最近は見かけなくなったが、かつて「ポケットコンピュータ(ポケコン)」と呼ばれるカテゴリがあった。電池駆動でプログラミングが可能なコンピュータで、ノートPCやタブレットよりも小さく、形状としては、「ハンドヘルド」と呼ばれる範疇に入るが、ポケコンはハンドヘルドの中でも小さく、縦にするとワイシャツのポケットに入る程度の大きさのものをさす。


プログラミングのためフルキーを装備するものが多い。8 bit CPUを使いBASIC搭載した初期の「マイコン」をモバイル形にしたものといえる。しかし、実際のところ、ポケコンは、マイコンから派生したのではなく、マイコン登場以前からあった「プログラマブル関数電卓」を祖先に持つ。このため、多くのポケコンは、電卓向けに開発された低消費電力の専用プロセッサを採用することが多い。

1970年台には、多くのメーカーが「事業部制」を採用していた。事業部制は、事業部ごとに独立採算のビジネスを行うもの。事業部でビジネス判断ができるため、決定が迅速になり、自身で独立採算となるため、ビジネスを把握しやすい。反面、社内であっても独立性の高い事業部間では、連携が取りにくく他事業部のビジネスには「我関せず」になりやすい。ビジネスによっては他事業部も競合相手となりやすくお互いを「敵」と認識することもある。

こうした事業部制を外部から見ると、同じ会社の製品でありながら、チグハグなラインアップに見えてしまう。それぞれの事業部にはそれぞれ固有の問題があり、独自の判断を行ったからである。また、他事業部から移管された製品は傍流扱いされることもあり、社内の力関係が製品計画に影響する。
事業部は自身のビジネスだけしか見ていないため、外部から見れば将来予測が間違っているようにも見えることもある。

1980年台、多くの家電、電機メーカーがマイコン/パソコンに参入したが、早期に参入したメーカーでは、8 bitマイコンは、マイクロプロセッサを扱う部品事業部や家電事業部が扱っていた。その後、16 bit パソコンが登場すると、これをコンピュータ関連事業部が担当することが多くなった。これに対して、ポケコンは、プログラマブル関数電卓の技術が必要だったため、電卓関連の部署が扱うことが多かった。

最初のポケコンは、1980年のシャープ PC-1210/1211だが、ここに至る前にプログラム関数電卓のポケットサイズ化とバッテリ駆動技術が必要だった。1974年に米国HP社がバッテリ駆動可能なポケットサイズのプログラマブル関数電卓 HP-65を開発すると、それまでデスクトップサイズだったプログラマブル電卓を持ち歩くことが可能になった(表01)。ただし、当時は、ポケットサイズの電卓に利用できる表示装置は、7セグメントによる数字表示しか行うことができなかった。

このポケットサイズのプログラマブル関数電卓がポケットコンピュータになるためには、アルファベットを表示できるディスプレイと、フルキーボードが必要になる。関数電卓の場合、必要な機能をすべてキーに割り当て、数字のみでプログラムを表現することができる。しかし、BASICのような言語では、フルキーボードから文字として関数名やステートメント名を入力する必要があり、どうしてもアルファベット表示が必要になった。これを可能にしたのが、ドットマトリクスの液晶表示装置である。

当時、筆者は、理系の大学生だったが、実験結果の集計や計算に電卓は必須だった。
当時流行していたのは、カシオのFX-502Pというプログラマブル電卓だが、表示は7セグメントの液晶だった。HPのシリーズもやはり7セグメントのLEDを表示装置に使っていた。

しかし、シャープのPC-1210/1211が登場すると、翌1981年には、ドットマトリックス表示のプログラマブル関数電卓 FX-602Pおよび、BASICが実行できるポケコン FX-702Pを発売する。この1981年とはIBM PCが米国で発売された年でもある。

その後、ポケコンは、パソコンとは別に一定のシェアを持つようになる。しかし、パソコンが低価格化し、モバイル対応が進む。1982年にはエプソンのHC-20が登場し、翌1983年にはPC-8201が発売される。さらに1984年には、IBM PC互換機のラップトップ DG-1が登場、翌年には東芝のラップトップ T1100が登場するなど、パソコンのモバイル化が進んだ。このため、ポケコンは、趣味や学校教育、専用端末としての道を歩み始める。Z-80CPUを搭載しアセンブラやBASIC以外の言語にも対応した。しかし、ポケコンという名前が、サイズを既定してしまったため、ポケコンは大型化することはなかった。また、ポケコンの普及期と16bit パソコンの普及が重なり、コンピュータの利用はプログラミングからアプリケーション利用に移行したことも衰退の遠因と思われる。


ポケコンに導入されたドットマトリクス液晶は、高解像度化してパソコンの表示装置となりラップトップPCを実現することになった。こうしてポケコンは居場所がなくなり、現行製品のカテゴリとしては消滅した。しかし、その前身であるプログラマブル関数電卓は、まだ販売が続いている。

今回のタイトルネタは、ハドリー・チェイス(James Hadley Chase)の「The World in My Pocket(1958年)」(邦題、世界をおれのポケットに、創元推理文庫)である。チェイスはハードボイルド黎明期の作家だが荒くキツい。この作品も主要な登場人物のほとんどが悪人。
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