宮崎駿が企画し、宮崎吾朗が監督を務める長編アニメーション『アーヤと魔女』が、12月30日(水)よりNHK総合にて地上波放送される。スタジオジブリで映画化された『ハウルの動く城』(2004年)の原作者ダイアナ・ウィン・ジョーンズによる、魔女を主人公とした同名小説が原作となっている作品だ。

(文=小野寺系)■観客を惹きつける“魔女”の存在

 それ以外にも、ジブリから独立したスタッフたちによるスタジオポノックの第1作の企画が『メアリと魔女の花』(2017年)だったことや、テレビシリーズ『おジャ魔女どれみ』の新作映画『魔女見習いをさがして』や、ロアルド・ダール原作、アン・ハサウェイ主演の新作映画『魔女がいっぱい』が公開されていることからも分かるように、“魔女”はいまもなお観客や視聴者を惹きつける存在であり続けている。

 そして、ジブリが国民的なアニメスタジオとして、その作品が大ヒットを連発するようになったのも、『魔女の宅急便』(1989年)からだという事実が示す通り、スタジオジブリと“魔女”の関係も密接だといえよう。ここでは、そんな“魔女”が登場するジブリ作品を紹介しながら、両者のつながりをあらためて考えてみたい。■決定的な影響を与えた『雪の女王』

 スタジオジブリの中心人物といえる高畑勲監督と宮崎駿監督。二人はもともと、日本のアニメーション界を代表する東映動画に在籍していた。当時、高畑は宮崎にロシアのアニメーション作品を紹介し、宮崎はその豊かな表現に心酔したという。なかでも、『アナと雪の女王』(2013年)の原案ともなったアンデルセンの童話を基にしたレフ・アタマーノフ監督の名作『雪の女王』(1957年)は、両者に決定的な影響を与えることになった。そこで描かれる純粋な心や、人が人を想う強い感情は、ジブリ作品の大きな要素ともなっている。

 そんな『雪の女王』にも魔女が登場する。主人公である少女ゲルダは、雪の女王にさらわれてしまった幼馴染の男の子カイを探す旅に出る。すると道の途中で寂しがり屋の魔女が現れ、ゲルダにカイの思い出を忘れさせることで、可憐なゲルダをいつまでも自分の魔法の家と庭にとどめておこうとするのである。高畑、宮崎コンビが後に作り上げた『パンダコパンダ』(1972年)の舞台となる竹やぶの中の一軒家は、そんな魔法の家そっくりに描かれている。
『雪の女王』への憧れを、二人は作品のなかでかたちにしたのだ。

 それだけでなく、このコンビは東映動画時代の『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)でも『雪の女王』へのオマージュを行なっている。そこに登場するヒロインの名は、ゲルダを想起させる“ヒルダ”。彼女は「悪魔の妹」という呪われた出自を持つ少女であり、優しい心を持っているのにもかかわらず、人々の暮らす村から離れて孤独に暮らしている。

 高畑は後年、この設定を彷彿とさせるフランスのアニメーション作品を日本に紹介し、劇場公開にこぎつける。それがミッシェル・オスロ監督の『キリクと魔女』(1998年)である。世の中の全てに疑問を持つ男の子キリクは、村のみんなを苦しめているという魔女に会いに行こうとする。しかし、本当に魔女は悪い存在なのか。ここでは『太陽の王子 ホルスの大冒険』と同じく、悪い存在であるとされている女性の意外な面を描いている。

■『魔女宅』では親しみやすい存在に!

 宮崎駿監督による角野栄子原作のジブリ作品『魔女の宅急便』では、魔女そのものが主人公となった。家を出て一人前の魔女になるべく故郷を飛び立った少女キキが成長していく姿を描く本作は、“魔女の力”が失われるというアクシデントを通して、一人の人間が自分の生き方に迷うという普遍的なテーマを扱っている。ここでは魔女という存在が、他の職業と同じようなものとして紹介されていて、観客にとって親しみやすいものとなっている。


 興味深いのは、キキの母親との世代間ギャップだ。母親はリウマチに効く薬を調合するなど、魔女のスキルを体得しているが、そのような知識に娘が興味を持たないことで、魔女の文化が継承されない部分があることに不満を持っているようだ。しかし、彼女の薬を大勢が求めているようには見えないことから、人々はおそらく現代のケミカルな薬品の方を選択するようになってきているのだろう。若いキキはそんな状況を無意識的にだが敏感に感じとっていて、魔女の飛行術をデリバリーサービスに利用するという、現代の文化と魔女文化に折り合いをつける道を見出すことになったのではないだろうか。■おそろしい存在としての魔女も

 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』(2001年)では、湯婆婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)という、年老いた双子の魔女が登場する。どちらも強い魔法の力を持っていて、湯婆婆は「湯バード」に変身して飛行することができる。この作品の基になっているのが、オトフリート・プロイスラーの児童文学『クラバート』である。これは、水車小屋に勤めることになった少年たちが、裏で魔法使いとして悪事を行なっている親方にこきつかわれるという物語だ。魔法のしきたりと、弱者が搾取される社会の仕組みを組み合わせた作品世界がユニークである。

 そして、さらにおそろしい魔女が登場するのが『ハウルの動く城』(2004年)である。強大な魔力と国家の権力を裏で握る政治力をも持っているマダム・サリマンの使う攻撃魔法は、こんなものを受けたら絶対に助かりそうにないような、凄まじく不気味な演出で描かれる。この作品で強調されるのは、魔法というのが文字通り悪魔のような邪悪さや残酷さを持っているという点だ。
『魔法使いサリー』や、東映動画の「魔女っ子シリーズ」など、魔女という存在がアニメーションのなかで子どもの憧れとしてポップに描かれるようになった。『魔女の宅急便』もその一つとして数えられるが、宮崎駿監督はここでその流れにカウンターを浴びせるような魔女のイメージを放ったのである。

 三鷹の森ジブリ美術館の企画展として2018年に開催された、「『映画を塗る仕事』展」では、宮崎駿監督らに多大な影響を与えたイヴァン・ビリービンのイラスト作品が展示されていた。そのなかには、スラヴ民話に登場する鬼婆のような魔女バーバ・ヤーガを描いた危機迫るようなイラストもあった。宮崎監督が取り戻したかったのは、そんな魔女や魔法の油断ならざる部分だったのかもしれない。

■『星をかった日』でも魔女が印象的

 そんな三鷹の森ジブリ美術館で定期的に上映される短編『星をかった日』は、ジブリ作品『耳をすませば』(1995年)にも登場する、井上直久が創造した世界「イバラード」を舞台とした宮崎駿監督作品だ。そこで描かれているのは、『ハウルの動く城』に登場する、王宮から追放されたという「荒地の魔女」とハウルの出会いの物語だという説もあるように、ある青年が魔女に魅入られるというストーリーである。鈴木京香が声をあてている魔女が、何度か呟く「素敵ね」というセリフが妖しくも艶かしい。大々的に劇場公開してほしいと思うくらいの濃密さと、宮崎駿監督の創造性が豊かに発揮された作品である。

 このように、高畑、宮崎作品、そしてジブリに関係するアニメーション作品のなかだけでも、さまざまな魔女の姿がある。いずれもそれぞれに魅力的で示唆に富んだ存在として、われわれ観客の心をつかみ、何かを気づかせる役割を担っているように感じられる。そんな魔女たちに注目して、もう一度、これらの作品を味わっていきたい。

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