「どんなに高名なアーティストよりも、夫の作品が最高傑作」

1993年に女優デビューしてから30年以上にわたって数々の作品に出演している中谷美紀。Amazonオーディブル(以下、Audible)で6月30日から配信されるアートミステリー『リボルバー』では朗読を担当した。芸術を愛し、物語の舞台であるフランス・パリに住んでいたこともある中谷。
2018年にドイツ人のビオラ奏者ティロ・フェヒナー氏と結婚してからはオーストリアと日本の2拠点生活を送っている。中谷にインタビューし、芸術に対する思いやオーストリア生活などについて話を聞いた。

原田マハ著『リボルバー』は、ゴッホが自殺に使用したとされる拳銃「リボルバー」を起点にストーリーが展開する、アート史上最大の謎に迫るミステリー小説。ゴッホとゴーギャンという、生前顧みられることのなかった孤高の画家たちのヴェールを剥がす物語を、中谷が朗読で表現する。

音楽や美術などを深く愛している中谷は、芸術について「美のシェルター」「常備薬みたい」と表現する。

「戦争もそうですが、今、世界が荒廃しているので、寝る前に悪い情報を入れないように、夜は絶対にニュースを見ない、読まないと決めているんです。そして、音楽でも美術でも小説でも、美しい世界に触れている瞬間は現実の厳しさから逃避することができるので、それは欠かせないものになっています。お薬を飲むのと一緒で、常備薬みたいな感覚です」

美術館などを訪れるほか、好きな画家の作品を家に飾っているという中谷だが、自身にとっての最高傑作は、夫のティロ・フェヒナー氏が廃材で作ったアートだという。

「夫が白いキャンバスに朽ちてはずれてしまったアンティーク椅子の足を打ち付けただけの作品を飾っていて、私にとっては、どんなに高名なアーティストよりも、夫の作品が最高傑作なんです」

初めて見た夫の作品は、「錆びたベッドのスプリングを真っ白に塗った木に打ち付けただけのもの」だったそうで、「それを見たときに、この人と美的感覚が合うかもしれないと思いました」と振り返る。

そして、「夫は時間があると何かクリエイティブなことをしていないと気が済まないタイプで、壊れた電気を直したり、調光できるように変えたり。また、白いキャンバス、あるいは自分が描いた絵をもう1回白に塗り直して、そこに木片をつけてみたり。常にクリエイティブなことをしています」と、音楽に限らず芸術を愛する夫について紹介。


“最高傑作”である夫の廃材アートに囲まれた生活に、「ありがたいですね。クリスティーズに出品されるような高額な絵画でなくても、その辺に転がっていた廃材で十分に心が満たされるので、とても幸せだなと思います」と笑顔を見せた。

○スーパーで何度も忘れ物 そのたびにオーストリア人の優しさを実感

中谷は2018年に結婚し、日本とオーストリアの2拠点生活を送っているが、オーストリア生活で大事な気づきがあったと明かす。

「もともとクリムトの絵が苦手で一度も本物を見てなかったのですが、ウィーンで『接吻』を見たときに、ゴールドがギラギラしていなくて、西陣織の上質な帯のように繊細な金で、とても美しかったんです。そこで苦手を克服できて、人間の人生はいかに偏見に満ちているのかと思い、人の意見に耳を傾けたり、異なる角度からものを見るというのはとても大事なことだなと感じました」

また、「オーストリア人は日本人に性格が近い」と言い、落とした財布がすぐ戻ってきたり、忘れたクレジットカードを届けてくれたりしたという、オーストリア人の優しさが伝わるエピソードを教えてくれた。

「あちらでは自分でクレジットカードを差し込んで抜くので、スーパーで抜き忘れることが度々ありまして、もはや数え切れないほど忘れていますが、毎回追いかけてきてくださるんです。レジの方だけでなく、レジの方が次のお客さんに預けて、お客さんが追いかけてくださることもあって、オーストリア人は皆さん誠実で優しいです」

オーストリア生活で育まれた“なるようになれ”精神

42歳で結婚してから仕事観や人生観にも変化があったという。

「それまでは仕事のために仕事をしてきたような30代で、携わってくださっている方々のためにも結果を出すということに常に追い立てられている感覚がありましたが、半径50センチ、あるいは家族が健康で幸せだったらそれで十分だと思うようになりました。関わってくださっている方には幸せであってほしいという思いは当然ありますが、家族の幸せや自分の健康を犠牲にしてまで仕事をする必要はないなと。やはり命あってこそだと思います」

仕事だけではなく、プライベートの時間も大切に。中谷は「それを叶えてくれるのがスーパーマネージャーの存在です。私1人ではできないことで、チームプレーです」とマネージャーへの感謝も口にした。


今後の抱負を尋ねると、「『なるようになれ』です」と笑顔で答えた。

「以前はもう少し具体的な目標があって、そこに到達するために今これが必要だということを前もって考えていた節もあるのですが、どんなに計画してもなるようにしかならないので、最近はもう、なるようになれと」

その考えにはオーストリア生活も影響しているという。

「田舎で暮らしていると、自然は人間の思い通りにはならないので、その思い通りにならなくて仕方がないことも受け入れて生きていこうかなと。また、近くに戦争で苦しんでいる方々がいて、お掃除をしてくださる方がウクライナからの難民の方であったり、庭の手伝いをしてくださる方が20数年前に戦時中のコソボから命からがら逃れてきた方だったり、そうした方々のお話を直に聞いていると、ただ命があるだけでありがたいと思うんです」

続けて、「もともと功成り名を遂げようなどという思いもなく、おいしいものとアートがあれば幸せという人間で、この仕事の一番の醍醐味は、誰もいない美術館に案内していただけることです。誰もいない空間で静かに作品を感じられる。それが本当に幸せです」とアートへの愛を語る中谷。

そして、「このAudibleを通して少しでも美術の世界にご興味を持っていただき、美術展にも足を運んで本物に触れていただけたら、より人生が豊かになるのではないかなと思います。自分なりの美を追求するというのはとても幸せなことだと思うので、荒廃した世の中だからこそ、あるいは、とても窮屈な世界だからこそ、絵画やアート作品をご覧いただいて少しでもご自身の心のスペースを広げていただけたらと思います」とメッセージを送った。

■中谷美紀
1976年1月12日生まれ、東京都出身。1991年に芸能活動を開始し、1993年に女優デビュー。その後、数々の映画、ドラマ、CMなどに出演。映画『嫌われ松子の一生』(2006)で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞ほか、多数の受賞歴を持つ。
絵本、エッセイ集、旅行記の刊行など、その活動は多岐にわたる。著書に『インド旅行記1~4』『オーストリア滞在記』『オフ・ブロードウェイ奮闘記』などがある。

■『リボルバー』
著者:原田マハ ナレーター:中谷美紀
パリのオークション会社に勤務する高遠冴の元にある日、錆びついた一丁のリボルバーが持ち込まれた。それはフィンセント・ファン・ゴッホの自殺に使われたものだという。だが持ち主は得体の知れない女性。なぜ彼女の元に? リボルバーの真贋は? 調べを進めるうち、冴はゴッホとゴーギャンの知られざる真実に迫っていく。
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