だろうが有機ELだろうが100インチ長短焦点プロジェクターだろうが、どのような画面で観ても映像が荒いのでそれが更に怖い。当時も怖かったが、今、荒めの画質で観るのは恐怖を倍増させてくれることだろう。


『呪怨』の怖さは伽椰子や俊雄の動き、姿形などビジュアルによるものも多いが、伽椰子が怨霊になり人々を呪うまでの壮絶なストーリーも無関係ではない。彼女は結婚後も大学時代の同級生に片思いしており、彼への思いを書き留めていた黒歴史ノートを夫に発見され、嫉妬に狂った夫に惨殺された結果怨霊となる。怨霊とは「うらみをもって、生きている者に災いを与える死霊、または生霊」を意味するので、そもそも恨みがなければ怨霊にはならない。要は「怨霊も怖いけど、人間を怨霊にならせる所業もまた怖いんじゃ」ということで、突き詰めれば「人って、怖いですよね」に行き着く。

『呪怨(オリジナルビデオ版)』

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夏に観たい「人って、怖いですよね」映画といえば

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「人って、怖いですよね」的作品はたくさんあるが、夏、しかも今の時期ならば『野火』がいいだろう。『野火』は大岡昇平の小説が原作で、1959年に市川崑が映画化しているが、ここで採用するのは塚本晋也版『野火』である。舞台は太平洋戦争末期のフィリピン、レイテ島。
既に戦線は崩壊しており、主人公の田村一等兵は水も食料もないままジャングルを彷徨う。

本作も『呪怨』とまた違ったベクトルで怖い。なにせ物語は一人の兵士が殴られているシーンから始まる。顔面に拳をうけているのは監督である塚本晋也自身で「場所も、時間も、理由もわからず、ただ殴られている」のを観るだけでもう怖い。まるでこちらも一緒になって殴られているかのようだ。

画面に映し出されるは荒涼とした戦場ではなく、バッキバキの原色溢れるフィリピンの密林である。
日本軍の皆様は生きているのか死んでいるのかわからないような状態だが、草や虫、水、空気、花、自然の全ては恐ろしいほどに「生きて」いる。その密林のなか、もはや「敗走」とも言い難い、ゾンビの行軍のように土気色の人々が「人」ではない「なにか」に変容してしまう。この恐ろしさは、まさしく「ホラー」であるといえるだろう。

『野火』
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「人が人ではない何か」に変貌してしまうのも怖いが、人は人のままでも恐ろしい。その事実を適切に記録したドキュメンタリーといえば、『アクト・オブ・キリング』が挙げられる。

1965年、インドネシアでクーデターが起こり、スハルト少将がこれを鎮圧した。彼は共産党がクーデターに関与していると決めつけ、共産党員及び共産党員であると「決めつけられた人」たちを虐殺した。その数100万人以上といわれている。

スハルト少将はその後大統領になり、30年以上の独裁体制を敷く。当時の虐殺を主導していた人々は英雄視され、国の重要なポストに就いた。さらに、鎮圧部隊を手伝い虐殺に加担した民間人たちもまた、地域ではヒーローのように振る舞っている。

その「虐殺のヒーロー」たちに向かって「あなた達は国の英雄だから、当時の記録映画を撮りましょう。カメラ回すんで、実際にどんな感じで殺したか演じてみてください」と煽り散らかして撮影するのが監督、ジョシュア・オッペンハイマーである。監督が既に怖い。

嬉々として殺害現場を再現する登場人物たちは、正直言って「普通の人々」である。だが「人が人であるまま、状況によっては簡単に同族殺しもできるのだ」といった事実は、ホラー映画より何倍も恐ろしい。

さらに本作は「人殺しは悪い」といった単純な結末ではなく、大虐殺や戦争がいかにして起きるのか(起きてしまうのか)を描き出す。ちなみに続編『ルック・オブ・サイレンス』も製作されているので、鑑賞の際はぜひニコイチでご覧いただきたい。

『アクト・オブ・キリング』
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先ほど「人が人であるまま、状況によっては簡単に同族殺しもできるのだ」と書いたが、2002年に日本公開された『es[エス]』 もまた「ある状況下で人はどのように振る舞うのか」を描いたスリラーだ。

1971年に行われた有名な実験「スタンフォード監獄実験」を下敷きにした小説、『Black Box』を原作としており、新聞広告の募集で集まった男性たちが擬似刑務所で看守と囚人に別れて、各々の役を2週間演じ続けることとなる。

看守と囚人は実験開始当初こそ和やかな雰囲気だったものの、やがて役に入り込み、双方が対立していく。これ以上は危険だと判断がくだされるものの、責任者であるトーン教授は拒否。疑似刑務所のなかだけでなく、観測している側も巻き込んで凄惨な結末へと向かっていく。

ちなみにスタンフォード監獄実験は、現在では「眉唾ものである」といった見方が優勢で、スタンフォード大が公開した録音テープにより「ヤラセ」が発覚している。とはいえ、スリラー映画として観るならば申し分ない出来だといえるだろう。

さて「怨霊が怖い」のはわかるし「結局人が怖い」というのもよくわかる。だが、最高に怖いのは「意味がわからないけれど怖い」ではないだろうか。

『es[エス]』
配信サービスなし

「意味がわからないけれど怖い」映画といえば

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意味がわからない、わけがわからない、とにかくなーんもわからない。けれども「マジで怖い映画」の「怖さ」はかなりのものだ。

複雑な要素が絡み合っているので解りにくい(わざと理解し辛くしている)、恐怖の正体が明確に提示されないなど「わけがわからない」原因は様々だが、「なんかすっげぇ怖いモン観せられた」経験は、恐怖体験としては最高峰だと言っていいだろう。

