「今日はノー残業デーです。定時で上がろう」

200名規模のコンサルティング業の会社に勤める高橋さん(仮名)は、上司からの声掛けに「帰れ帰れと言われるけど終わらない仕事はどうすればいいんだよ。
誰かがこの仕事やってくれるのかな」と以前から不満を漏らしていました。

あなたの会社は大丈夫? 「隠れ残業」のリアル

上司は、「時間外労働の削減は、会社の方針だ」と一辺倒で叫ぶものの、具体的な解決策の明示は全くないのが現状です。また、36協定は絶対に順守しろと言われても仕事量が変わるわけではないしと、今にも怒りが爆発しそうな状態でした。やむを得ず、オフィスでの仕事は諦め、自宅に持ち帰ることにしました。勤怠上は「残業ゼロ」ですが、実態では確実に時間外労働です。

高橋さんのこのようなことは日常の1ページではありますが、読者の皆様の職場においても「あるある」な出来事ではないでしょうか。多くの企業が「残業削減」「労働時間の見える化」に取り組む中で、こうした“記録に残らない残業”つまり「隠れ残業」が、逆に増えているとも言われています。

なぜ、コンプライアンスを守る方向に向かっていたはずの職場で、こうした働き方が生まれているのでしょうか。そして、使用者・労働者双方はどのように向き合えばよいのでしょうか。
「残業禁止」の裏で黙々と持ち帰る仕事

高橋さんの会社のように「うちの会社は残業禁止です」「定時退勤を徹底しています」と掲げる企業ほど、職場には別の動きが存在しています。勤怠管理を厳格にするあまり、従業員はオフィスでは“残業”をせず、帰宅後に仕事をするようになるといった構図です。

人手不足が進んでいる中で、在宅勤務の普及により自宅で当たり前に仕事をする環境がこの構造をより加速させています。
オフィスでは上司も同僚も「帰ろう」と言っているのに、自宅ではついチャットやメールに返信してしまう。業務として必要な対応であっても、「終業後だから自己判断」「会社には残れないから家でやろう」といった判断が“見えない残業”を生んでいるのです。

在宅勤務であっても労働時間は適正に把握する義務があり、「テレワークにおける適切な労務管理のためのガイドライン」においても使用者は、パソコンの使用状況など客観的な事実と自己申告により把握した始業・終業時刻に著しい乖離があることを把握した場合、所要の労働時間の補正をすることなどが定められています。ところが高橋さんの職場でもあるように、実際には持ち帰り残業などによって労働時間の実態を把握できていない会社が多いのです。

厚生労働省が公表している令和6年度の監督指導結果では、長時間労働を生む事業場で「労働時間の把握が不適正なため指導したもの」が4016事業場(15.1%)に上っています。監督署の臨検では、単にタイムカードの打刻時間だけを確認するのではなく、労働者のPCのログ、セコムなど出入り口のセキュリティシステムのログなどタイムカードと付け合わせた上で確認をします。また、労働者に対して直接ヒアリングもすることもあり、在社している時間と労働時間として計上している時刻の乖離が30分超の場合は確認されるケースが多く、ごまかしの効かない状況になっています。

こうした監督動向は、「勤怠表だけ出していれば大丈夫」「残業ゼロで安心」という常識が通用しなくなっていることを示しているのです。

高橋さんの会社のような職場環境では、従業員も管理職も疲弊してしまう傾向にあります。従業員側は「残業したいわけじゃない」「でも帰るのは後ろめたい」「評価が下がるかも」と感じ、申請を控えます。管理職側も「申請を通したら自分が指導対象になるかも」「違法な時間外労働をさせたら、自分が書類送検されるかも」といった心理的リスクを意識し、部下の実態把握を怠る、あるいは把握していても見て見ぬ振りをしてしまうのです。結果として、締め付けが強まれば強まるほど、隠れ残業は職場の“沈黙の了解”として根付き、組織の歪みを見えにくくしていきます。

管理職が知っておくべき「時間管理の真のリスク」

労働基準法の罰則の適用は、会社や役員だけでなく管理職個人にも及びます。労働基準法上の使用者の定義には「その事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為をするすべての者」と定められており、管理職も使用者になり得ることがわかります。

たとえば、長時間労働を黙認していた管理職が書類送検された例も報じられています。筆者もクライアントから管理職研修を依頼されることがあるのですが、このことを話すと「えっ!?そうなの」と使用者になり得ること=書類送検される可能性があることを知らなかった管理職も一定数いることがわかりました。 管理職は、自社の勤怠実態、36協定の適正運用、申請と実労働時間の整合性などを日々のマネジメントの中で常に意識すべきです。

勤怠や残業の議論でよく誤解されるのは、「部下の成長を支援するため」「自主的にやりたいと言っているから」といった善意が、実は思いがけず労働時間を積み上げる要因になっている点です。管理職が「この人なら断らない」「気が利くから」という理由で仕事を任せがちになると、負荷の偏りが生まれ、属人的な働き方が加速します。

公平公正なマネジメントとは、特定の“頑張る人”に頼り切るのではなく、業務を適切に配分し、誰もが時間外労働を申請できる環境と帰れる文化を整備することです。筆者が行う管理職研修においても、出退勤の実態、時間外労働の法的意義、指示・黙認・自己判断の線引きなどは必須でお伝えするようにしています。

残業が“頑張りの証”とされる組織文化を改め、成果・効率・健康のバランスを評価指標の中心に据えましょう。「定時で終えて帰る人」が“効率良く働いている”と社内で評価される体制を作ることが、隠れ残業の根を断つ鍵です。勤怠管理制度と評価制度は、連動して見直す必要があります。

○勤怠チェックの「リアルタイム化」が第一歩

「隠れ残業」は、怠慢でも甘えでもありません。むしろ、“過剰な管理・強い締め付け・属人化している業務”が生み出す副作用と言えるのです。コンプライアンス遵守の名のもとに帰宅を促され、しかし現場ではその後の対応が放置される。そんな構造を放置していては、従業員も管理職も疲弊する一方です。

管理職も単に月の労働時間のみに目がいっては時間外労働の根本的な原因を解決することはできません。隠れ残業の対応として必要なのは、ただ単に「残業するな」と厳しく管理をすることではありません。なぜ労働時間を管理する必要があるのか、「業務管理」「従業員の健康面においての安全管理」「賃金を適正に支払うための管理」といった3つの観点において大義名分を管理職のみならず従業員一人一人に落とし込むことが労務管理の鍵だと言えるでしょう。

従業員の方であれば、残業申請を月末にまとめてしていないでしょうか。また管理職の方であれば、勤怠の承認を月末にまとめて行っていないでしょうか。日々の勤怠を丁寧に確認し、管理職が労働時間の意味を理解して伝え、従業員が安心して帰宅できる文化を整えること。それが、働きやすい会社づくりの第一歩であり、組織の信頼を守る最も確かな道といえるのではないでしょうか。

土井裕介(大槻経営労務管理事務所) どい ゆうすけ 社会保険労務士法人大槻経営労務管理事務所所属。
特定社会保険労務士、医療労務コンサルタント、ジョブオペTM認定コンサルタント。静岡県出身。家族の病気をきっかけに医療現場の働き方を目の当たりにする。働きやすい医療現場作りに貢献したいと考えコンサル業務に取り組む。また、フジテレビの番組「Live News イット!」において「調べてみたら」の年金コーナーの監修を行うなど、各種メディアへの執筆を通してわかりやすい制度の解説を心がけている。 この著者の記事一覧はこちら
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