役柄として生きる“129分の余命”と“壮大な切り抜き”
外は日が沈み始めていた。予定していた時刻からわずかに遅れて案内されて、綾野剛は静かに現れた。「長い時間、お待たせしてすみません」
数時間にわたるメディア対応の最後の取材枠。
穏やかに着席したその姿からは疲労の色は見えず、こちらも自然と背筋が伸びる。
この日、彼が語ってくれたのは、主演を務めた映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』(6月27日公開)について。映画への熱い思いを吐露する中、インタビューは終盤に思わぬ方向へと展開する。
僕の話を文章にしないでください――。
○台本を開いて聞こえた“ゴング”の音
児童・氷室拓翔(三浦綺羅)への体罰を理由に母親・氷室律子(柴咲コウ)から告発され、マスコミから“史上最悪の殺人教師”としてレッテルを貼られたことで日常が崩壊していく教師・薮下誠一。世間から猛バッシングを受ける人物を、綾野は誰よりも愛し、映画の中で生き抜いた。
「台本を開いたとき、まるでゴングの音が聞こえたような気がしました」
役者として、たぎるものを感じた。三池崇史監督との17年ぶりのタッグ。それに加えて、福田ますみ氏のルポルタージュをベースにした脚本は、丹念に取材を重ねた原作を立体化させるように、薮下が激しい感情に揺さぶられながら一人ひとりと対峙していく。
「それぞれの役柄とトーナメントのように戦い続けなければならないと感じました。まるでノーガード打ち合いの真剣勝負」
○“自分”を生きている時間が少ない俳優業
覚悟の裏にあったのは、“フラットな状態”への意識。その拠り所は脚本だ。
福田ますみ氏への敬意を示しながら、役者として誰よりも誠実であろうとする綾野の一面が垣間見える。
「撮影に入る上で、まずは実話をベースにしたノンフィクション(原作)に捉われすぎず、よりフラットな状態で臨む必要がありました。僕たちにとってそれは脚本で、そこに対して誠実に向き合っていく。もちろん、脚本家やこの作品を映像化したいと情熱を持った方々の思いも受けとめながら」
実在の人物や事件を背負うこと、そこにも興奮の源があるのではないか。フィクションとの違いを問うと、綾野は「ないです」と即答する。
「年間を通じて、“自分”を生きている時間の方が圧倒的に少ない。それは、“僕じゃない人を生きる”ということ。今回でいえば、薮下を誰よりも愛し、129分という上映時間の中で生き抜かなければならない。なぜなら、その129分は薮下にとっての“余命”ですから」
この言葉には、役として生きることへの飽くなき探究心がにじむ。綾野は、その“一面”を映し出すことに全力を注ぎ込む。
「物事は多面で複雑です。映画は、その多面体の中の一面にすぎません。
福田さんが記録されたルポルタージュという一面を、僕たちは薮下にフィーチャーして映像化しました。すべての面を映像化したわけではなく、今作は“129分の壮大な切り抜き”とも言えます。だからこそ、この129分に誠実に向き合うことは、総合芸術にとって必要なことだったと思います」
○“クリエイター”として「1→100」の使命
小説、漫画、オリジナル、ノンフィクション。数々の映像化作品で、役柄の人生を全うしてきた。当然、それぞれアプローチは変わるが、どれも特別ではない。俳優・綾野剛は、どこまでもフラットだ。
「脚本や環境、座組など『0→1』は作っていただいているので、あとの『1→100』の物語をどう作っていくか。僕はある意味でクリエイターなので、アーティストさんのように『0→1』を生み出せるわけではありません」
作品ごとに様々な壁が立ちはだかる。決して易易と乗り越えてきたわけではないが、困難と向き合う時間も役者冥利に尽きる瞬間だ。一方でそこに埋没することなく、常に俯瞰からも作品を捉えている。
「律子さん(柴咲コウ)が主張する真実を、忠実に再現することもとても大切なことでした。今作は、特定の誰かに感情移入させないように、中立なところからあくまで客観的に撮られています。
だからこそ、律子さんの証言をきちんと表現することが、とても大切なプロセスなのです」
演じることによる印象操作は避ける。すべては映像に身を委ねるためだ。
「悪そう、優しそうに見せるとか、そういう狙いは全くありません。実は声のトーンもさほど変えていません。使っている言葉やタイミング、相手を感じながら話しているかどうかなど、言葉の扱い方が違うだけなんです」
事件の発端となった家庭訪問のシーンは、薮下と律子の食い違う主張を再現しているが、前半部分のカメラは薮下の表情を鮮明に映していない。
「僕の顔を見せると、観客はそこに感情移入してしまいます。見せないから、見えている方を信じてしまう。僕たちの芝居で印象付けるのではなく、芝居以外の客観的な部分で印象付けることを、三池組は選択されたのだと思います」