そのような恐怖体験ができる作品としては『哭声/コクソン』を推したい。冒頭からラストまで、わけがわからない恐怖に満ち満ちている。と書くと少々語弊があるかもしれない。わかることはわかるのだが、結局「本当にわかっているかどうかはわからない」し、ラストの解釈は監督であるナ・ホンジン自身が「どちらとも取れるようにした」と言及している通り、観る人によって恐怖のサイズが変わる。

映画は韓国の田舎にある谷城(コクソン)という村が舞台で、ある日を境に村人が発狂し、人々を惨殺する事件が連続して発生する。その事件はなぜ起こったのかを解明していくのだが、シャーマニズムにキリスト教、韓国土着宗教に異物としての國村隼が半裸で山を駆け回るなど、まるでミルフィーユのような重層的なレイヤーとなっている。さらに除霊のために登場する祈祷師も怪しいし、謎すぎる謎の女も怪しい。誰が本当のことを言っているのか、誰が犯人(元凶)なのか、疑心暗鬼になりすぎて性格が悪くなりそうなほど、複雑怪奇に物語は進行していく。

そしてそして、ラストシーンは映画史に残る恐怖映像だろう。「背筋が凍るようなホラー映画」をご所望の方はぜひ観て欲しい1作だ。

『哭声/コクソン』
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Amazon Prime Videoでレンタル可能

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さて、「怪しい人」が出てくる映画といえば、同じ韓国作品だと『サバハ』がある。『サバハ』には怪しい人・怪しいが実は怪しくない人・怪しいと思っていたらマジで怪しい人・怪しいと思っていたら怪しくなかったのだがその後やっぱり怪しくなる人しか登場しない。

物語は「ヘロデ王の大虐殺」をベースにしているが、これに仏教やキリスト教、密教、韓国の土着信仰に「恨(ハン)の文化が入り乱れ、重層すぎてわけがわからない怖さ……と思いきや、意外と理解しやすく作られている親切設計である。それでも、初見時には「ああ、わけがわからなくて怖かった」と素晴らしき恐怖を体験させてくれるだろう。

『サバハ』
Netflixで配信中

そもそも監督本人が怖い映画もある

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※ヘレディタリー 継承

怖い映画を鑑賞して「こんなおっそろしい映画を撮ったのはどんな人なんじゃろ」と監督のことを調べてみたら、「作品よりも監督が怖いのでは」と感じてしまう映画もある。

例えばホラー映画の巨匠であるダリオ・アルジェントは『サスペリア』本編よりも怖い顔をしているし、『哭声/コクソン』のナ・ホンジンも現場ではかなり怖いらしいが、2018年に『ヘレディタリー 継承』をブチかましたアリ・アスターの右に出る者はなかなか居ないだろう。

アリ・アスターは実生活で嫌なことがあると、それを映画に反映させるそうだ。それだけで嫌がらせだが、クオリティの高い嫌がらせはエンタメになり得る。またインタビューでは「最高のストーリーテリングって、人を不快にさせて、困惑させる、悪戯なところがあると思う」と笑顔で語っている。正直、彼の映画よりも彼がニコニコとインタビューに答えている姿を見るほうが怖い。

彼の長編作品は(今のところ)いずれもホラーだ。『ミッドサマー』もそこそこ怖いが、『ヘレディタリー/継承』はさらに怖い。物語はとある一家を描く。ミニチュア模型アーティストであるアニーの母は乖離性同一障害、父は精神分裂病で餓死、兄は被害妄想が原因で自殺、自身も夢遊病で、先天性遺伝による精神疾患が子どもたちに「受け継がれて」しまうのではと心配している。

これら現実にある精神疾患と、降霊界、カルト教団、悪魔などオカルト要素が絶妙に結びつく手付きたるや鮮やか……というよりも鑑賞者を実に嫌な気分にさせ続ける。念のために書くが、嫌な気分にさせる=つまらない映画ではない。アリ・アスターが最高のストーリーテリングは人を不快にさせて、困惑させると語っているとおり、不快になり、わけがわからず困惑して、圧倒的な恐怖を感じさせてくれる。

『ヘレディタリー 継承』
NetflixAmazon Prime VideoU-NEXTで配信中

ここまで7作品ほど紹介してまいりましたが

怨霊が怖い、人が怖い、訳がわからなくて怖い、顔が怖い。方向性別「怖い映画」特集

ここまで、主に7作品をピックアップして紹介してきた。つまり「怖い映画7選」なのだが、7選とはまた微妙な数字である。だが「ホラー映画TOP100ランキング! 1位はそうですねぇ! やっぱり『エクソシスト』です!」と並べ立てるよりはいくらかマシだろう。そもそも、投票形式ならまだしも100選とかって本当に選んでいるのだろうか。

疑惑はさておき、『エクソシスト』のテーマ曲はマイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』だが、彼本人は全く関わっておらず、演奏もしていない。勝手に使われた曲が勝手に大人気になり、そのため自身のアルバムも売れたのだが、おそらく世界で最も誤解されている曲の1つだろう。

数千回ものオーバーダビングを駆使した本編は20分以上ある荘厳で壮大な楽曲であり、ホラー映画に使われるとはとても思えない幻想的な美しさをもっている。『エクソシスト』での誤解とともに、『チューブラー・ベルズ』は世界で最もイントロの続きが聞かれたことのない曲の1つだとも言えるだろう。人類の損失である。この事実は、本コラムで紹介した作品のどれよりも怖い。

『チューブラー・ベルズ』
AppleMusicで配信中