愛用する腕時計を手がかりに"人生の時"を語ってもらうインタビュー連載『夢を刻む、芸人の時計』。テレビでおなじみのあの芸人は、どんな若手時代を過ごし、ブレイクの瞬間を迎え、どうやって未来を刻んでいくのだろうか? そのストーリーに迫る。
本稿で話を聞いたのは、お笑いコンビ コットンの西村真二さん。1984年6月30日生まれ、広島県出身で、NSC(お笑い養成所)東京校17期生。2012年に相方のきょんさんと「ラフレクラン」を結成し、その後2021年にコンビ名を「コットン」に改名した。
○バイト代を全投入、洋服が大好きだった学生時代
――人生で初めて購入した腕時計を覚えていますか?
高校生のときに買った「G-SHOCK」だと思います。当時は黒のスキニーパンツをはいて上はちょっとダボッとさせて、ローテクスニーカーを合わせるのがストリートファッションですごく流行っていたんですよ。いわゆる"裏原"全盛期で、そういうファッションに合うアイテムとして、有名セレクトショップがこぞって「G-SHOCK」を売ってたんです。
買ったのは黒の普通のゴツいやつです。高校生にとっての1万円ちょいって、大金じゃないですか。アルバイトのシフト約11時間分の対価として得られるものでしたから、やっぱり壊れにくさも重視して購入した記憶があります。
――高校生のころ、自分で腕時計を購入されたときのファッションの状況は?
1990年代後半から「Supreme」が流行りだして、それこそ「SILAS」や「ALMIGHTY」などのブランドが出てきて、B-BOYファッションも流行っていました。太めのズボンで「Timber」の靴を履いたり、「NAUTICA」を着たりするみたいな時代だったんです。
僕もそのなかでいろいろな洋服を買ってきたんですけど、やっぱり一番ハマったのは、いまでも裏原宿にある「WHIZ(ウィズ)」(現在はウィズリミテッド)っていうブランド。
――Supremeなどは購入されなかったんですか?
最初はかっこいいと思ってたんですけど、友だちがみんな「Supreme」を着だして、「被るのは嫌だな」って何となく感じ始めてました、当時15歳くらいかな。
○広島ホームテレビのアナウンサーを辞して、芸人の道へ
――初めて舞台に立たれたときの感想や当時の心境を教えてください。
忘れもしない2012年の4月ですね。「神保町花月(現:神保町よしもと漫才劇場)」にNSCがあって、そこでは立たせてもらっていたんですけど、プロとしてお金をもらったのはそのときが初めてでした。
――やはり緊張されましたか?
僕は芸人になる前、広島ホームテレビでアナウンサーとして働いていました。3年間カメラの前に立って仕事をしていたので、実は舞台では緊張しなかったんですよ。生放送もやっていましたし、ぶっちゃけ当時のプロ野球実況の方がよっぽど緊張してました。緊張するのはどちらかと言ったら相方なんですよね。セリフも6:4くらいできょんの方が多くて、めっちゃ緊張していたのを覚えています。
――当時のネタをいま思い返してみると、どんな印象ですか?
青い……青いを通り越して白いから、淡かったですね(笑)。ネタに奥行きもなかったし、でもなんか、楽しそうにやってたと思います。僕らはNSCのときから本当に仲良しで、その2人でコンビを組んで、だからいまでも仲がいい方のコンビだと思うんですけど、当時の映像は観たくないですね。いま一番、僕らの恥部かもしれない。トップシークレット(笑)。
遊園地でカップルがキスをするタイミングを計る、みたいなネタだったんですけど、そういうのって、舞台上ではモテないムーブしてる人がやるから面白いんですよ。こんなね、学生時代からスーパー陽キャな2人が「タイミングわかんない」って、そんなもん嘘しかないですから。
――ではお客さまの反応も芳しくなかったのでしょうか?
いや、それがね。文化祭で人気もんがはしゃいでるみたいな持ち前の明るさとガッツだけで、当時のランキングシステムで1位通過しちゃったんですよ。そして、そのまま劇場所属が決まるっていうウルトラロケットスタートを切りました。
その日たまたまお客さんが温かくて1位を取れたんですけど、いま思い返すと自分たちが面白いって勘違いしてましたね(笑)。笑ってくれたお客さんには本当に感謝ですよね。
――これまで「時間が止まっていた」と感じた瞬間はありますか?
