無名の役者が主演…最初は認められなかった
プロ野球・元阪神タイガース外野手の横田慎太郎さんの生涯を描いた映画『栄光のバックホーム』(秋山純監督、公開中)。2013年のドラフト会議で阪神に指名され、若きホープとして将来を期待されるも、21歳で脳腫瘍を発症し、家族と共に闘い続けた横田さんを演じているのは、元プロ野球選手の父を持ち、自身も高校時代に大谷翔平と対戦したこともあるという俳優・松谷鷹也だ。松谷は本作が映画初主演。
○俳優と裏方の“二刀流”経験が後の覚悟に
松谷が、本作の秋山純監督と出会ったのは、今から約5年前。当時お世話になっていた先輩を通じて、秋山監督の演技ワークショップに参加したことがきっかけだった。
「秋山さんと初めてお会いした3~4か月後に『20歳のソウル』(22年公開)を撮ることが決まっていたのですが、『制作進行が1人足りない』という話になって。脚本家の中井(由梨子)さんから『出役じゃないけど、スタッフをやってみる?』と声をかけていただいたのが始まりです」(松谷、以下同)
俳優でありながら裏方として現場に入る。その背景には、秋山監督の一貫した哲学があった。
「秋山監督は『芸能に裏も表もない』という考えをお持ちの方で。そこからずっと、俳優兼スタッフとして関わってきました。
この“二刀流”の経験こそが、松谷の視野を広げ、のちに『栄光のバックホーム』で主演と裏方を同時に背負う覚悟につながっていく。
○深夜のつけ麺屋で切り出された運命の言葉
『20歳のソウル』の撮影終了から約2か月後。松谷のもとに、思いがけない呼び出しがかかる。
「中井さんからいきなり『今日空いてる?』って言われて。まさか、そんな大事な話だとは思ってもいなかったので、『できれば明日の方が…』なんて言ってたくらいです(笑)」
向かった先は、深夜の中目黒。ほとんどの店が閉まっている中、たまたま開いていたつけ麺屋で、秋山監督と向き合うことになった。
「最初は『僕、何かやらかしましたか!?』と思って、めっちゃ焦りました(笑)。秋山監督と2人で話す予定だったんですけど、結局、中井さんも含めて3人で会うことになって」
つけ麺を待つ間に秋山監督から切り出されたのが、「次の作品は横田慎太郎さんの映画を考えている。かなり規模の大きな作品になるが、横田慎太郎さん役できるか?」という言葉だった。
当時、松谷は横田慎太郎という人物を全く知らなかった。それでも答えは迷いなく返したという。
「『できるかどうかは正直わからないのですが、やれるならやりたいです』しかなかったです。こんなチャンス、もう二度と回ってこないと思ったので」
そこから松谷は、横田慎太郎さんの著書や映像資料に向き合い始める。実際の「奇跡のバックホーム」のニュース映像などを見返す中で、役の重みが現実として迫ってきた。
「慎太郎さんのすごさを知れば知るほど、生半可な覚悟ではできない役なのだと気づきました。秋山監督は『鷹也でやりたい』とおっしゃっていましたが、当然ながら見城社長(※『栄光のバックホーム』製作総指揮の幻冬舎・見城徹社長)は、無名の僕を主演にすることを最初は全く認めてくださらなくて。『このチャンスをつかめるかどうかは鷹也次第だから』と言われていました」
傍から見ると「奇跡の大抜てき」と言いたくなるが、最初からすべてが用意されていたわけではなく、共に作品を作り上げていく過程の中で“選ばれる立場”にあったのだ。
名実況も「今」で録り直すスタンス
「演じるな。存在しろ」――これが、横田慎太郎役を託されるにあたって松谷が秋山監督から伝えられた言葉だ。実在の人物であり、しかもプロ野球選手。資料映像も山ほど残っている。だが、監督が目指したのは、“モノマネ”ではなかった。学生時代に肩を壊して、プロ野球選手への夢を諦めた経験がある松谷は、再び本格的なトレーニングに挑み、プロ選手に近い身体を作り上げて撮影に臨んだ。
「過去をなぞるのではなく、現在の声で、現在の思いを届ける」…それこそが、本作の姿勢であり、作品に関わるすべての人に共通するスタンスだった。
「『横田さん今、どこで見てますか?』という、サンテレビジョンの湯浅明彦アナウンサーの有名な実況も、秋山監督は『あの時の自分を再現しなくていいです。今の湯浅さんで読んでくれれば、それで大丈夫です』とおっしゃっていました」
一方、改めて収録に臨んだ湯浅アナは、かつての自身の実況音源を聴きながら、「僕、こんな読み方してたんですね」「自分ではもっと冷静に読んでいたつもりだったけど、実際に聴くと感情がすごく乗っていた」と、松谷に漏らしたという。
突然の訃報…無意識に手に取ったグローブ
松谷は、横田さんとも交流を深めていたが、横田さんは映画の完成を見ることなく、2023年に28歳という若さで亡くなった。突然の訃報が届いたのは、松谷が秋山監督の別作品の現場でチーフ助監督を務めていたときだったという。
