電話やデジタル通信など電気通信サービスを提供しているNTT東日本。情報通信技術やデジタルの観点から様々な社会課題や地域課題の解決を目指している。
そんなNTT東日本だが、そうした課題を解決するための多様な人材が揃っている。

そのなかでも異色の経歴を持つのが今回お話を聞いた、NTT東日本 東北 福島支店 BI部まちづくりコーディネート担当の織田秀夫さんだ。織田さんは、齢60歳で東北大学の大学院に進み、仕事と両立しながら2年で修了したという。学生とビジネスマンの両立という、二足の草鞋を履いていた織田さんだが、なぜ大学院への進学を決めたのか、学んだことがどのようにビジネスに活きているのかなど、話を伺ったので本稿で紹介していこう。

■25年以上前にオンライン診療を可能に

1980年に当時の電電公社に入社した織田さんは、設備計画やグローバルネットワークSEといった仕事に従事。その中で、様々な事業やプロジェクトに参加し、1988年ごろからは、福島県葛尾村におけるテレビ電話共同利用実験を担当する。現在は光回線が主流だが、当時はメタルケーブル回線を使うISDNサービスに力を入れ始めていた時期。「電話だけでなく映像を使ったサービスを普及できないか」との思いから、テレビ電話の活用を模索するプロジェクトにリーダーとして参加することになる。

「自治体と連携して、住民の方々がどのようなことで困っているかを、実際に現場に入って生の声を直接お聞きした」という織田さんは、ご年輩の方が通院に苦労しているという話を聞く。「病院が遠くて、朝一番のバスに乗っても通院には丸1日がかりになってしまう」という現状を知り、「テレビ電話で診療を受けられ、処方薬まで届くようにできたらいいですね」という声を聞いたことから、村役場、さらには厚生労働省などと相談。

“地域的に不利な場所であれば”という条件付きではあるが、テレビ電話によるオンライン診療と処方薬の宅配を全国で初めて実現させたことについて、「当時の日本郵便さんにも協力していただき『メディカルめーる』という専用の小包も作っていただいたんです」と懐かしそうに振り返る。近年ではコロナ禍もあり、オンライン診療もかなり普及しているが、25年以上も前に実現していた先見の明には驚きを覚える。


その後、インターネットの普及と動画などのコンテンツの大容量化が同時進行し、より高速なインターネット通信のニーズが高まった。しかし、高速通信に不可欠な光ファイバーの整備状況には、都市部と地方では大きな格差が生じ社会問題化していた。

「当時の背景として通信事業者間の価格競争が激化しており、各社とも都市部のユーザー獲得に焦点を合わせたため、投資効果が高い都市部では光ファイバーの整備が進んだが、投資しても回収が見込めない地方部では光ファイバーの整備が立ち遅れていた。都市部では、光ファイバーを電話局から200mも引けば、100人単位の利用者が見込めるが、地方では1km引いても、2km引いても、数人から数十人程度の利用者しか見込めない」と都市部と地方採算性の違いを指摘する織田さんは、通信事業者にとって負担が大きい光ケーブル整備を自治体と連携することによって、「田舎でも首都圏と同じサービスレベルで提供できるようにする」ことを目指し、ビジネスモデルの創出や社会実装を手掛けるようになる。
■震災、コロナ禍を経て新たな知識の必要性を実感

そして、2011年の東日本大震災後は、原子力災害対応や防犯システムの整備、食品放射能検査体制の整備といった施策を立案し、社会実装へと繋げていく。震災直後、津波被害で沿岸部の光ケーブルはかなり流されてしまい、さらに、福島第一原発周辺は立ち入りが厳しく制限された警戒区域に指定されたため、「ひとまずそれ以外の地域で粛々と復旧に向けて動きました」という織田さんだが、「原発事故により遠隔地に避難している自治体からは、避難者対応を円滑に進めるために、役場に残してきた業務用システムの移送と早期復旧を願う声が日に日に高まり、業務用システムを一緒に取りに行ってほしいと役場から支援要請を受けた。原発は危機的状態が続いていたが、役場職員と共に防護服と防塵フィルター付き全面マスクを身に着けて、恐る恐る警戒区域内の役場に赴き、業務用システムの搬出、搬送、除染、再構築を実施した」と振り返る。

また、原子力災害対応は不明なことが多く、ほとんどすべてが手探りであったことから、県民の不安を取り除くために、福島県とも連携して企画書を作り、放射線モニタリングや食品放射能検査体制整備、避難地域の防犯システム整備を推進しつつ、中間貯蔵施設整備のための光ケーブル設計にも携わるなど、まさに八面六臂の活躍を続ける。

