メディアから姿を消したかに思えたが…立て続けにライブ成功

──中学時代、ステージの最前列にかじりつき、まっすぐな目で声援を送っていた、あのアーティスト…。あれから十数年。あの日の少年は大人になり、いまは客席ではなく、舞台裏からそのライブを創り上げる側に回った。
その視線の向こうにいた歌声は、時を越えて、今も彼の中に生き続けている。

一時、表舞台から姿を消し、約20年の月日を経て、再びステージ上でパフォーマンスを繰り広げているアーティスト・shela。3月1日に開催されるライブチケットは、わずか半日でソールドアウトとなり、急きょ増員が発表された。事務所もない。マネージャーもいない。ないない尽くしの中で、shelaは一体どのようにして再び光の当たる場所へと歩み出したのか…。その背後にあったのは、ファンたちが燃やし続けた“推し活”という名の「エンジン」だった。

○今年は「挑戦」の年、書き初めも「挑戦」

1999年、「20世紀最後の大型新人」としてシングル曲「White Destiny」でデビューしたアーティストのshela。2001年には1stアルバム『COLORLESS』でオリコン週間1位になったほか、「学園祭クイーン」として、日本各地の学校の学園祭でも引っ張りだこに。さまざまな音楽番組にも出演し、多くのファンを沸かせていた。

そしてデビュー26年目となる今年、3月1日に再びライブが行われる。2011年の事務所契約終了後、メディアから姿を消したかに思えたが、一昨年12月、昨年3月と12月のライブを成功させ続け、ここまで来た。
ちなみに、今回のライブは、販売からわずか半日でソールドアウト。急きょ、追加販売を行い、それもまたたく間に完売・販売終了となった。これにはshelaも「予想外でした」と笑う。

「“奇跡”という言葉は、あまり軽々しく使いたくないのですが」、そうshelaは前置きし、語り始めた。「今回のライブの話が出たのは、今年の1月半ばぐらいでした。昨年9月にファンクラブを結成し、同年12月に私史上初のファンミーティングライブ。そこで2026年の目標は『挑戦』にしようと書き初めまでしていたんです(笑)。そんな時でした。あるファンの方が、とあるプロモーターの方に営業をかけてくれたのは…」

その時、彼女はまだ知らなかった。そのプロモーターが中学時代、ステージの最前列で、家族とともに、shelaのライブに夢中になった過去があったことを──

○ファンの想いがつないだ奇跡の“推し活”

岡山に住むその少年は、当時、『COUNT DOWN TV』(TBS系、現在は『CDTVライブ!ライブ!』)を見て、衝撃を受けた。「この曲、素敵だな…」。その曲こそ「White Destiny」。
shelaのファーストシングルだった。その歌声に魅了された彼は、すぐにCD店へ向かう。その後も、シングルがリリースされるたびに追い続けた。いつの間にかその歌は、彼の青春の風景そのものになっていた…。

そんなある日のこと。当時、学園祭クイーンの異名を持つshelaが、岡山理科大学の学園祭に出演することが発表された。「shelaが岡山に来る!?」──さっそくその少年は、母を誘って学園祭へ。朝から並んで最前列をゲットすることに成功した。そこで見た、生のshela、そして生の歌唱…。「感動しました。それに、あの頃聴いていた音楽がなければ、今の私はなかったでしょう」

当時、中学生だったファンが大人になり、shelaのライブをプロモートする。しかも、それをつないだのがファンたちによる“推し活”だ。
これを“奇跡”と言わずして何と言うのだろうか。

これについて、shelaは「中学生時代、学園祭ステージの最前列でご家族と見ていてくださったなんて、すごく“縁”を感じました」と語る。「私の曲はもちろん、当時からの“shelaってこういうイメージだよね”ということまで分かっていてくださるので、そこを信頼してお任せできるのは、大きな幸せでした」

何かを残したい――でも、それは“完璧な歌声”ではない

日本の芸能界は、事務所制だ。海外ではエージェント形式が主流で、すべてのやり取りはエージェントが取り仕切ってくれる。日本でそれを行うのは芸能事務所。事務所がテレビ局や、プロモーターなどとつながり、アーティストは事務所の指示に従い、その場へと招待される形でパフォーマンスを披露する。

だが、今のshelaは違う。事務所に所属しておらず、マネージャーもいない。つまり、“つながり”が、ない。だがその“つながり”になってくれたのが、shelaの奏でる“音”でつながったファンたちであった。これまでもUSENやYouTube『THE FIRST TAKE』へのオファーなど草の根運動を続けていたが、ファンクラブ結成とともに、その“つながり”はより強固さを増した。そして、それがついには、shelaファンであるプロモーターとのつながりも生んだのだ。

