震災の記憶を風化させず、その経験や教訓を次世代につなぐためJ:COMが実施している映像配信の取り組み「震災アーカイブ」。これまでにも、震災をテーマにしたさまざまな活動や記録が映像として配信されてきました。
今回は、福島県いわき市出身でアイドルグループ「アップアップガールズ(2)」リーダーの高萩千夏さんが案内役となり、震災の教訓を語り継ぐ福島の10代・20代の伝承活動をレポート。ここでは、2日間にわたり行われたその撮影の様子とともに、語り部のみなさんと高萩さんの震災・復興に対する“想い”を紹介していきます。
若い世代の語り部が当時の経験や想いを語る
J:COMの『震災アーカイブ「未来へつなぐ 語り部の声」』は、2021年から同社が震災伝承の連携組織である公益社団法人3.11メモリアルネットワークと協働して行なっている取り組み。震災から得た教訓や経験を地域の防災・減災につなげることを目的として、語り部の伝承活動や過去のさまざまな災害における記録などを映像化し、特設サイトにて無料で配信しています。
今回配信開始となった「福島県浜通り編」も、その取り組みの一環として制作された作品。東日本大震災の伝承を行う語り部の中でも若年層に焦点を当てており、震災当時に小学生だった20代の語り部や、震災後に生まれ現在中学校に通っている生徒の活動などが取り上げられています。
レポーターを務めるのは、自身も中学1年のときに東日本大震災に遭って家族で避難した経験を持ち、メディアやSNSなどでその発信を続けている高萩千夏さん。作中では、高萩さんが若年層の語り部の想いに寄り添いながら、その講話に真剣に耳を傾ける姿を見ることができます。
撮影1日目は、高萩さんが福島県双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館を訪れるところからスタート。同施設には、津波で押し潰された消防車やガードレール、事故を起こした原発のジオラマなど、地震や津波、原発事故の被害を伝える資料が約200点展示されています。
高萩さんにとっても初めて目にするものは多かったようで、それらの展示を見学しながら担当者の説明に熱心に耳を傾けていました。
展示見学後、高萩さんは伝承館で語り部を務める20代職員の遠藤美来さんと横山和佳奈さんによる講話を聴講しました。
お二人のうち、遠藤さんはいわき市で被災し、原子力発電所の放射能漏れを警戒して一時家族で東京に避難したそうですが、被災直後は食べ物の心配があったといいます。また東京に車で避難した際はガソリンが足りるかどうかも気がかりだったそうで、普段から非常時に備えておくことの大切さを語りました。
また横山さんは、小学校の校舎にいるとき地震に遭い、そのまま学校の先生や生徒たちと避難しましたが、家族となかなか連絡が取れず心配だったといいます。孫である横山さんを心配して小学校に向かった祖母と、避難せずに自宅にいた祖父をともに津波で亡くしたそうで、避難や訓練の大切さ、非常時の対応を家族間で確認しておくことの大切さなどを語りました。
ふたりとも、当時のことを思い出すのは苦しく心に負担がかかる場合もあるそうですが、地域の復興のため、またひとりでも多くの人に“自分ごと”と思ってほしいという想いで語り部の活動を続けているとのこと。高萩さんは、そんな同世代の頑張りを目にして、率直に意見を交わしながら、改めて“語り継ぐ”ことの大切さを感じたそうです。
今回の撮影について、遠藤さんは「語り部としてお話しすることはあっても、講話を聴いてくださった方と意見を交わしたり、想いを伺ったりする機会はあまりなく、このような場を設けてくださったのはありがたかったです。高萩さんとは目線も年齢も近く、同じ若い世代としてこれからの日本を創っていくために頑張っていきたいと思いました。語り部としても(自分の経験や震災の教訓を)きちんと伝え続けていかないと改めて思いました」とのこと。
横山さんは「高萩さんとは年齢も近く、震災当時に子どもだったため目線が似ていて共感し合えるところがあり、お話できたのはすごく嬉しかったです。
震災前後に生まれた中学生の語り部と交流
2日目は、高萩さんの故郷である福島県いわき市内で撮影がスタートしました。「現在も年に3~4回は帰省する」という地元大好きな高萩さんが思い出の場所を訪れ、記憶にある風景と重ね合わせながら、着実に活気を取り戻しつつある現在の福島と自身とのつながりを再確認します。