やっぱり広島ホームテレビのアナウンサーをやめたときですね。あのときが人生の第1章のフィナーレでした。26歳で正社員の地位を捨てて、親に「ごめんな親不孝で」ってお金をほぼ全部預けてNSCに来たんですよ。
で、NSC生なのにアナウンサー感覚で家賃8万円の下北沢の物件を契約して、そこからめちゃくちゃ苦労しました。「お笑いがしたい」っていう熱だけで上京したので「あれ、25日に給料が入ってこねーな」ってなって、アルバイトを始めるわけです。
本当に良くないんですけど、「俺、これが本職じゃないし」みたいな感じで働いていたら、若いバイトリーダーの方に「西村さん、『いらっしゃいませ』は正しく言いましょう」と言われて、「アナウンサーとして正しい日本語使ってたのにな」って思ったりして。そのときに「なんか俺、大丈夫かな……」って並々ならぬ焦燥感に襲われましたね。アナウンサーの同期がテレビで活躍しているのを見て「俺、なにやってんだ」って。毎日が楽しかったのと同時に、すごく時が止まっていました。
アナウンサー時代の夢を見たりとか、目覚めて「あ、今日午前ニュースだ……違うな、ここ下北沢か」っていうのが何度もあって、99%は芸人目指してがんばっていたけど、「いまならまだ戻れる」っていう残りの1%がありましたね。
――それまで引かれていた人生の道筋が見えなくなったと。
憧れだけで入ってきたこの道に、いざ自分がプレーヤーとして立った瞬間、こんなにも過酷でいばらの道なんだなと気づきました。
ただ、ライトは仲間が照らしてくれるから、一緒に歩くみたいな。でも、そのライトもいつまでもつかわかんないし、NSCの同期はたった5カ月で半分くらいやめていきました。「やっぱ就職するわ」ってやつもいたりとか。人生に向き合う時間でもあったなと思います。
――芸人をやめようか迷ったことはありましたか?
僕は広島ホームテレビをやめて、広島に彼女もおいてきました。生半可な気持ちじゃなかったので、戻ろうとは思わなかったです。
広島ホームテレビは5年ぶりの男性正社員アナウンサーとして自分を拾ってくれた場所だし、その期待を裏切ったようなもんだから、中途半端に芸人になるのを諦めるのは違うし、諦めたら顔向けできないなって。
26歳でNSCに入って、30歳までになにか結果を出そうという気でいましたし、そんな焦りを消してくれたのもやっぱり芸人の仲間たちでした。本当に学生時代よりも青春してました。大人になってからの青春ってすごくいいっすよね。
○15年越しの夢、「IWC」に込められた思い
――いまの西村さんにとって腕時計とはどんな存在でしょうか。
「芸人として舞台に向かう最終スイッチ」みたいなところがありますね。
上着を決めてパンツを決めて、ソックスこれで、靴はこうしようとか考えて、家を出る最後に時計をパチンとはめるので、そこで「よっしゃ!」って気合いが入るんです。
――現在はどんな時計を使っていますか?
メインで使っているのは2023年に買った、この「IWC ポルトギーゼ・オートマティック」1本です。僕は舞台上や番組で仕切りやMCをやることが多いんですよ。だから時計は持っておかなきゃいけないんですけど、初めてガッツリお金をかけて買ったのはこれが初めてですね。
実はアナウンサー時代、ボーナスで「IWC ポルトギーゼ・クロノグラフ」を買おうと思ったことがありました。周りはやっぱりロレックスをつけている人が多かったので、僕はやっぱり「被りたくない」と思って。
そのなかでもやっぱりIWCがかっこいいなと。"見る人が見ないと高く見えない時計"っていうところに僕は魅力を感じていて、めっちゃ普通でめっちゃ高いみたいなのが好きなんですよ。
でもそのころには、将来アナウンサーをやめて芸人になるって心のなかで決めていたので、「これ、本当にいるのかな?」って欲を抑えて買うのを我慢していました。だから時計の1本目は絶対にIWCにしようと思っていたんですよね。これは15年越しの夢だったんです。
そしたらいざ購入するときには、価格が15年前の2.5倍くらいになってて、「当時買っときゃ良かったやんけ!」とはなりましたけどね(笑)。
――IWCを購入されたきっかけは?
