インフラツーリズムとは、公共施設や巨大構造物のダイナミックな姿や精緻な構造を間近に観察したり、通常はなかなか立ち入ることのできない施設や現場を見学したりして、日常生活では得られない視覚的・感覚的な体験を味わう小さな旅のスタイルである。

遠出をしなくても、都市のすぐそばにある“日常の外側”へアクセスできるのも魅力だ。
本コラムでは、筆者が実際に現地へ赴き、歩き、見て、感じたインフラツーリズムの現場を紹介していく。

秋風吹く11月初旬のある日、JR東日本の御茶ノ水駅に降り立った。

近年、大規模な改良工事が進められていた御茶ノ水駅では、2023年12月に新たな“聖橋(ひじりばし)口”の供用が始まり、今年(2025年)5月には駅ナカ商業施設“エキュートエディション御茶ノ水”もオープンした。

もともと神田川の崖に沿うように、狭い土地に設置されていたことから、構内には段差が多く、バリアフリー化が長らく課題となっていた御茶ノ水駅。

今回の改良工事では、従来の駅の上に、新たに大規模な基盤を築くという大胆な手法がとられ、その結果、大きく生まれ変わった。現在、駅のリニューアル自体はほぼ完了しているが、神田川の水上に設けられた工事用仮設足場の撤去作業などが2026年まで続く予定だ。
○聖橋の上から眺める重層的な都市の風景

新設された聖橋口を出ると、そこはすでに聖橋の上。横断歩道を渡って道路の向こう側に行き、橋の中央付近まで歩道を進んで秋葉原方面を眺めると、眼下に複数の線路が立体的に交差しているのが見て取れる。

最も低い位置に敷かれているのは東京メトロ・丸ノ内線。象徴的な赤い車体が神田川南岸のトンネルから地上に現れ、川を斜めに横断し、対岸の道路(外堀通り)下のトンネル口へと吸い込まれていく。

そのすぐ先には東京メトロの御茶ノ水駅があるため、地上に姿を現すその一瞬、丸ノ内線はごくゆっくりとした速度で走っている。

丸ノ内線の一段上にはJR中央線の線路が敷かれ、御茶ノ水駅を出ると右へ大きくカーブしながら次の神田駅へ向かう。
さらにもう一段上の高架を走り、川を横断して秋葉原駅へと向かうのがJR総武線である。

大都市の中で複数の鉄道路線が立体的に交錯する、この聖橋上からのパノラマはなかなかの見応えがある。

インバウンド客をはじめ、多くの人が足を止めて見入ったり、写真や動画を撮ったりする姿が目に入る。東京観光における、ささやかな見どころのひとつと言ってもいいだろう。
○御茶ノ水界隈の歴史

御茶ノ水界隈のこの特徴的な地形が天然ではなく、江戸初期に開削された人工の谷であるという点もまた興味深い。

かつてここには、現在の御茶ノ水駅付近を頂上とする“神田山”が存在していた。徳川家康の江戸入府に伴う江戸城築城や、当時は浅瀬の海だった日比谷入江(現在の日比谷公園や新橋周辺)を埋め立てるための土砂を確保する目的で山は切り崩され、あわせて神田川の流路も付け替えられた。

その結果として形づくられたのが、現在のように、川と崖、道路、鉄道が層をなして重なり合う、独特で不思議な都市空間なのである。

聖橋が竣工したのは1927年(昭和2年)のこと。関東大震災から数年が経った復興期にあたり、当時の東京市が復興事業の一環として架けたものである。

全長79.3メートルのうち、神田川上部の36.3メートルが放物線を描くアーチ橋。その設計・デザインは、重要文化財に指定されている東京の永代橋や、新潟の萬代橋なども手がけた建築家・山田守によるものだ。


橋の上に立っていると気づきにくいが、少し離れて眺めると、聖橋が極めて端正で美しい橋であることがわかる。

復興期らしく装飾は抑えられ、機能性を優先した設計思想に基づいているが、その抑制のきいた美しさが、周囲の風景に溶け込みながら静かな存在感を放っている。

橋の南側には“湯島聖堂”がある。

ここは江戸幕府が儒学を学ぶ場として整備した施設で、のちに昌平坂学問所となり、官製の教育機関の中心として機能した場所だ。現在は文化財として公開されており、簡素で引き締まった門構えや建物が、周囲の喧騒とは対照的な、静かな秩序を感じさせる。

聖橋という名はこの湯島聖堂と、対岸にある1891年に竣工した正教会“東京復活大聖堂”(通称・ニコライ堂)に由来したもの。橋の上に立ち視線を動かすと、まったく宗派の異なる2つの聖堂が視界に入るのだ。
○昔と今が交錯する街は今も変化し続ける

聖橋から階段を降りて外堀通りに移り、神田川沿いに歩く。

少し上流にある御茶ノ水橋に到着。こちらは聖橋よりも古く、最初の架橋は明治期に遡る。

1877年(明治10年)に初めて架けられ、震災復興期を経て1931年(昭和6年)に現在の鋼橋へと架け替えられた。

構造も意匠も極めて実務的で、装飾性はほとんどない。
車と人を効率よく通すことを最優先にした橋である。

御茶ノ水橋の上で立ち止まり、聖橋のほうへ視線を向ける。川の上には大きな工事用の構造体が張り出し、その向こうに聖橋のアーチがのぞく。

優美な聖橋の曲線と、工事用足場の無機質な直線とが対をなし、都市が今も手を加えられ続けていることを教えてくれる。

聖橋の上に戻り、しばし佇んでいると空気の変化に気づいた。

夕方が近づき陽が傾いたので、川面を抜けてくる風が冷たさを帯びてきたのだ。そして耳を傾けると、電車の走行音、駅のアナウンス、車のクラクション、人々の足音と話し声……。どれも強く主張はしないが、そうした都市の喧騒は決して途切れることがなかった。

川があり、崖があり、道があり、橋があり、鉄道があり、駅があり、古い建物と近代的なビルが並ぶ御茶ノ水界隈。

そこに今は工事の足場が重なり、都市が刻々と形を変え続けていることを伝えてくる。その変化のただなかに自分もまた立っているのだと、ふと実感するのである。

佐藤誠二朗 さとうせいじろう 編集者/ライター、コラムニスト。
1969年東京生まれ。雑誌「宝島」「smart」の編集に携わり、2000~2009年は「smart」編集長。カルチャー、ファッションを中心にしながら、アウトドア、デュアルライフ、時事、エンタメ、旅行、家庭医学に至るまで幅広いジャンルで編集・執筆活動中。著書『ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新』(集英社 2018)、『日本懐かしスニーカー大全』(辰巳出版 2020)、『オフィシャル・サブカルオヤジ・ハンドブック』(集英社 2021)、『山の家のスローバラード 東京⇆山中湖 行ったり来たりのデュアルライフ』(百年舎 2023)ほか編著書多数。新刊『いつも心にパンクを。Don't trust under 50』(集英社)は2025年8月26日発売。
『いつも心にパンクを。Don't trust under 50』はこちら。
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