ボールが動けば世界が動く――。今やサッカーは、ピッチの上だけで語れるスポーツではなくなった。
日本代表の快進撃、W杯招致の舞台裏、スター選手の移籍、FIFAの腐敗と癒着、オイルマネーによるイメージ・ロンダリング──そのすべての背景には、国家の思惑や経済、移民、人材育成といった“見えない力”が働いている。

この記事では、サッカーを動かす巨大な潮流を「地政学」という切り口で読み解いた『サッカーと地政学 - ゴールの先に世界が見える -』(木崎伸也/ワニブックス)から一部を抜粋してご紹介、今回のテーマは『地理的ハンデとどう戦うか森保ジャパンが見つけた”日本式ボトムアップ”の答え』。

○地理的ハンデとどう戦うか――森保ジャパンが見つけた”日本式ボトムアップ”の答え

2022年6月14日、森保ジャパンは最大の危機に陥っていた。

親善試合でチュニジアに0対3で敗れ、選手たちの間に戦術について懐疑心が広がってしまったのである。カタールW杯開幕まであと5カ月しかないにもかかわらず、戦い方の細部が詰められていなかった。

当時はまだ新型コロナ感染症対策が行われており、スタジアムからホテルへ戻るバスは2台用意され、キャプテンの吉田麻也と副キャプテン的存在だった遠藤航が異なるバスに乗っていた。

「事件」は遠藤が乗っているバスで起こる。原口元気が「俺たち、このままだとダメだろ!」と切り出すと、チームの問題点についてバスの中で大激論になったのである。

ホテルに到着すると、遠藤が代表して監督に「4-3-3のアンカーの部分が狙われていた。もし相手が狙って来たら、システムを柔軟に変えてもいいのでは?」と提案した。

2018年7月の森保ジャパンの発足以来、選手がここまではっきり進言するのは初めてのことだった。

実はそれまでも戦術への疑問はくすぶっていた。
森保は選手にすらも手の内を明かさない「勝負師」タイプの指揮官で、チュニジア戦を含めた6月の親善試合ではW杯を見越して複数のテストを進めていた。

たとえば、ターンオーバーの予行演習だ。W杯で勝ち上がるには体力温存が必要と考え、6月2日のパラグアイ戦、6月6日のブラジル戦、6月10日のガーナ戦、6月14日のチュニジア戦で吉田麻也と遠藤航だけを固定して試合ごとにほぼ先発を入れ替えるトライをした。

ただし、その意図は選手たちに明かされていなかった。「欧州組」の多くは「なぜチームづくりを進めないのか?」と首をひねり、普段クラブで触れている細部まで詰めた戦術と比べて物足りなさを感じていた。

そういう疑問と不満が、チュニジア戦の大敗によって爆発してしまったのだ。

森保は西野朗が2018年ロシアW杯で挑んだボトムアップ(選手たちの話し合い)によるチームづくりに感銘を受け、自分も選手の自主性を重んじたいと考えていた。

森保は日本代表監督就任会見で次のように語った。

「西野監督は選手たちに意見を出させて、それを集約してまとめていった。対応力を持ち、臨機応変に、選手たち自身が判断して選択できるサッカーをしたい」

とはいえ、すべて選手任せにするわけではない。あくまで監督が最終決定権を持つトップダウンの枠組みの中でのボトムアップを理想としていた。

しかし、トップダウンとボトムアップの融合は簡単ではなかった。


たとえば、監督が選手をルールに縛らないように指示を大枠に留めて細かい制限をしないと、選手は「戦術がない」と感じてしまう。

また、ボトムアップの方針は選手にはっきりとは伝えられておらず、あくまで森保の心のうちに留められているものだった。「自由に意見を言ってほしい」と強調しすぎると、別の強制力が働き、真の自主性が生まれないからだ。

監督の期待通り、最終予選では試合ごとに選手たちが話し合って細かいプレスのかけ方などを決める文化が生まれた。それでもボトムアップの方針を知らされていない選手たちは「なぜ指示がないのか?」といぶかしみ、監督の真意を計りかねてモヤモヤし続けた。

