人はなぜ、フェイクニュースを信じるのか。そしてなぜ、あたかも真実であるかのように広まってしまうのか。
そんな研究に取り組んでいるのが、電通デジタルで働く市川さんだ。
入社1年目の市川さんは、大学院で博士課程を学びながら働く社会人学生として活躍し、自身の研究を業務に役立てようと日々奮闘中。今回はそんな彼に、仕事と研究の両立の方法や応用の可能性について話をうかがった。
○■研究内容は“複雑系科学” - 「なぜ噂が伝播していくのか」
――最初に、現在の所属部署と業務内容について簡単にご紹介いただけますか?
データ&AI部門のAIイノベーション事業部テレビAIグループに属しています。現在は「マーケティングに用いる指標の未来予測」に関するプロジェクトに携わっています。
――それではさっそく、大学で学んでいたことについて教えてください。
大学では主に複雑系科学について学んでいました。たとえば従来の物理学の場合はいろんな要素を一つひとつ分解して、「こういう関係があるからこういう事象が起こるんだ」と理解していくのに対し、複雑系科学はもっと巨視的に、要素間の相互作用を通して物事を分析することで見えてくるものがあるんじゃないか、という考え方です。
以前、複雑系科学を用いた気象学の研究者がノーベル賞を獲って話題になりましたが、僕の場合は社会科学に対して複雑系科学を使ったアプローチを試みる内容でした。具体的には、「なぜ噂が伝播していくのか」、「なぜ噂を信じる人が出てくるのか」といった研究トピックを含む、計算社会科学という領域で研究していました。
――大学院でも同じような研究をされていたんですか?
大学院では「技術経営」という場所にいました。英語で「テクノロジーマネジメント」といって、技術や技術者をどうマネジメントしていくか、という分野ですね。
僕自身はあまり技術のマネジメントはやっていなかったのですが、そこでもどうすればみんながSNS上の噂やデマ、フェイクニュースを信じないようになるのか、拡散しないようにできるのか、といったことを研究をしていました。
――現在も電通デジタルで働きながら博士課程を専攻していて、最近はハワイで講演もされたとか。
「HICSS(ヒックス)」という学会の選考委員の方に招待されて、今年1月にハワイで講演してきました。2023年に論文にまとめた、「AIで作ったフェイクニュースの画像に対して感情的な操作を加えることで、共有意欲をどうやって抑えることができるか」という研究内容についての講演(※)です。
もちろん電通デジタルにも許可を取って、1週間ほど滞在したのですが、ずっとホテルで缶詰状態だったので、観光などはまったくできず……かろうじてアロハシャツを買ったくらいですね(笑)
○■研究と仕事、情報に対する“ブレーキ”と“アクセル”の違い
――続いて、お仕事についてお聞きしたいと思います。まず、電通デジタルに入社を決めた理由を教えていただけますか?
最初は大学に残るか就職するかで迷いました。でも僕の研究分野の場合、データを持っているのは大学よりも、企業が持っているケースが多いんです。今後も研究を続けるにしても、企業との共同研究は避けられません。だったら一度、就職してみたいなって思ったんです。
電通デジタルはいろんなクライアントと協業していて、扱うデータも幅広いという強みがあります。ここに魅力を感じました。
それと、僕はフェイクニュースが広まらない仕組みに関する研究をしていますが、電通デジタルではブランドやサービスをより多くの人に広める仕事しています。
情報に対する“ブレーキ”と“アクセル”というベクトルの違いはありますが、かなり似ている部分もあると思ったんです。
――確かに、通ずる部分は多そうですね。市川さんの現在の業務内容についても可能な範囲で教えていただけますか?
マーケティングの未来予測のためのシステムを作る、というのが基本的な仕事です。すごくざっくりした話ですが、たとえば物を売るとき、どういうタイミングで展開すれば売れるか、事前に予測できたら嬉しいですよね。そういうシステム作りに関する業務などにあたっています。
――学生時代に学んだ研究内容などは活かせているのでしょうか?
技術的な面で活かせてるところはあるのかな……とは思うのですが、これまで組織で動くという経験もしたことがなかったですし、研究で目指すものと業務で目指すものもちょっと違う気がするので、勉強しなきゃいけないことばかりです。
すごくシンプルに言うと、毎日とても貴重なデータを扱わせていただいて純粋に面白いですし、プロジェクトを進めることで、誰かの課題を解決できているというやりがいも感じています。ここが研究とは大きな違いだなと感じています。
――「大きな違い」というと?
研究の場合、仮に論文を出したとしても、それがすぐに誰かの課題を直接的に解決することはあまりないんです。もちろん10年くらいの長いスパンで考えたら、誰かの役には立つのかもしれませんが、たとえば太陽光電池の研究者などは、研究結果が実装されるのは自分の死後かもしれない。アカデミアの世界では、こういうことが珍しくないんです。
でも、電通デジタルの仕事の場合、もっと短いスパンでクライアントの課題を解決しなければなりません。
結果としてクライアントには喜んでもらえますし、それがやりがいにもなる。すごく面白い仕事ですね。
――ちなみに、これまで取り組んできた研究そのものを仕事に活かせたりはしているんですか?
それはまだできていませんが、数年内にできたらいいなとは思っています。僕の場合、「広まってほしくない情報にどうやってブレーキをかけるか」という研究をしていますが、「広めたい情報を広めるにはどうすればいいか」という方向に研究を活かして、広告の拡散に使えたらいいなと考えています。簡単ではありませんが、電通デジタルで1年弱働いてきて、その可能性のようなものは見えてきました。
○■仕事と研究、どうやって両立している?
――今は博士課程で学んでいるとのことですが、仕事と研究をどう両立しているんですか?
仕事はもちろん定時で働いているので、研究は仕事の前後や週末に取り組んでいますね。平日は毎日6~7時頃に起床して、9時半くらいから仕事に取り掛かるので、その間に研究しています。夜も6~7時に仕事が終わるので、そのあとの時間を研究にあてています。会社と大学が近くなので、仕事後に大学へ寄ることもありますね。
――過密なスケジュールですが、休みは取れているんですか?
論文の締め切りが迫っているときなどはさすがに忙しくなりますが、完全にオフの日も作ったりしているので、ある程度のゆとりはあります。オフの日は旅行したり、ジャズが好きなのでセッションしたり、家でピアノの練習をしたりしてリフレッシュしています。
――仕事も研究もプライベートも、かなりアクティブなんですね。
それでは最後に、今後の目標について教えてください。
大きな目標としては、大学の研究と今の業務をもう少し繋げたいですね。業務上の知見を研究に活かしたり、逆に研究を社会実装したり。あとは自分の研究を広告業に活かせれば嬉しく思いますし、長い目でみるとそれがアカデミアと企業の連携に繋がっていくんじゃないかと感じています。
アカデミアと企業は、あまりお互いのことを知りません。少しずつ繋がっていくことで無駄な争いもなくなり、もっと協力できることも増えてくると思います。アメリカなどは研究の社会実装がもっとスピーディーですし、日本もまだまだいろんなことに挑戦できる余地があると思います。
※2024年開催の第3回計算社会科学会で発表した、「市川 慧, 陳 佳玉, 笹原 和俊:生成 AI によるコンテンツの共有に関するサーベイ実験」の内容を元に発表。なお本研究は国立情報学研究所の研究助成(公募型研究)およびJST CREST(JPMJCR20D3) の支援を受けた。
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