メンタルの限界を感じて留学「休みが必要だなと」
2021年7月にカナダ留学に踏み出したタレント・光浦靖子。語学学校、カレッジのシェフ養成コースを卒業し、現在は手芸のワークショップを開催している。内面的にも自身に大きな変化をもたらしたというカナダ生活について、エッセイ『ようやくカナダに行きまして』『ようやくカレッジに行きまして』でつづっているが、この2冊が本人の朗読によってAmazonオーディブル(Audible)で1月22日より配信される。50歳でカナダのバンクーバーに留学した光浦。「仕事をずっとやっていて、自分の気持ちをうまくコントロールできなくなっていて、休みが必要だなと思ったんです」と留学を決意した理由を明かす。
「小さなことが気になって仕方なくて、いちいちくよくよしたり、腹を立てたり、自分でもおかしいなと。ネット上の誹謗中傷も気になって、何をやっても否定されている感じがして、何のために働いているんだろうと。更年期の影響もあったと思いますが、とにかくメンタルがおおらかではなくなっていて、これは1回休憩しないとダメだぞと思いました」
精神的に限界の状態でも「辞めるのは逃げだ」と思って活動を続けてきたが、「27~28年やってきたので、もう逃げじゃないだろう」と留学を決意。
「1回日本を離れて自分を見直したいなと。仕事がどれだけありがたいのか気づいてもいいし、海外に行って新しい居場所を発見してもいいし、どっちに転んでもいいと思って。あと、海外に住むというのは小さい頃からの夢でもありました」
留学先にバンクーバーを選んだのは、偶然の出会いがきっかけだった。
「留学を決意する前にバンクーバーに旅行に行って、そこで偶然、北斗晶さんと佐々木健介さんに会ったんです。息子さんが留学しているということで。そのときに『光浦ちゃんも留学すればいいじゃん』と言われて、『そんなことできませんよ』なんて言っていましたが、『めちゃイケ』が終わって長期の休みが取れるようになって、何の下調べもせずバンクーバーに決めました。
英語を全く話せない状態で留学し、言葉の壁もあってトラブル続きだったという。
「家探しや学校の手続きなど、そういった契約ごと一つ一つが大変で、毎日トラブルが降ってくるので、それを一個ずつ潰していく感じで。東京にいたときみたいに余分なことを考える時間もなくなり、毎日泣いていた仕事のことも全く気にならなくなりました」
まずは1年間、語学学校に通い、その後、2022年8月から2年間、公立のカレッジのシェフ養成コースに通った。
「働きたいなと思って。カレッジの2年コースに通うと、3年のワークパーミット(労働許可証)がもらえて、3年間どの職業に就いてもいいというのと、在学中も1週間に20時間働いていいというのが魅力でした。あと、今から経済など学問を学んでも、自分の将来に即決する感じがしなくて。私は手芸のワークショップをやりたくて、飲食もやりたいという夢があったので、料理は勉強になると思いました」
厳しいカレッジ生活を経て「人に助けてもらう人生に」
料理を学ぶために通ったシェフ養成コースは、想像を絶する厳しさだったという。「びっくりするぐらい大変でした。先生がものすごくスパルタで、肉体的にも精神的にも厳しかったです。私はすぐ泣く人なので泣きますが、私だけじゃなく、どの年代の人もみんな1回は泣いています。悔しいとか、腹が立つとか。シェフによっては寛大な人もいましたが、教師ではないので、言葉もきついですし、見せしめのようなこともするので、耐えられず脱落した人もいました」
そんな厳しいカレッジ生活を生徒同士で助け合って乗り越え、「日本では学べなかった人との付き合い方を学びました」と振り返る。
「いろいろ細かくて人を許せない性格でしたが、仕方ないと思って諦めて許したり、許してもらったり、そういう出来事が多すぎて、寛容になれた気がします。
そして、「自分にあげる点数が高くなりました」と明かす。
「才能や技術は成長してないし、ポジションや収入は下がっているけど、自己評価は高くなりました。100点ではないですけど、以前より高得点に。いまだに低い点数のときもありますが、それも不完全でかわいいなと。すごく自分に甘くなりました」
また、人に頼ることができなかった人生から、「人に助けてもらう人生に変わりました」とも語る。
「以前は『助けて』とか『手伝って』とか言えなくて、自分たちの単独ライブでも、作家さんとかに相談すればもっと膨らむし楽なのに、それができず結局小さくまとまってしまったり。仕事の依頼だから堂々と頼めばいいのに、自分のことを面白くないと思われていたらどうしようと思って、それすらも言えなくて。でも、今は何か困ったことがあったら、一言目に『ヘルプミー!』『助けて!』ですよ。もうプライドなんて全然ないです」
プライドを捨てて人に頼れるようになると、人間関係も広がっていったという。
「お友達が増えるし、なぜかすごく物をもらうようになりました。出ている粒子が変わったのかわかりませんが、物をもらうという変な才能が開花しました。
カレッジ卒業後もカナダに住み、現在は手芸のワークショップを開催している。
「楽しんでくれている顔を見るのが楽しいです。テレビに出ているだけだと見ている人の顔を見られないですけど、ワークショップは少人数でやっているので、直接教えるし、直接しゃべるし。リピーターの人がけっこういるというのもうれしくて。楽しんでもらえたんだなって。常連さん同士が仲良くなっているのもうれしいです」
やりたかったことを実現し、充実の日々を送っている光浦。今後の人生はどのように思い描いているのだろうか。
「手芸のワークショップを日本で定期的にやりたい。カフェもいずれできたらなと思います。帰国時期は、ビザを延長する方法があれば延長するかもしれないし、まだ決まっていませんが、どっちにしろ日本には帰ります。27年以降かな。まだはっきりはわかってないです」
諦めることも大事「まずは白旗をあげることから」
自身に大きな変化をもたらしたカナダ生活についてつづったエッセイ『ようやくカナダに行きまして』『ようやくカレッジに行きまして』が、本人の朗読によってAudibleで1月22日より同時配信。「カナダの友達に本を出すと言ったときに、オーディオブックはないと言ったらすごくびっくりされ、『今、オーディオブックの方が売れてるんじゃないの?』って言われたんです。北米だとオーディオブックが人気みたいで。それで、編集者の方に提案し、『私が読んだらダメですか?』と聞いたらOKということで、こうなりました」
朗読する際は「感情を抑えてゆっくり読む」ことを意識したという。
「初めて音だけで聴いた人に、設定や情景を理解してもらわないといけないので、状況説明みたいなところは、噛まないようにゆっくり読むように。そして、あまり感情的に読むと、1冊長いのでうっとうしくなってしまうと思い、感情を抑えて淡々と、とにかく理解しやすいように心がけました」
そして、「書いた本人がしゃべっているので、説得力があって面白いと思います。ぜひ聴いてほしいです」とアピールした。
最後に、留学によって生活も性格も大きく変わった光浦からファンの人たちへのメッセージを求めると、「みんな自分に優しくなりたいと思っていると思いますが、その前の一番最初のステップとして『いい意味で諦めなさい』『まず白旗をあげなさい』と伝えたいです」と自身の経験から力強い言葉をくれた。
カナダ生活において「白旗をあげざるを得なかった」と言い、プライドを捨てて人に頼れるようになったことが大きな転機に。「英語もしゃべれないし、コンピュータも使えないし、とにかく助けてくださいと頼るしか。何もできない人という扱いですが、それをバカにすることなくみんな助けてくれて」と振り返り、「まずは白旗をあげることからですよ」と話していた。
■光浦靖子
1971年生まれ。











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