その後、高萩さんは福島県を代表する観光スポットのひとつ、三崎公園へ。アップアップガールズ(2)の野外ライブが行われたこともある野外音楽堂や、公園のシンボルマークであるいわきマリンタワーなどに足を運び懐かしむ高萩さん。その姿からは、生まれ育った街を大切に想う気持ちがダイレクトに伝わってきます。
三崎公園をあとにした高萩さんが次に向かったのは、いわき市立中央台南中学校。実は同学校では、東日本大震災の記憶やその後の生活の様子などを語り継ぐ「語り部活動」を実施しているのだそうです。学校を訪問した高萩さんは、語り部の生徒たちと対面。その活動風景や関連展示物などを見学し、講話を聴講することになりました。
この日、講話を担当してくれたのは中学1年生の新妻紡さん。
新妻さんによると、震災が起きたときは、当時5歳の兄が祖父母とともに病院から家に帰る途中で津波にのみこまれてしまったとのこと。辛くも難を逃れて高台に避難したものの、両親の勤務先に電話がつながらず、ようやく連絡が取れたのは夜の10時過ぎ。震災後、祖父母と兄は原発事故の影響で母の妹家族がいる埼玉へ避難し、いわきに戻ったのはそれから1年半が経ってからだったそうです。
真剣な眼差しでその語りに耳を傾けていた高萩さんは、講話が終わると心を打たれた表情で新妻さんら語り部活動の生徒のもとに駆け寄り、賞賛の言葉を伝えていました。
今回の撮影に参加してくれた生徒のうち、3年生の白圡菜南さんは活動を始めた経緯について「1年生のとき、総合学習の研修の一環として語り部の方をお呼びして震災の講習を受ける機会があったのですが、その方にお声をかけていただいたのがきっかけですね。私は震災があった年に生まれたばかりで、当時のことを覚えていませんが、自分たちが住んでいる土地についてもっともっと知りたいと思いました」と語ってくれました。
同じく3年生の松尾歩乃佳さんは「もともと語り部の活動に参加していた友人がいたのですが、彼女が部活などで忙しくて参加できないとき、(語り部担当教諭の)亀岡先生から誘われて代理でその友人の想いを伝える役を引き受けたのがきっかけ。当時は語り部のほかに、委員会や部活などの活動もあったので時間のやりくりが大変でした」とのこと。
新妻さんは「(語り部活動に参加している人が多い)放送委員会の一員として語り部の方に会いに行ったとき、家族の中に震災を経験した人がいないか聞かれ、お兄ちゃんの話をしたのがきっかけ」だったそうです。
ちなみに語り部の活動は、おもにいわき震災伝承みらい館という施設で行なっているとのこと。松尾さんは、「そのワークショップで、英語で震災のことを伝える取り組みを行なったことがあるのですが、言語の幅が広がるとより多くの人に伝えられると思いました」と語り、実際に英語による講話を披露。
このほか、学校などの教育機関に呼ばれて活動を行うこともあるそうで、白圡さんは「小学校で講話をしたとき、みんなすごく真剣に聴いてくれて、想像以上に震災について知識を持っているのに感心しました。たくさん質問もしてくれて……。まっさらで先入観がないぶん、探究心を持っていろんなことを受け入れて理解していけるのかなと思います。震災の記憶を自分たちの世代で止めず、次の世代につないでいくという意味でも、すごくいい経験でした」と振り返っていました。
担当教諭の亀岡点先生によると、「2年前に総合学習で何を学ぶかを決める際、生徒に震災について聞いてみたところ『どうしてこんなにみんな福島のことを応援してくれるのか』、『なぜ今も支援の手が差し伸べられるのか』を知りたいという声が多く上がりました。そこでテーマのひとつに震災復興を設定し、語り部の方の講話を聴いたり、被害のあった場所を視察したりしたのですが、それだけで終わってしまうのはもったいないよねという話になったんです。そんなとき、講話に来ていただいた語り部の方から『中学生のみんなのような若い世代に語り部をやってもらうのが嬉しい』という話をいただいたのが、この活動を始めるきっかけになりました」とのこと。