「ファンの方々がレールを引いてくださるんです。
今まで起きてきたことすべて、ファンの皆さんが私に与えてくれたもので出来ている。私を“shela”に“してくれている”のはファンの方々なんです」(shela)

感謝しながらも、責任が混じる。それは彼女のプライドだ。

「ライブを重ねるにつれて、私の中でも変化が起きました。一昨年のライブでは“お久しぶりです”といったニュアンスが多少なりとも、あった。でも、それではいけない。ライブに来てくださったからには、満足していただきたい。当時を思い出してもらいたい。当時の声を取り戻さなければならない。心に残るライブをお届けしなければならない。それは“完璧な歌声”を披露するという意味ではない。それならCDでいい。
ライブは生もの。だから、そのライブならではの、その時だけの歌を奏でたいのです」(同)

──20年前のあの頃、ファンが青春の中で聴いていたshelaを届けるとともに、ライブでしか味わえない何かを贈る。…しかし、この難題が彼女の前にそびえ立っている。20年間のブランクを取り戻すのは容易ではない。そのプレッシャーが彼女を焦らせる。「でも私はすごく負けず嫌い。そんな自分に負けたくないんです」と語気を強める。彼女は今、鏡に映ったくじけそうな自分を自らの手で打ち砕かんとしている。鏡の先の未来へ向けて。

「北海道在住なので、東京のように十分にリハができるとか、そういった面でも、いろいろな困難が伴います。ですが、環境が整っていないのは、言い訳にはならない。私ができるのは、ちゃんと“何か”を届けられるかどうか。
残せるかどうか…。そこの芯だけは、決してブレません。それが私なりの信念です」

ファンとの“絆”を再確認したハンバーガーの奇跡


──閑話休題。ところで、そんな彼女を支えているファンたちの絆に関し、昨年12月の東京でのファンミで、とあるユニークな事件があった。

ファンクラブのグループチャット内で、shelaが「ハンバーガーを食べた」という投稿をしたのだ。これにファンたちが反応する。ハンドルネームは互いに見知っていたこともあったのだろう。ファンミ後、有志たちが集まり、ハンバーガーを食べに行った。その店がなんと、shelaがハンバーガーを食べたお店とドンピシャリだったのである。

「驚きましたね(笑)。東京で、これだけハンバーガーショップがあるにもかかわらず、私が食べたお店に、たまたまファンの方々が集まるなんて、すごい話じゃないですか…!? 驚きと同時に、ファンの皆さんとの“縁”も、強く感じました。そんなファンの方々がいる…それだけでも私は、幸せです」(shela)

これは、ファンクラブ効果かもしれない。ファンクラブ設立後、明らかに、shelaとファンの絆は深まった。同時にファン同士の絆も深まっている。それが3月のライブにもつながったのだ。プロモーターがshelaファンだったという偶然も含めて。

「『Friends』の歌詞にもありますが、普段の私は、すぐに“私なんて”と思ってしまうところがありました。そんな私に、ファンの方々がプレゼントしてくれているんです。20年前のあの続きを。いただいているんです。パワーを。そんなことが続いたある日、私はふと、気づきました。最近の私は、未来に向かって話すようになったなって…。ファンの方たちのおかげで、私は今、前を見据えて、今も話ができている──」

“私なんて”──そう思っていた少女は今、未来を見ながら言葉を紡いでいる。「ファンの方からもらったエネルギーをエネルギーで返したい。エネルギーの円環──無限に続くループをさらに強くしていきたい」、そう祈りのように言葉を紡いでいく。

彼女はもう、過去を振り返るために歌うのではない。未来へ進むために歌うのだ。

──最前列で見上げていた少年と、ステージに立ち続けた歌姫。時間は別々に流れていたものの、胸には同じ歌を抱いていた。それをつないだのがファンたちだ。ファン一人ひとりが灯し続けた小さな火がやがて大きなエンジンとなった。静かに積み重なったそれぞれの時間がある日、ふっと“奇跡”という形を持つ──あの日の最前列の鼓動が、いま再び同じ歌に重なっていく──

衣輪晋一 きぬわ しんいち メディア研究家。インドネシアでボランティア後に帰国。雑誌「TVガイド」「メンズナックル」など、「マイナビニュース」「ORICON NEWS」「週刊女性PRIME」など、カンテレ公式HP、メルマガ「JEN」、書籍「見てしまった人の怖い話」「さすがといわせる東京選抜グルメ2014」「アジアのいかしたTシャツ」(ネタ提供)、制作会社でのドラマ企画アドバイザーなど幅広く活動中。 この著者の記事一覧はこちら
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