1945年にENIACが完成し、真空管を使った電子回路で計算機を作れることが実証されると、アメリカ、イギリスなどの先進国では、一気に電子計算機の商用化が始まる。1947年に点接触トランジスタが、1948年には、より安定した接合型トランジスタがウィリアム・ショックレーらによって開発されると、これを使った計算機の試作が進む。
こうした中、1961年に真空管を使った世界初の電卓(電子卓上計算機)Sumlock ANITAが、イギリスのBell Punch社から発売された。Sumlockは、Bell Punch社が買収した機械式計算機メーカーの名前で、ブランドを残したまま、機械式計算機の販売を行っていた。
電卓とは、機械式/電気機械式計算機の延長上にあり、キーを押して四則演算を行う卓上に置ける、電子式の計算機械をさす。のちに、関数演算やプログラミング機能を備えた電卓も登場するが、これらは電卓にとって必須の機能ではない。商用化されたメインフレームコンピュータやミニコンなどと比較しても格段に低価格(当時の日本では50万円あたりが目標とされた)で、普及が見込めるため大量生産が可能となる。これはマスクパターンを使い、同種のものを大量に生産することでコストが下がる集積回路と相性が良かった。
Sumlock ANITAが発売された2年後の1963年、あるいは1964年には、電卓はトランジスタを採用し、さらに小型化、高機能化していく。世界最初のトランジスタ電卓には、シャープのCS-10Aやアメリカ Friden, Inc.のEC-130、Mathatronics社のMathatron 4-24、イタリアのIndustria Macchine ElettronicheのIME84などがある。
さらにその2年後の1966年には、シャープが三菱電機のバイポーラ型IC(Diode–transistor logic、DTLだと言われている)を使ったCS-31Aを開発、メインフレームの「第3世代コンピュータ」から3年しか経過していなかった。1969年には、シャープは、アメリカ ロックウェル社に300万個のLSI発注し、世界初のLSI電卓QT-8Dを9万8000円で販売する。
インテルの4004の開発が始まったのはこの頃である。自社ブランド製品に加え、OEM/ODM製品も多かったビジコン社(1970年に日本計算器株式会社から商号変更)は、各社向けの電卓機能をソフトウェアで変更することを考え、そのための電卓用LSIをインテルと共同開発することにした。ビジコン側では10進四則演算などの電卓の機能をソフトウェアで制御し変更可能にしようと考えていた。これに対するインテル社テッド・ホフの提案は、4 bitの汎用CPUを開発し、ソフトウェアで10進演算などの電卓の機能を記述するというものだった。
4004の開発は、インテルのフェデリコ・ファジンとビジコンの嶋正利が中心になって行ったが、その背景には、世界的な電卓ブームによる急速な集積回路の進化があった。メインフレームや宇宙開発だけでは、集積回路は、ここまで急速に進歩しなかっただろうし、コストも下がることはなかっただろう。ただし、電卓の急速な低価格化は、多数の企業を淘汰してしまった。ビジコンもその1社である。
4004の可能性に気がついたインテルは、マイクロプロセッサとして外販を望んだ。
今回のタイトルネタは、ドイツの電子音楽/テクノポップグループKraftwerkの「Computerwelt」(1981年。アメリカタイトルはComputer World)に収録されている、「Taschenrechner」(ドイツ語で電卓)の日本語バージョンである。英語版は「Pocket Calculator」。「DENTAKU」は、シングル盤も国内で発売されており、これには、演奏の一部で使われたカシオのFX-502Pの画像が使われている(機種名が消されているのでFX-501Pかもしれないが……)。FX-502Pは、カセットインターフェースFA-1を接続し、キーを押して音階を出力することが可能だった。











![[USBで録画や再生可能]Tinguポータブルテレビ テレビ小型 14.1インチ 高齢者向け 病院使用可能 大画面 大音量 簡単操作 車中泊 車載用バッグ付き 良い画質 HDMI端子搭載 録画機能 YouTube視聴可能 モバイルバッテリーに対応 AC電源・車載電源に対応 スタンド/吊り下げ/車載の3種類設置 リモコン付き 遠距離操作可能 タイムシフト機能付き 底部ボタン 軽量 (14.1インチ)](https://m.media-amazon.com/images/I/51-Yonm5vZL._SL500_.jpg)