当初は生徒たちも「震災の経験や記憶がないのに自分たちにできるのだろうか」と不安だったそうですが、現在では自分たちならではの“切り口”を意識して話す内容を考え講話を行なっているそうです。たとえば小学校で講話を行ったときは、最初にクイズ形式で震災に関する出題をして関心を引きつける工夫をしたのだとか。
亀岡先生は、そんな生徒たちについて「講話の際に『こんな大変なことがあった』で終わらず、若い世代の視点で将来について語るんですよ。家族など震災を経験した人から聞いた話を自分なりに消化して、どう行動に移そうかと考えているのが素晴らしいと思います」と目を細めながら語り、「今後は、そういった取り組みをサポートしていくような仕組みについても考えていきたいですね。
撮影を終えた高萩さんにインタビュー! マイナビニュース読者へのメッセージも
最後に、撮影を終えた高萩さんに、今回の感想を伺ってみました。
──2日間にわたる撮影を終えた感想をお聞かせください。
高萩:語り部のみなさんの語りつないでいくことに対する“想い”や、自分と同じくらいの年代の方が未来に向けて活動されている姿に感銘を受けました。福島出身であり震災経験者として、私もこれまでさまざまな機会に発信してきましたが、自分が伝えきれていなかったような当時の状況や感情をみなさんがしっかりと言葉にして伝えているところにグッときました。
──高萩さんは、いわき市のご出身ですよね。
高萩:私の家は山の方で大きな被害を受けたわけじゃないのですが、ニュースの映像などで見聞きしていたようなことを直接体験された方の話を聞くと胸が痛くなります。風評被害などもあって、私たち家族も一時東京に避難していましたし……。当時、同じような環境にいた方はたくさんいると思うので、福島県民としてそういう方たちの“想い”を伝えていけたらなと思います。
──東日本大震災・原子力災害伝承館も見学されたそうですね。
高萩:今回のようにしっかり施設の中を見学したことは初めてだったのですが、当時の被害の状況がそのまま形に残っているものを目にして、すごく心が苦しくなりました。でも、そういった展示を見た人が過去の震災の教訓を学んで未来に活かせることはとても大切なことだと思います。
──震災を覚えていなかったり、まだ当時生まれていなかった中学生が語り部として活動していましたね。
高萩:家族など周囲の人から話を聞き、その人の想いをしっかりと受け止めたうえで、自分の言葉で語りつないでいこうとしている姿に刺激を受けました。なかなかできないことですよね。自分に置き換えてみると、たとえば経験していない戦争のことを当事者意識を持って真剣に考え、未来に語りつなぐことはできなかったなと。中学生のみなさんの活動はすごく素敵なことですし、未来を背負っていくたくましさを感じました。
──今回は思い出の場所も巡られたそうですが。
高萩:震災当時とは全然違っていましたね。年に3~4回は福島に帰ってくるのですが、そのたびにどんどん活性化しているのを感じます。被害を受けてまっさらになったところに新しく綺麗な建物ができていたり、それこそ今回の語り部のようにいろんな人が復興を盛り上げるための活動をしていたり。私もアイドルである自分の発信する力などを活かして何かお手伝いできたらいいなと思います。
──ほかに撮影を通して感じたことはありますか?
高萩:やっぱり日が経つにつれ、震災に遭ったとき感じていたことって、どんどん遠くなってしまうんですよ。今回の撮影を通して、改めて私も福島のことや震災のことを考えることができました。この世の中、いつどんなことがあるか分からないですし、みなさんにも同じ思いをしてほしくないので、過去の経験や教訓に学んで未来に起こり得ることに備えることは大切ですよね。私自身もまだまだ学びきれていないことや、知らないことはたくさんあるので、それらのことに対してもっと関心を持って生活していきたいなと思いました。
──最後に、マイナビニュースの読者にメッセージをお願いします。
高萩:今回の語り部の方たちのように、上の世代の方がつないできた想いを風化させず自分の想いを語りつないでいくことって、すごく大切だと感じました。それは震災に限らず、どんなことに対しても共通することですよね。これからの未来を創っていくのは自分たちなんだという想いをしっかり持ったうえで、いろんなことを頑張っていきたいと思います。読者の方にも、その想いが届くことを願っています。ぜひ動画を観てみてください!