プレイヤーとしての本能と司会者としての役割のジレンマ

平成ノブシコブシ結成から25年。テレビの第一線で活躍を続ける男は、今、新たな役割を担おうとしている。9月15日~21日に大阪で開催されるコメディフェスティバル「OSAKA COMEDY FESTIVAL 2025」で国際色豊かなイベントのMCを務める吉村崇。
「破天荒芸人」というキャッチーな言葉で有名になった吉村だが、その視線は、もはや個人の成功だけには向いていない。芸人仲間への深い愛、そして日本のお笑いへの絶対的な矜持を胸に、壮大な挑戦への思いを語った。

世界中で熱狂を巻き起こす「GOT TALENT」シリーズを沸かせた出場者たちが一堂に集う「JAPAN’S GOT TALENT Presents Superstars Live」(9月21日・22日)のMCという大役。吉村は、そのオファーに「なんで俺なんだろうと思って」と、少しばかりの戸惑いを見せる。世界の才能が集う華やかな舞台において、MCはあくまで演者を引き立てる黒子に徹するべき。その定石は、痛いほど理解している。

「あんまり目立っちゃいけない。自分が活躍する場所じゃない。自分の手柄を取るところじゃないというMCの仕事は、僕には向いていないなと思っているんです。誰よりも目立ちたい人で『負けないMCをやらないと』と思ったりする人間なので。そことの葛藤がうまくいくかどうかっていうのはありますけど、でも本当楽しみですね」。

プレイヤーとしての本能と、司会者としての役割。
そのジレンマを隠そうとはしない。だが、吉村の言葉は、単なる自己顕示欲だけでは終わらない。その視線は、ステージに立つ才能たちの、さらにその先を見据えている。

「これを機に僕が世界で目立とう……という思いではなく、ここに出てきたメンバーをなんとかして世界で活躍させたいっていう思いでやらないといけないなっていう風には思っています」。

演者として「俺もそっち側だ」という思いに駆られながらも、同時に吉村はオーガナイザーの顔を覗かせる。「KOREA COMEDY LIVE in OSAKA」(9月15日)でも、自身はネタを披露せず、MCに近い立場で日本と韓国の芸人たちの架け橋となる。それは、もはやライフワークと呼ぶべき情熱の表れだ。

「今あまりテレビに出ていないけれど、ものすごく面白い実力のある芸人ってたくさんいるんです。あとは、テレビに出ているけれど『あのネタもうテレビでやらないんだ』っていう人もいる。そういうのがもったいないから、受けるところを探しに行こうみたいな感覚があるんですよね」。

○原点は「せこさ」 家族同然の芸人仲間たちへの熱い思いも

埋もれてしまった才能、テレビでは披露できなくなった珠玉のネタ。それらを「もったいない」と感じる心。
その純粋な動機こそが、吉村を突き動かす原動力の一つなのだ。ある意味でプロデューサー的な視線。しかし吉村は、意外な言葉を口にした。その根底にあるのは、崇高な理念などではなく、もっと人間臭いものだと言うのだ。

「まあ僕にはプロデューサー的な能力はないと思うんですよ。それに携わる社員さんであったり、いろんな人が僕のわがままを形にしてくれているだけなんですけど。たぶん僕はせこいんです。おばあちゃん子なんで(笑)」。

大正生まれの祖母と明治生まれの祖父から受けた「ものを大事にしろ」という教育。使えるものは、最後の最後まで使い切る。その精神が、芸人のネタにも向けられているのだという。

「例えば5GAPであったりライスであったり。
ライスなんかチャンピオンですから。なのに今はなかなか見る機会も少ない。もったいないですよね。絶対面白いんですから。新しいものもいいけれど、そういうもともとある才能が、より求められる場というが、どこかにあるかもしれないじゃないですか」。

そんな思いを「せこさ」と自嘲する吉村だが、その言葉は裏を返せば、一つの才能を丁寧に見つめ、その価値を信じ抜く誠実さの証左でもある。そして、その視線の根っこには、芸人仲間との深い絆があった。一人っ子で上京し、身寄りのなかった吉村にとって、芸人仲間は家族同然の存在だった。

「家族と言ったらおこがましいかもしれませんが、芸人しかいないんですよ、良くしてくれたり頼れるのって。ありがたいことにたまたま僕は今、食べられていますが、どう考えても不幸になっていく姿しか見えない奴がいっぱいいるんです。でもすごく面白いんですよ。どうにかなればいいなと思うんですよね」。