2023年に俳優デビュー20周年を迎えた綾野。当時のインタビューでは「変化し続けること」を望んでいたが、今年1月に43歳を迎えて、その考えに“変化”はあったのか。
「変化とは行動し続けていることだと思っています。できるだけ頭の中で解決せず、見て聞いて触れて可視化する。とにかく、そこに向かっていく作業を止めないことが大事なのだと思います。
何かをアップデートしていくことがとても楽しい。あまり、昨日の自分に執着しすぎない、です」
インタビューは相乗効果で生まれている“総合芸術”
○何を感じ、何を思うのかインタビューの終了時間が迫っていた。綾野はふと、自分の言葉で何かを補うように、記者にこう投げかける。
「インタビュアーさんから、原作に対する慮りといいますか、願いや祈りをものすごく感じていて。とても大切に向き合って自分事としてとらえてくださったのだなと強く感じました」
数年前に手に取った原作は、確かに何度も読み返した思い入れの強い本だった。私情が出すぎてしまったことを詫びたが、綾野は「インタビュアーとしての言葉に聞こえなかった」と正直に打ち明けて笑顔を見せる。
「ご自身で感じられたことを文章にしていただきたいと思うんです。それが、みなさんに一番届くと思っていて。だから、僕の話を文章にしないでください」
さらに、これまで取材対応する中で、以前から密かに抱いていた“願い”にも触れる。
「取材をしていただくと頭が整理されますし、興味を持っていただいていることに心から感謝しています。でも実は、ライターさんやインタビュアーさんご自身が、“何を思うのか”を書かれた記事を読みたいといつも思っています」
質疑応答からの“変化”をもたらした綾野の人間味。それは、彼の「今をどう生きるか」という人生観にも繋がる。
「インタビュアーさんの思い入れに対して反応せず、受け答えすることもできましたが、お話ししていて、キャッチアップしたくなり、このような話の流れになりました。インタビューも総合芸術、相乗効果で生まれているものだと思うんです」
一方通行の発信ではなく、双方向の“シェア”。その価値を何度も口にする。
「シェアすることってとても大切なことだと思います。とにかく共有することで初めて、仲間だったと気づくこともある。共有の旗を掲げないことには、仲間も集まってこないし、少数精鋭で十分となってしまいます」
そして、自身の“これから”を思い浮かべる。
「好きな人とだけ仕事していても、10年なんてあっという間に過ぎてしまいます。あらためて思うのは、自分にとって大切なもの、大切な人は何なのか。そして、自分の思いや考えをきちんと表現し、仲間とどのようなクリエーションを生み出せるのか。自分のこれからの人生にとって大切なプロセスだと思っています」
「切り抜き」という言葉には、ときにネガティブな印象がつきまとう。だが、綾野はその“断片”にこそ、ひたすら丁寧に向き合っていく。誠実に演じ、誠実に語り、そして誠実に共有する――そこには、表現者としての揺るぎない信念がある。
一方的に取り上げられたことで、人生が一変してしまう理不尽な現実。映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』が映し出すのは、まさにその“切り抜き”の重さだ。129分の断片が、観る者それぞれの中に、そっと問いを残していく。
■綾野剛
1982年1月26日生まれ、岐阜県出身。2003年に俳優デビュー。映画『クローズZERO II』(09)や『新宿スワン』シリーズ(15・17)、『怒り』(16)、『閉鎖病棟 -それぞれの朝-』(19)など、幅広いジャンルで存在感を示す。『日本で一番悪い奴ら』(16)と『カラオケ行こ!』(24)で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。ドラマでも多くの作品に起用され、『コウノドリ』(15・17)や『MIU404』(20)、Netflix『地面師たち』(24)などの主演作も話題に。2025年6月27日に主演映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』が公開。
衣装協力:スーツ\88,000 (ヴィンテージ/King of Fools) 人差し指リング\22,000 (ヴィンテージ/RESURRECTION) 小指リング上から\24,200、\11,000、\22,000 (ヴィンテージ/RESURRECTION)
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