「本当に信じられないという思いで、ほとんどパニック状態だったのですが、一方で目の前の現場も動いていて、スタッフが1人抜けるのは致命的な状況だったんです。でも、みんなが『現場は大丈夫だから行ってこい』と言ってくれて…」
現場を抜ける責任と、突然の別れに対する混乱。そんな状況で、対面できるあてもないまま、横田さんの元へ向かうことを決意した松谷。喪服を取りに帰る際、無意識にカバンへ入れていたのが、横田さんから譲り受けたグローブだった。
その後、関西方面へ向かうもやはり対面はかなわず、横田さんのグローブと共に彼が目指したのは、甲子園球場と阪神鳴尾浜球場(※当時のタイガース2軍本拠地)だった。
「じゃあ甲子園行くかって。なぜだかわからないですけど、行きたいなって思ったんですよね。きっと、慎太郎さんも行きたいだろうなって」
球場を訪れたあと、鳴尾浜の海の見える丘で、グローブを胸に抱え、一人目を閉じ過ごした時間。
「正直、あの時の記憶はほとんどないのですが、今思い返すと何の感情も湧いていなかったのかもしれないです。ただただ、ぼう然としていました…」
実感が訪れたのは、鹿児島での告別式の場だった。
共演者にも感じた“運命”
映画の公開後、松谷は改めてこの映画の意味を考えるようになったという。「慎太郎さんって、本当に素敵な方じゃないですか」
松谷はそう前置きした上で、こう続ける。
「慎太郎さんが亡くなった年に阪神が優勝して、岩崎選手が慎太郎さんの24番のユニフォームを掲げて胴上げされたり、(登場曲の)『栄光の架橋』を流したり…。いろんな人が、いろんな形で、『素敵な慎太郎さんを、もっと多くの人たちに伝えたい』と考えて行動していると思うんです。それこそ、お母さんのまなみさんは、慎太郎さんが亡くなった後も講演会を続けていて、同期の選手たちもそれぞれの思いを伝える活動をされている。言うなれば、地元部門、スポーツ部門…と、多方面で横田慎太郎さんの記憶が紡がれてきた中で、見城社長と秋山監督は、芸能部門として『映画という形で横田慎太郎という人間の生き様を残したい』と思ったのではないかと。今になってそう感じています」
松谷が俳優を志すきっかけとなったのは、野球選手として挫折し、引きこもっていた時期に一気見した『仮面ライダー』だったという。くしくも本作で阪神タイガースの先輩選手・北條史也選手を演じたのは、かつて『仮面ライダーリバイス』で主人公・五十嵐一輝に扮した前田拳太郎。“リアル仮面ライダー”との共演も果たしたのだ。
「マエケン(前田拳太郎)と一緒に芝居して、『あ、これが仮面ライダーか…!』って思いました(笑)。めちゃくちゃカッコよかったですし、本当にいいヤツでした」
初主演作で、俳優を志すきっかけとなった存在と共演する。それもまた、松谷にとって特別な経験となった。
○頑張り続ければ、慎太郎さんにつながる人が増える
松谷は、この映画、そして横田さん自身と巡り合った意味を、あらためてこう語る。
「慎太郎さんのことを知っている人は、野球ファンや地元の方が多い。でも、映画は全国に一度に届けられる媒体です。その中で、自分に打席が回ってきたのかなと」
映画はヒットを続け、松谷は今も、横田さんから譲り受けたグローブを手に、全国の舞台挨拶に立ち続けている。
「この映画をきっかけに、慎太郎さんを知ってもらって、慎太郎さんの書いた本や、実際の映像に触れてもらえたら」
それがすべてだという。
将来、松谷鷹也という俳優を知った人が出演作をたどり、この映画に行き着き、そこから横田慎太郎という人物に出会う――そんな循環を願いながら、松谷は前を向く。
「頑張り続ければきっと、慎太郎さんにつながる人が増えるはず。だから、俳優としてできるだけ長く続けたいんです」
●松谷鷹也1994年生まれ、神奈川県出身。元阪神タイガース外野手・横田慎太郎さんの生涯を描いた、現在公開中の映画『栄光のバックホーム』(秋山純監督)の主演に抜てきされた。
(C)2025「栄光のバックホーム」製作委員会
幻冬舎フィルム 第一回作品
『栄光のバックホーム』
全国公開中
製作総指揮 : 見城 徹 / 依田 巽
原作 : 「奇跡のバックホーム」横田慎太郎(幻冬舎文庫)
「栄光のバックホーム」中井由梨子(幻冬舎文庫)
脚本 : 中井由梨子
企画・監督・プロデュース : 秋山 純
出演 :松谷鷹也 鈴木京香
高橋克典 前田拳太郎 伊原六花 山崎紘奈 草川拓弥
配給:ギャガ
制作:ジュン・秋山クリエイティブ
渡邊玲子 映画配給会社、新聞社、WEB編集部勤務を経て、フリーランスの編集・ライターとして活動中。国内外で活躍する俳優・映画監督・クリエイターのインタビュー記事やレビュー、コラムを中心に、WEB、雑誌、劇場パンフレットなどで執筆するほか、書家として、映画タイトルや商品ロゴの筆文字デザインを手掛けている。イベントMC、ラジオ出演なども。 この著者の記事一覧はこちら











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