仲間を救いたいという純粋な想い。しかし、吉村はそれを綺麗事だけでは終わらせない。「そいつらを使って俺が一番目立つんだっていうヨコシマな気持ちもありますよ。半々ぐらいですかね」とニヤリ。その正直さが、吉村崇という人間の深みを物語る。芸歴25年という歳月は、がむしゃらに前だけを見ていた男に、仲間と共に戦うという新たな武器と戦術を与えていた。

「日本の笑いは世界一」を証明するために始めた世界への挑戦

2018年にはアメリカ・ニューヨークで「バーレスクイベント」に出演、そして昨年は韓国でもライブを行い大盛況だった。そこで吉村に衝撃的な光景を見せつけられた。それは、日本の観客とはまったく異なる、熱狂的なエネルギーだった。

「目ん玉飛び出るかと思うぐらい驚きました。お客さんの盛り上がり方が。ニューヨークでやったときは、本当に席とか関係なく舞台にやってきて両手をついて、受けたらそこをバンバン叩くんですよ。
そういう環境でお笑いをしたのが初めてだったので」。

日本の観客は、世界的に見れば「重い」という吉村。時には腕を組み、静かに舞台を品定めする光景にも出会う。だが、吉村はその厳しい環境こそが、日本の芸人を強くしたのだと分析する。だからこそ、揺るぎない確信がある。

「みんな日本の笑いは世界一だって思っている。でもそれを証明するものはなかったんです。だったらやってみようかって。どれくらい世界に通用するのかみたいな感覚で始めたのがきっかけですね」。

渡辺直美や、ゆりやんレトリィバァのように、個の力で世界に挑む才能を尊敬しつつも、吉村が目指すのは少し違う地平だ。それは、一個人の成功物語ではなく、「日本の笑い」という文化そのものの価値を証明する壮大な旅。だからこそ、海外に媚びる必要はないと断言する。


「エンタメって多少傲慢性がないとダメだと思うんです。お客さんに寄せすぎてもよくないっていうか。ハリウッド映画とか、アメリカの音楽ってまったくどこかに寄せるということがない。それぐらいの傲慢さを持ってやった方が、丁寧に合わせるよりはいいのかなって僕は思いながらやっています」。

自分の置かれている環境も変わってきた。「言葉も急に出てこなくなってきたし、スピードが落ちたなと感じることが多い」と自身の年齢的な衰えを正直に話すと、戦い方が「合気道の域に入りつつある」と笑う。今は「他力をどう利用するか」というチームプレーに活路を見出す。それは、決して後ろ向きな変化ではない。“チームお笑い”という大きなくくりのなか、仲間と共に“日本のお笑い界”として大きな夢を掴みに行く。

「将来的には、岩倉使節団みたいな……。俺ら死んだ後、NHKが特集組んでくれたらいいなっていうぐらいの思いです。来年は東南アジアで現地のお笑いの人たちとセッションをしてみたい。昨年、韓国の芸人さんとコラボしたのですが、本当に面白くて刺激的だったんです」。

平成ノブシコブシ結成から25年の歳月が流れた。吉村は「NSCに入学した1年は先も見えないし、不安も多くてめちゃくちゃ長く感じましたが、その後はあっという間」と振り返る。ただがむしゃらに走ってきた今、吉村は新たな地図を広げ、仲間たちと共に、まだ誰も見たことのない景色を目指して、再びギアをフルスロットルに入れる。

■吉村崇
1980年7月9日生まれ、北海道札幌市出身。2000年に同じく北海道出身で東京NSC5期生の徳井健太とお笑いコンビ・平成ノブシコブシ(旧名コブシトザンギ)を結成。フジテレビ『ピカルの定理』、『ノンストップ!』、テレビ朝日『しくじり先生 俺みたいになるな!!』、『くりぃむクイズ ミラクル9』など、数々のテレビ番組で活躍。2017年に吉本芸人によるボーイレスクショー「Butterfly Tokyo」を立ち上げ、2018年にはアメリカ・ニューヨークで行われた世界3大バーレスクイベント「NewYork BurlesqueFestival」に出演。また、昨年、韓国でお笑いライブを初開催し、今年も第2回を開催している。
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