先進的な取り組みから、復興に向けた立て直しなど、幅広い業務に従事しながら、2016年には放送大学に入学することとなった織田さん。高卒で電電公社に入社後、社内の大学で2年間、通信工学を学んだものの、大卒の資格がなかったことから、「放送大学って結構面白いし、役に立つからやったほうがいいよ」とのアドバイスを先輩から受けて、放送大学へ入学。そして「5年半かけて何とか卒業することができました」と照れ笑いを浮かべつつ、「ところが、学べば学ぶほどわからないことがたくさん出てきてしまった」と振り返る。

そして、原子力災害、コロナ禍などを経験する中で、自身が風穴を開けたオンライン診療には強い思い入れがあったことから、さらなる普及の必要性を感じ、そのためには社会福祉政策や社会安全政策といった自治体や社会の様々な制度設計を知ることが重要だと考える。
通信においてはエキスパートである一方で、自身に足りていない様々な知識を補っていく必要性を痛感。通信の知識のみでは解決できない課題に対応していくための新たな知識を獲得するために、大学院への進学を決意する。
■一般入試で大学院へ入学

2022年に東北大学大学院法学研究科の公共政策大学院の門を叩いた織田さんは当時60歳。「自分に学びたい気持ちがあったとしても、すでに還暦を迎えていましたし、入ってみたら足を引っ張って『このオジサン、ダメだよね』と思われるのは嫌でしたから」と笑顔を浮かべつつ、「それならば、門前払いしてもらったほうが良い」との思いから、いわゆる社会人枠などではなく、一般入試を受験。「自分の実力を試したかったんです」と当時の心境を打ち明ける。

晴れて入学した大学院では、「これまでの社会人経験を通して自分自身に足りないと感じていた知識を、効率的に狙い撃ちして獲得できた」という織田さん。特にワークショップでは、立法措置を含む制度設計に至るまでの過程を学びながら、現状把握から政策提言までのプロセスにおける手法と切り口を再点検。「足りないスキルを補完することができました」と満足気な表情を浮かべる。

また、立法措置を含む制度設計は、電気通信事業者の立場では経験できない分野であることから、「多岐にわたる社会課題への解決策を考える上で視野が広まり、これまでよりもワンランク上の政策立案スキルを得られました」と大学院での成果を挙げ、裁判官や判事、弁護士を目指す人材を養成している法科大学院との共通科目において、夫婦の財産分与、遺族基礎年金違憲訴訟、尊属殺人事件の判例などを題材にした討議や解説などを通じて、「限定的ではあるものの司法にかかわる知識も修得できたと思っています」と振り返る。
■超エキスパートに話を聞けるのは大学院ならでは

ワークショップでは、経済安全保障、その中でもサイバーセキュリティに絞って研究。サイバーセキュリティはその性格上、技術面や制度面において公にされない部分が多いことから、「そういったところに踏み込んで知識を得て、さまざまな先行研究や文献に目を通しました」という織田さんは、「サイバーセキュリティにおける超エキスパートの方々へのヒアリングや前国家安全保障局長をはじめ、内閣官房、警察庁、総務省など分野における最先端の方々の意見をヒアリング」できる機会を得られたのは、まさに東北大学大学院だったからだと感謝の意を示しつつも、「ただ、ヒアリング先に行った際、教授と間違えられてしまうことも多々ありましたが……」と苦笑い。

「オーストラリアのキャンベラで豪州政府の外務貿易省へのヒアリングに行った際には、風貌が教授らしく見えたせいなのか、いつの間にか“Prof.Oda”と呼ばれてしまっていました」とのエピソードを明かしてくれた。


また、年の離れた学友とのコミュニケーションについては、「やはり若い人が多いですから、何でも頑張れるところは素晴らしかった」と思い返しつつも、「ワークショップの研究テーマが経済や安全保障の分野は、ある程度世の中の情報の蓄積があって初めて思考が繋がってくる部分があるので、社会人経験のある私の方が有利な面がありました」という織田さん。人生経験、そして社会人経験がアドバンテージになり、自身がリードする場面も多かったと振り返る。その一方で、LINEやSlackを活用したコミュニケーションにおいては、若い世代から学ぶことが多く、「みんな精神的に大人だったので、年齢の差はありましたが、一学生として誠実に向き合ってもらえました」とあらためて感謝の言葉を述べる。
■二足の草鞋は想像以上に多忙も2年間で修了