森保はマンチェスター・ユナイテッドのリザーブチームに1カ月間練習参加した経験があるものの、ヨーロッパでプレーした経験はない。

ハリルホジッチのときに問題になった「ヨーロッパを知る選手」vs「ヨーロッパを知らない監督」という対立構図が再燃してしまった。
○崩壊を防いだ”人間としての信頼”

しかし、森保とハリルホジッチには決定的な違いがあった。

戦術に関して疑問が膨らんだとしても、森保ジャパンが崩壊する可能性はゼロに近かった。なぜか? 森保はひとりの人間として選手たちから信頼されていたからである。

森保の選手たちへの「敬意」は並々ならぬものがある。

たとえば選手が試合後に日本からヨーロッパへ戻るとき、監督としての公用がない限り、どんなに早朝でもロビーで必ず選手を見送るようにしている。
クラブで厳しいレギュラー争いがある中、活動に参加してくれた感謝を伝えるためだ。

また、森保は選手たちの普段の試合を徹底的に見ている。候補となる数十人をグループに分け、コーチたちに割り振ってチェックする体制を取っているのだが、森保は責任者として全候補選手のプレーをまんべんなく把握するように努めている。

時間はいくらあっても足りず、週末と週明けは朝から晩まで試合を見続けるという生活を送っている。その妥協なき姿勢は、言葉の節々に滲み出るのだろう。何気ない会話の中から選手たちは「見てもらえている」と感じ、それが特別な信頼関係を生み出す。ハリルホジッチと選手との関係とは真逆のものだった。

チュニジア戦後のバス事件は、森保ジャパンの重要な転換点になった。

W杯が目前に迫っている時間的な圧力も加わり、「遠慮」や「躊躇」が取り除かれたのだ。

2022年9月のドイツ遠征において、選手たちは「選手ミーティング」を開催。その内容を受けて吉田麻也、川島永嗣、長友佑都、柴崎岳、遠藤航の5人が代表して監督に面談を申し込み、「ミーティングをもっと細かくして、相手の具体的なプレーに応じて、チームとしてどうするかの指針を示してほしい」という要望を伝えた。

監督側も選手からのアクションをある程度予測していたのだろう。
ドイツ遠征からミーティングで矢印を入れるなど加工した映像を使ってより細かく戦術を示すようになった。また、ポジションごとのグループミーティングも導入された。すぐに選手たちから「戦術トレーニングやミーティングが以前と変わった」と評価の声があがった。

吉田を中心にしたベテラン選手たちはこのポジティブな流れにブレーキをかけてはいけないと考え、選手たちに「選手ミーティングの内容をメディアに話さないようにしよう」と呼びかけた。「選手が話し合ってチームが変わった」とメディアが偏って報じ、監督批判の材料にされる危険性があったからだ。

本番2カ月前、監督と選手の距離が一気に縮み、心理的安全性が生まれて選手たちは意見を言いやすくなった。ついに森保が望む「選手自身が考えて判断できる日本代表」ができあがったのである。

○『サッカーと地政学 - ゴールの先に世界が見える -』(木崎伸也/ワニブックス)

ボールが動けば世界が動くーー。今やサッカーは、ピッチの上だけで語れるスポーツではなくなった。日本代表の快進撃、W杯招致の舞台裏、スター選手の移籍、FIFAの腐敗と癒着、オイルマネーによるイメージ・ロンダリング──そのすべての背景には、国家の思惑や経済、移民、人材育成といった“見えない力”が働いている。本書は、サッカーを動かす巨大な潮流を「地政学」という切り口で読み解く試みだ。「なぜ日本が急激に強くなったのか」「なぜ特定の国でスターが生まれるのか」「なぜW杯は政治を揺らすのか」ボールが動くたび、ゴールが揺れるたび、同時に世界も動いている。
その仕組みがわかると、試合はもっと面白く、ニュースはより立体的に見えてくる。サッカーファンにも、世界を知りたい人にも贈る一冊。
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