きっかけはTBSの朝の番組『ラヴィット!』です。生放送中、ISHIDA新宿さんで時計を購入する流れになっていました。事前に番組には、"オートマティックの青文字盤が欲しい"と伝えていたんですけど、お店から出てきたのはオートマティックの金文字盤で。
「あれ?」と思った矢先にCMに入って、お店の方から「すいません、これいま、金しかなくて……」と(笑)。青文字盤のデザインを気に入っていたので、どうしよう、クロノグラフなら青文字盤がお店にあるな、こちらにしようかなと実は悩んでいたんですよ。
でもCM明け直前、麒麟の川島明さんが「西村、多分オートマティックやで」ってささやきまして(笑)。その一言で、オートマティックの金文字盤を購入することになりました。オートマティックの方がクロノグラフよりも50万円高かったので、川島さんの一言で、一気に購入金額も上がりましたね(笑)。
――では、金文字盤を選んだ後悔があったりするのですか?
それは、まったくありません! ISHIDA新宿さんが用意してくださった時計だし、川島さんも選んでくださったと僕は勝手に思っているし、お店とはいまでもお付き合いが続いていて、素敵なご縁も生まれましたしね。
だから文字盤の色なんて関係なくて、アナウンサーをやめて芸人になって、キングオブコントで準優勝して、朝の人気バラエティ番組にも呼んでいただけるようになった、そういう全部の思いがこもった記念の1本目だから、寸分の後悔もありません。
○70歳になっても、劇場に立って「バリおもろい」って言われたい
――いつか手に入れたい腕時計があれば教えてください。
買えるかどうかわからないですけど、「パテックフィリップ ノーチラス」とか、ベタにいいと思います。例えば「オーデマ ピゲ」とか「ウブロ」とか、なんかわかんないけど高そうに見えますよね、でもノーチラスこそ、僕のなかで究極の「なんでこれ高いん?」の1本なんです。
あと、「ロレックス ヨットマスター 40」のブライトブルー。他の芸人がつけているのを見たことがないし、なんか上品なロレックスって感じがして。やっぱりみんなが持っているものは持ちたくないっていうのがあって。別に「かっこよくなくない?」って言われてもいいし、「お前にはわかんないんだ、この良さが……」と思えるものがいいんですよね(笑)。
――最近"何より優先した時間"はありますか?
僕らはスーパー体育会系で、これまでほとんど休みを取ってこなかったんですが、相方もパパになる予定ですし、2026年からは積極的に休みを取ろうという話をしています。
そんななかで、家に帰ってお酒を飲む時間はすごくスペシャルな時間です。めっちゃ恥ずかしいですけど、僕、お笑いがめっちゃ好きで、ずっとお笑いのことを考えてるし、お笑いを見てるんですよ。だから移動中もバラエティ番組を見るし、マセキ芸能社やワタナベエンターテインメントのYotubeも見るし、若手芸人もチェックしています。だから、家でお酒を飲むときが唯一脳を休める時間です。
同時に、お酒を飲む時間は妻との時間でもあるので、あんまり家で仕事はしないようにしているんです。最初にビールを飲んで、そこからは妻のご飯に合わせて焼酎に行くかウイスキーにするか、ワインに行くか選ぶ感じですね。飯がおいしいので。
――大事にされている時計と、どんな時間をこれから刻みたいですか?
芸人の生き方も多様化していて、SNSやYoutubeを主戦場にしている方もいまはたくさんいます。でも僕はやっぱり、舞台に憧れて芸人になったので、「劇場に立ってこそ芸人」という自分なりの指標があります。
千鳥さんとか麒麟さん、かまいたちさん、霜降り明星さん、ニューヨークさんなど、いまも劇場に立っている芸人さんに憧れるし、かっこいいなと思うんですよ。
なんというか、劇場での生の反応は何物にも代えがたい多幸感があるんです。だから、舞台に立ち続けて生の笑いを体で浴びたいし、舞台ですべるようになったら、芸人やめたいと思っています。師匠になったとしても「師匠だから立てる」ではなく「師匠でもバリおもろいよね」って言われたい。60歳になっても70歳になっても、コントできてたらいいですよね。