大学院時代、平日の午前中は仕事、月火木の午後は大学院で授業を受けて、夜間にまた仕事。そして木金は午後まで仕事をして、夜間に研究を進め、土日は一日中研究に充てるというスケジュールで、仕事との両立を図っていた織田さん。授業は政策のプロフェッショナルとして必要な知識や能力を身に着ける講義が行われ、「極めて高いレベルで洗練された内容でした」と振り返る。また、研究に関しても、現場で起きている事象と実際の法政策をどのように整合させて、実効性のある政策としていくのに必要な現場力を養うために、膨大な量の文献や先行研究の調査、ヒアリングなどが求められ、授業時間だけではまったく足りずに深夜や週末にも研究に取り組むなど、非常に多忙な生活を送っていたという。

入学当初は長期履修制度を利用して4年間で修了するつもりだった織田さんだが、単位の修得が予想以上に順調だったこともあり、2年間で修了。その分、スケジュールは非常にタイトで、大学院時代の2年間の睡眠時間は、1日平均4時間程度だったという。社内においては、「大学院で学び直しをするというバイタリティーに感心してくれる人が多かった」とのことで、仕事面に関して、「学び直しがしやすい状況をつくっていただけた」と、会社側の配慮にも感謝を忘れない。

一方、家族の反応については、内心では応援してくれていると信じつつも、「正直なところ、どうせ脱落してみんなに迷惑をかけてしまうんだから……という感じでした」と苦笑い。家庭には仕事のことを一切持ち込まないということもあり、「私がどんな仕事をして、私にどんなことが起こっているのか読めなかったという部分もあるのでは」と想像しつつ、織田さん自身も家族には学び直しの目的を「ボケ防止くらいにしか伝えていなかった」という。

■様々なスペシャリストたちによるチームワークがNTT東日本の強み

大学院を修了し、あらためて仕事一本となった織田さんだが、「大学院修了後も業務としては変わっていません」とのこと。織田さんが所属する「まちづくりコーディネート担当」は、社会課題を解決する部署。社会課題を把握すること自体は、自身の肌感覚や五感が重要であり、「学業とはあまり関係ない」という。しかし、社会課題を構造的に分析し、証拠を集めて、説得できるように中身を組み上げていく過程においては、「学問が大いに関わってくる」との見解を示す。再生可能エネルギーの普及や日本の食料問題、エネルギー問題、安全保障問題などにおいて、特にエネルギーに関しては「うまく技術で解決できることも多い」という織田さんだが、「どんなに社会的に意義がある取り組みであっても、ビジネスとして軌道に乗せて、利益を出し続けないと活動は続かない」という考えを持っており、「そういうビジョンや問題解決の方向性を見極めていくスキルが得られた」ことは、大学院で学んだことによる成果だと捉える。

「万能選手がたくさんいるよりも、いろいろな個性や強みを持った人たちを組み合わせて力を最大化できるほうが良い」という観点から、「我が社は結構人材が豊富」とNTT東日本を分析する織田さん。調整力に長けた人、情報をキレイに整理できる人、綿密にコツコツと単純作業を間違いなくこなせる人、さらにはサイバーセキュリティや通信のエキスパートなど、個性豊かな人材を豊富に抱え、さらに、自治体や企業など、様々なところから力を借りて成り立っている。

「一人ではとてもできないことばかりですから、そういったチームワークの仕事がNTT東日本は得意」と冷静な目で評価する。現在織田さんは、若手1名の育成も担当しているが、「本当はもっと多くの人に伝えられた方がよいのかもしれないですが」と前置きしつつ、地方の支店には若手が少ないという現状から「まずはこの1人に自分のバックグラウンドになっているものを少しでも伝えられたら」との思いを明かす。

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目的を達成するために不足している知識を、学び直しにより狙い撃ちして獲得することは、「極めて効率が良く有益であり、人生のあらゆる場面で役立つはず」と信じる織田さんは、「年齢を重ねてからの方が、おそらく自分に不足していることも客観的にわかってくる」との考えを明かす。そして、「学ぶほどに分からないことも増えてくる」という悩みは、学び直しができる企業に所属できているからこその「贅沢な悩み」だと断じ、企業人生も残り2年と差し迫った今、この2年間で自身のノウハウを若手に引き継いでいくのとあわせて、さらにその先のビジョンとして、「これまで培ってきたスキルや経験をどのような形で社会に還元していくか、これからの2年で考えていきたい」との展望を示し、「目標を高く持って、気力と体力が続く限り、走り続けたいですね」と笑顔で締めくくった。
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